ちくま文庫

怪異と幻想、ときどき豆腐 津原泰水×三浦しをん
「幽明志怪」シリーズ 三冊同時刊行記念特別対談

三浦 津原さんが最初に猿渡君(シリーズの主人公)を書いたのは、おいくつのときだったんですか。
津原 三十二、三歳です。初登場時の猿渡と同年代ということになりますね。
三浦 じゃあ、一緒に年齢を重ねてきている感じなんですね。
津原 そうなんですよ。一緒に老いてきて、このところは四十代に突入している。ただ読者に、猿渡には「永遠に若く、永遠に情けなく」あってほしいという想いがありましょうから、今後「取締役猿渡」的な展開は避けようと。
三浦 アハハハ。でも、「猿渡君がこのあいだ乗っていた車はああいうことになったから、今度はこの車なんだな」みたいな、変遷を見るのも楽しいですよね。
津原 僕も、猿渡にはなるべく変わらないでもらいたい。一方で因縁の積み重ねも面白い。両面ですね。
三浦 その兼ねあいが絶妙だと思います。それにしても、随分長いお付き合いですよね。
津原 長かったですね。最初に出した『蘆屋家の崩壊』は、伯爵(シリーズの主要登場人物)とのコンビ探偵的なテイストが強かったので、『ピカルディの薔薇』は反動で、幻想味の強い小説集になりました。今回はコンビ復活の側面もありますが、総括というか回顧録的なつくりを目指しました。果たして読者の胸に届くのか……。
三浦 届きました。すごく楽しかった。とにかくいろいろな読み方ができる。ホラーの要素もあればミステリの要素もある。音楽小説や、青春小説としても読める。「玉響」などは友情をテーマにした小説ですよね。伯爵と猿渡君の友情も、ベタベタしていないんだけど、同じ青春を過ごした人たちの連帯という感じがありますね。
津原 貧しくも楽しい。
三浦 はい、きらめきを共有していた人たちの、ちょっと切なくもある話が、すごく好きでした。
津原 女性のキャラクターでアイダベルという女性を新たに出してみたのですが、いかがでした?
三浦 とっても魅力的。猿渡君とのやり取りが絶妙です。
津原 窮地を脱する鍵というか、それ以前に窮地の鍵というか(笑)。
三浦 まさにマッチポンプ(笑)。
「城と山羊」と「続・城と山羊」には「蘆屋家の崩壊」の登場人物も再登場します。ファンにとってはうれしい再会ですね。
津原 その二編のあらすじをザックリと説明すると「猿渡と伯爵がカルトと戦う話」……なんですけど、実は全然戦っていない。
三浦 戦っていないですね(笑)。
津原 彼らは基本、逃げるので。勧善懲悪に興味がないですからね。
三浦 彼らというか、たぶん津原さんが興味ないんだと思うけど(笑)。
津原 「見たい」人たちなんですよ。「そこの戸を開けちゃいけない」と言われると、開けちゃう。世界というのは基本的に質量のあるもので構成されているわけですが、伝承とか情動とか幻といった、無形無量のものに隙間を満たされてもいる。それを覗きたい人たちなんですよね。
三浦 「城と山羊」には怪奇冒険ものの味わいもあります。最後、「え~っ、どうするのよ~。このシリーズはここで終わりなの?」と思ったら、ちゃんと「続・城と山羊」があって、ホッとしました。
津原 そこはちょっと意地の悪い構成になっています。
三浦 会話も絶妙で、私は声に出して笑ってました。確かに、こういう会話を交わしてる人、いる。
津原 僕、ダイアログは苦手なんですよ。三人以上のほうが多いんです。猿渡と伯爵だけではなくて、例えば「城と山羊」ではやたらとアイダベルが割り込んでくる。
三浦 三人以上の会話は、小説では誰の発言なのかわかりにくくなると思うんですよ。でも津原さんは、三つ巴の掛け合いをやっていても、読んでいて「これ、誰の発言かな」というのが全くない。すごく難しいことを、さらりとなさってますよね。どうなっているんですか、津原さんの頭のなかは?
津原 目が悪いぶん、耳の記憶力は良いんです。
三浦 「耳が良い」とかいう問題じゃない(笑)。実際の会話って無駄な部分が多いけど、そこを削ぎ落として小説の会話になっている。なおかつ、「現実にあるわ、これ」という。
津原 本当に無駄だらけにしちゃったら、いくらリアルでも、ちょっとね。
三浦 意味がわからないですからね。
 それと、「目が悪い」とおっしゃいますけれども、文章の力で映像が読者の脳内に浮かぶ。「城と山羊」の城も、夜にだけ聳える不思議な感じとか、読者それぞれのなかに明確に浮かんでくると思うんです。
 このシリーズ、映像でも見たいと思うんですが、そういう話はないんですか。
津原 ないですねえ、今のところ。
三浦 絶対良いと思うんですけど。キャスティングを勝手に考えるのも楽しいですよね。私は漫画が好きだから、漫画化するなら誰がいいかなとか、勝手に想像する楽しさがあります。


