アメリカ音楽の新しい地図

4.音楽メディアとランキング・システム

トランプ後のアメリカ音楽はいかなる変貌を遂げるのか――。激変するアメリカ音楽の最新事情を追い、21世紀の文化=政治の新たな地図を描き出す!

ポピュラリティーの序列化
 アメリカの音楽業界においてポピュラリティーの指標となるチャートは、そのもっとも初期の段階から存在した。商業音楽のマーケットが音楽出版社、ツアー・プロモーター、そして劇場などを中心にアメリカで組織されるのは1880年代のことだが、その市場は鉄道網の普及、電信技術の発達、そして1909年の著作権法改正によって全米に広がりをみせる(4)
 業界の発展に呼応するように、1891年に創刊されたレコード産業誌フォノグラムはすでにヒットに関する記事を掲載していたし、フォノスコープ誌(1896-1899)も月ごとの新曲のリストがページを飾っていた。
 のちにアメリカを代表する音楽業界紙へと成長するビルボード誌が創刊されたのは1894年のことである。オハイオ州シンシナティでビルボード・アドヴァタイジング誌という名称で刊行されたトレーディング・マガジンは、20世紀初頭にはニューヨークとシカゴに事務所を構え、主要都市のニューススタンドなどで販売されていた。
 そして1913年、ビルボード誌は初めてランキング形式でシート・ミュージックのチャートを発表する。「先週もっとも売れたポピュラーソング10曲」というタイトルのチャートは、「全国の異なる地域の112の販売店やデパートの報告を慎重に分析し、平均値をとったもの」であるとされ、「次週は500 、さらにその次の週は1000の報告をもとにする」と予告されている。結局、次の号で500店舗には届かなかったようで、「312のレポート」を分析したとの但し書きがあるが、初期のビルボード誌のシート・ミュージックのチャートが小売店やデパートなどの売り上げをもとに作成されていたことがわかる(5)
  その後、ビルボード誌は「先週ヴォードヴィル劇場で流れた曲」というチャートで、ニューヨークとシカゴ(のちにサンフランシスコも)の劇場でヒットした曲を集計し始めるだけでなく、1916年には「ビルボード・ソング・ヒンツ」というタイトルで主要な音楽出版社のカタログでもっともヒットしている曲をジャンル別──ダブルズ、バラッド、ノヴェルティ・ソング、コミック・ソング、マーチ・バラッド──にリスト化し、さらに20年代に入ってもバーレスクや劇場でかかるクラシック音楽のチャートを掲載している(6)
  注意しなければならないのは、この時期にさまざまなメディアにおける音楽のヒットをリスト化していたのはビルボード誌だけではない点だ。1910年代にはトーキング・マシーン・ワールド誌が主要なレコード・レーベルのヒット曲を毎月リスト化していたし、20年代末にはヴァラエティー誌もレーベルごとのヒット曲のランキングを月ごとに掲載しはじめる(7)。1930年代半ばまでにはビルボード誌もヴァラエティー誌もシート・ミュージック、ラジオのエアプレイ数、そしてレコード・セールスのチャートが掲載されるようになっていた。
 音楽のポピュラリティーのランク付けという点では1935年に始まったラジオ番組『ユア・ヒット・パレード』も重要である。これはNBCレッド(赤)が放送したプログラムであり、人気歌手や専属オーケストラがその週でもっともヒットした曲を歌うという構成であった(のちに1950年から59年まではテレビ放送もされた)。ただし何が「ヒット曲」であるかについては広告代理店ロード&トマス社の意向に委ねられており、そのランキングの手法は透明性が確保されたものとはいえなかった。とはいえ、一回の番組で7曲から15曲のヒット曲が流れるこの番組は大成功を収め、そのフォーマットはのちの多くの音楽番組のモデルとなる(8)

Your Hit Parade February 27, 1954


  ビルボード誌のチャートの変遷上、次に注目すべきは1940年7月27号だろう。それまでメインの音楽セクションには「ビルボード・コンプレヘンシヴ・ガイド・トゥ・ソング・ポピュラリティー」という名のもと、シート・ミュージックの全国版と地域版のチャート、そしてラジオ・エアプレイ数のチャートが掲載され、レコードの売り上げは後ろのページの「レコード・バイイング・ガイド(アミューズメント・マシーンズ)」というコラムに記録されただけだった。ところが、この号で初めてビルボード誌の主要ページに包括的なレコード・チャートが発表されたのだ。それはニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスからニュー・オーリンズ、サンアントニオ、マイアミにいたる全米25都市、50店舗のサンプルでもっとも売れた10枚のレコードをもとにしたチャートであり、全国版のほかに、東部、西海岸、中西部、南部という地域ごとのチャートがそれぞれ掲載されていた(9)
 これは1940年の段階で音楽業界の中心的なメディアがシート・ミュージックやラジオからレコードに移行しているとも解釈できるが、その後もジュークボックスのプレイ数のランキングが掲載されるなど、ビルボード誌は常に新しい音楽メディアの登場に敏感に反応してきたといえる。
 そして、ロックンロールのブームが吹き荒れる1958年8月4日号において、すべてのデータを統括した総合チャートHot 100がビルボード誌に初めて登場する。ロックンロールはそれまでのアメリカ音楽のさまざまな系譜──ブルースとカントリー、都市部と地方、大企業と小レーベル──をまとめ上げた音楽的なムーヴメントであったといわれるが、それと平行するように、ビルボード誌はこの時点でラジオ、レコード、ジュークボックスなどアメリカの多くの音楽メディアのランキングを一本化したチャートの掲載に踏み切ったといえるだろう。

(4) N. Anand and Richard A. Peterson, “When Market Information Constitutes Fields: Sensemaking of Markets in the Commercial Music Industry,” Organization Science, 11.3 (May-June, 2000): 272.
(5) “Last Week’s Ten Best Sellers among the Popular Songs,”The Billboard, July 19, 1913, 15; “Last Week’s Ten Best Sellers among the Popular Songs,” The Billboard, July 26, 1913, 9.
(6) Joe Scida and June Bundy Csida, “Charting the Hit Songs, Artists and Records: From Spotlighting Song Successes in 1903 to the Complex, Total Coverage Charts of 1976,” The Billboard, 88.27 (July 4, 1976): MR30.
(7) “Researching the Charts,” Joel Whitburn’s Pop Memories 1890-1954, (Menomonee Falls, Wisconsin: Record Research, 1986), 7.
(8) Gary Burns, “Visualising 1950s Hits on Your Hit Parade,” Popular Music 17.2 (May 1998): 139.
(9) “The Billboard Music Popularity Chart,” The Billboard, 52.30 (July 27 1940): 11.

 

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