古典の魅力と文体と

三浦 毎回さりげなく登場人物説明をするんですが、三冊のどの話から読んでも「こういう世界なんだな」とすぐ入っていける。すごい技が駆使されているのに、そう感じさせないですよね。その説明も、型がきちんとあって、それを守ってやっていたり。
津原 形式を踏まえるのは、古風な感じがして好きですね。踏まえながら、外す。その両面がないとつまらない。
三浦 今回も「日高川」など、古典に題材をとった話が出てきますね。歌舞伎や文楽はお好きなんですか。
津原 歌舞伎はよく観ますが、文楽は勉強し始めという感じです。
三浦 私も、歌舞伎や文楽は好きです。お話の型があって、そこをどうズラすかということと、最後の解放感。それほど勧善懲悪でもなく、話もプツッと終わる。「結」の部分があまり明確じゃないのが、歌舞伎が好きな理由ですけど、津原さんの作品もそういうところがある。一連の騒動の決着は明示されて、「なるほど」と思うけれども、それだけではない深みと含みがありますよね。「ここで終わるの?」という解放感。ゾッとしたりモゾモゾしたりするけれど、それが楽しい。
津原 いつも青息吐息で、辛うじて最終行まで辿り着いているだけです。一冊目の『蘆屋家の崩壊』の頃は、なにしろ十五年ぐらい前だから、あまり執筆の場に恵まれていなかった。執筆依頼のたび、いつも今回が最後かもと思って、書きたい放題に詰め込んでいたんです。いきおい饒舌な文体になってしまったけれど、それが読者に面白がられた。運がよかったですね。
三浦 ワンフレーズの息が長いのに、滑らかに読める。あまりこういう文章が書ける人はいないですよね。
津原 当時は、センテンスは短く短くという風潮があり、若かったのでそれへの反発心はありましたね。悪文とされているもので、自分はどのくらい行けるのかと。ダラダラの文章で。
三浦 そして悪文では全然ないという(笑)。これをダラダラと思う人がいたら、その人の感性がちょっと変わってるんじゃないでしょうかね。
 あとは、シリーズ全体、今回もそうですけど、旅物語としても読めるのが楽しいですね。私は、津原さんが旅行なさっている印象があまりないんですよね。会うときは常に酒を飲んでいるから。
 旅はお好きなんですか?
津原 生まれが広島ですから、そちらと東京との間はよく往復します。途中で降りたりも。でも「旅に出よう!」ということは、まずないですね。
三浦 やっぱりそうなんだ(笑)。
 でも、読んでいて「旅感」が楽しいです。「今度はどこに行くのかな」とか、「そこで、どんな目に遭うのかな」とか。
津原 あまり外に出ないだけに、子供の頃の旅行の記憶が、そのまま温存されているんだと思います。作品には辺境が登場しますが、現実には、いまどき横溝作品の舞台のような土地はほぼ存在しないわけで。
三浦 均一化されていますからね。
津原 子供の頃は、遠くに行くたびにカルチャーショックを受けていましたが。
三浦 子供の頃の旅行は、本当に非日常の体験でした。
津原 そういう気分は、この連作に滲んでいると思います。最近は、島にでも渡らないかぎり非日常感は感じにくいですよね。でも猿渡は島の出身だし、読者になんらかのエキゾチシズムを提供できたら、と。

 

「これは食べてみたい!」

三浦 『猫ノ眼時計』の「日高川」で出てくる豆腐竹輪は本当にあるんですか。
津原 実在します。「蘆屋家の崩壊」には名前しか出していませんが。
三浦 はい、また出てきたと思った(笑)。
 猿渡君と伯爵の共通項が大の豆腐好きであるというのも良いですよね。豆腐の薀蓄や、地方ごとの名物豆腐があちこちに出てきますが、津原さんは豆腐に詳しいんですか?
津原 違うんですよ。このシリーズの一作目「反曲隧道」で、うかつに書いちゃったんです。
三浦 うかつだったんですか。
津原 「無類の豆腐好き」というフレーズがうけてしまい、続きを書くにあたって「うわ、豆腐を食わなきゃ」と。
三浦 じゃあ、特にご自分が豆腐好きだというわけでもなく。
津原 全然。そこから僕の豆腐修行が始まって、評判の豆腐屋を巡ったり、伊勢丹に千円の豆腐を買いにいったり。高いけど、いちおう食わねばなるまいと。
三浦 美味しかったですか。
津原 忘れちゃいましたね。
三浦 アハハハ。それがまた豆腐のいいところかもしれませんね。
津原 『蘆屋家の崩壊』の単行本が出たときに打ち上げがあったんですけど、みなさん、僕は豆腐が大好物だと思っているから、料理が全部豆腐なんですよ。
三浦 豆腐会席みたいな。
津原 そうそう。飲み屋に行っても、「はい、津原さんはお豆腐」(笑)。まだ若かったから、本当は肉が食いたいのに。
三浦 大豆は「畑の肉」とはいえ、残念でしたね(笑)。
津原 河豚にでもしておけばよかった。結局、好きになっちゃいましたけどね。いまは立派な、無類の豆腐好きです。
三浦 食べ物小説としても楽しいですよね。方々でいろいろな食べ物が出てきて、なかには気持ち悪い物も出てくる。
津原 ホラーで食べ物というとゲテモノが定石で、そういうのも面白いんだけど、僕は美味そうなもので書いてみたかったんです。読み終わった人が「今夜は湯豆腐にするか」と思えるような。
三浦 確かに豆腐竹輪を食べたくなりました。怖い食べ物も出てきますけど、読んでいて「うう、吐きそう」というのでは全然ない。「なに? でもこれは食べてみたいような……」と思わせる書き方なんですよね。


最後までえらい目に遭ってます(笑)

三浦 登場人物も魅力的です。
津原 最初は探偵役の伯爵のほうが主役っぽくて、猿渡はワトソン的な立場だったんです。でも、より多彩に書きたくなってきまして。『蘆屋家の崩壊』に「猫背の女」という、世の男性諸氏に異様に怖がられている作品が入っているんですが、そのあたりからはもう「コンビでも、猿渡のピンでもあり」という意識でした。
三浦 あの話は私もものすごく嫌でした。
津原 伯爵は、背景が見えないほうが魅力的なんです。あまり所帯じみているとね。
三浦 そうですよね。私生活をあまり知りたくないです。
津原 猿渡は見えたほうがいい。所帯じみてて貧乏くさいほうが。
三浦 彼には仕事の変遷がありますよね。「無職」の変遷が(笑)。
津原 何をやっても不思議とうまくいかないというか、仕事運がない人なんですよ。
三浦 いろいろなものを引き寄せる、引き当てる運はありますね。
 でも何だかんだで猿渡君は結構モテるし、女あしらいは上手いですが。
津原 たぶんモテない人ではない。彼はシリーズを通して、怪異にも人間にも、一度も手を上げていないんです。逃げるばっかり。酷い目に遭って瀕死の思いをして、でも次の話では平然としている。そのへんが女性にとっても魅力的なのでは。
三浦 打たれ強く、生命力がありますから。
津原 ある意味、無敵です。
三浦 酷い目に遭ったから復讐してやろうとは、絶対しないですよね。試みようと思っても、全然反撃になっていない(笑)。受け入れているんですね、「しようがない」と。
津原 よく生き延びましたよね。最後の最後までえらい目に遭ってますけど。


怪異とは、心とは

三浦 文庫それぞれに書き下ろし作品が加わっていますが、私は『蘆屋家の崩壊』の「奈々村女史の犯罪」が嫌でした。なんかね、すごく怖かったんですけど。
津原 舞台が、どんどん高いところへと移動していく構造です。
三浦 それだけではなくて、予言書的なところや、何回殺しても蘇ってくるとか。そして奈々村女史のあり方が怖い。いそう、こういう人。魅力的なのはわかるけど。
津原 後に平然と猿渡の担当に収まって……。
三浦 そうそう。伯爵には依頼しないのに、猿渡にはバンバン無茶な依頼をしてきて(笑)。この奈々村女史の感じが、「ああ、こういう女がモテるのよね」という嫉妬も含めて、嫌でした。
津原 なるほど。うーん、なるほど。
三浦 あと、すごくやる気なさそうな古本屋がビルのなかにあるというところ。「ある、こういう古本屋」って思いました。
津原 いかにもおどろおどろしい場所に生じる怪異もいいけれど、より原初的な怪異は、あんがいポカンとしているんじゃないのかと想像しまして。
三浦 抜け感がありますよね。これは都市論であり、怪異とは何なのか、ということにもつながっていると思います。都市や怪異を考えるということは、人の心とは何なのかというところに行きますよね。心というのは空洞みたいなもので、風が吹いて何かが入り込んできたり、その風と共に何かが抜けていったりということなのかなと思いました。猿渡君自身、ポッカリ空いているから何かを引き当てちゃうし、こういう怪異にも遭うということかな、と。
津原 幸福な人生のプロトタイプがマスコミで流されますよね。そういったものへの執着さえなければ、不幸なんてそうそう転がっているもんじゃない。猿渡という人物は、幸福の「型」を追い求めない。故に不運ではあっても不満ではないんです。
三浦 その境地に至るのはすごく難しい……。
 そんな猿渡君が見た世界の瑞々しさ、『ピカルディの薔薇』に入った「枯れ蟷螂」や『猫ノ眼時計』の「城と山羊」、そして表題作「猫ノ眼時計」での、世界の感じ方が好きです。
津原 面白いことに、若い頃や子供の頃の猿渡は、年を取るほどに書きやすくなりました。
三浦 「猫ノ眼時計」は、猿渡君の若い時代のきらめきや瑞々しさと同時に、鏡を見て「あっ、俺、年取ったわ」と、そういう感覚がありました。老いに対する、「こういうことなのか」というものが。
津原 僕自身がだいぶ老いた箱になり、若い自分と入れ籠になってきましたので。
三浦 現実とそうでない世界の違いはどこにあるのかというのを含め、自分って本当に確固としてあるものなのか、という感覚。少年時代や、これから先も含めて「他人」が重層的に自分のなかにいるという感じ、「ああ、確かにそうだ」って思いました。その感覚に自分であまり気づいていなかったけど、確かにあるなと思います。
――最後に一言お願いいたします。
津原 色々な角度からお楽しみいただければ、と。
三浦 いつも読者として読んで、すごく面白い、すごく好きと思うんですよ。読み終わって「ああ、すごいものを読んだな」と。だから完結には絶対反対、反対です!(笑)

2012年8月1日更新

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津原 泰水(つはら やすみ)

津原 泰水

1964年広島市生まれ。89年より津原やすみ名義で少女小説を多数発表。97年現名義にて『妖都』を発表。以後、本書から『ピカルディの薔薇』『猫ノ眼時計』へと至る〈幽明志怪〉シリーズや『綺譚集』『少年トレチア』などの幻想小説で人気を博す。2012年には短篇集『11 eleven』で第2回Twitter文学賞国内部門1位を獲得。他の著書にベストセラーとなった『ブラバン』、本格SF『バレエ・メカニック』、尾崎翠の映画案を小説化した『琉璃玉の耳輪』などがある。

三浦 しをん(みうら しをん)

三浦 しをん

1976年東京生まれ。2000年、『格闘する者に◯』でデビュー。06年、『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞受賞。12年、『舟を編む』で本屋大賞受賞。15年、『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞受賞、18年、『ののはな通信』で島清恋愛文学賞受賞。
小説に、『月魚』『秘密の花園』『風が強く吹いている』『星間商事株式会社社史編纂室』『神去なあなあ日常』、エッセイに、『あやつられ文楽鑑賞』『お友だちからお願いします』など、著書多数。近著に『愛なき世界』『皇室、小説、ふらふら鉄道のこと』(原武史氏と共著)がある。

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