単行本

豆粒たちの人生の選択と冒険
瀬川深著『SOY! 大いなる豆の物語』

 チューバ吹きの女性を主人公にした中篇『mit Tuba』で2007年に第23回太宰治賞を受賞、2008年に同作品を改題した『チューバはうたう』で単行本デビューを果たした瀬川深。以降、港町のラジオ局を舞台にした『ミサキラヂオ』、地方都市に住んでいた老婦人が東京の息子宅で過ごす夏を描く『我らが祖母は歌う』、青年科学者が独裁国家に招かれお妃候補の選出を依頼される『ゲノムの国の恋人』と、さまざまな作風に意欲的に取り組んできた新鋭が、満を持して500ページ超の大作を上梓した。新作『SOY! 大いなる豆の物語』は、大豆に導かれて一人の青年がおのれのルーツを探及する物語。といっても主題はファミリー・ヒストリーだけではない。もっともっと、壮大な話だ。
 27歳の原陽一郎は現在無職。筑波大学卒業後、IT関連の会社に就職するが過酷な環境に一年半で鬱病を発症して退職。父親ははやくに亡くなり、アパレル会社に勤務する母親は現在中国に赴任中で、一人で実家に暮らしながら不定期のバイトにいそしむ日々。高校時代の友人と始めたゲームづくりが思いのほか好調ではあるが、漠たる将来の不安はぬぐえない。そんな折、届いたのが謎めいた封書だ。Soyysoyaなる企業の前CEO、コウイチロウ・ハラがパラグアイで亡くなったため、遺産管財人になってほしいとの内容。招かれた汐留の支社で美味な大豆料理を前に聞かされたのは、1938年に南米パラグアイに移民し大豆栽培を始めた日本人、原世志彦が設立した協同組合を出発点とし、今や世界的な食料流通会社へと飛躍を遂げたのがSoyysoyaだということ。セニョル・ドン・ヨシヒコ・ハラの息子が、ドン・コウイチロウであり、その遺言で遺産管財人に指名されたうちの一人が「日本國岩手縣、原家直系の嫡男」だというのだ。どうやらドン・ヨシヒコは陽一郎の縁戚らしく、陽一郎はまさに原家の長男。突然つきつけられた内容にひるみ拒絶する陽一郎に対し、社の担当者は自分で心ゆくまで血縁関係を調べてみては、と提案。引っ込みがつかなくなった陽一郎は、独自に調査を開始する。
 故人である父親の故郷、岩手県に久々に足を運び疎遠になっていた祖父母や叔父、従兄弟と再会、また仙台で弁護士の大叔父に会って話を聞くうちに、曾祖父の弟、原四郎という男が、学生運動に身を投じたことから実家から縁を切られその後消息不明になったと判明。どうやら四郎は、その後各地でいくつもの変名を使っていたようで、最終的には世志彦と名乗っていたと思われる。さらに調べを進めて見えてくるのは、一人の男が大豆に託した夢と冒険であり、その背景にあるのは東北の歴史や自由民権運動、コメの歴史、南米へ渡った移民たちの生活、そして大豆をめぐるビジネスの世界的な変遷。
 それまで陽一郎は、どこか斜に構えて傍観者として社会を眺める、シニカルな男だった。しかし調査で出会ったさまざまな人々、事実に加え、農業関係のNPO活動に参加する女性への淡い恋や、友人らとのゲームづくりが直面する過酷な現実が、彼の心を揺り動かしていく。特に会社を追われ、ゲーム業界でも挫折する彼の姿は、実家を追われ、大豆ビジネスで苦難に直面した世志彦の姿や、当時の社会と重なりあう。だからこそ陽一郎は、おのれの生き方を見つめ直すことになる。
 人は過去を振り返ってばかりでは前に進めない。ただ、過去を知ることは、今の自分がどんな場所に立っているのかを知る手助けになる。自分のルーツを再確認し、縁戚にあたる人物が過去にどのような人生を送ったか、その時に日本は、世界は、どのように変わっていったのか。陽一郎は自分が今いる時代、場所は決して普遍的なものではないことに気づく。自分が行動してもしなくても、すべては移ろいゆく。その時、流れに身を任せるのか、自ら人生を選択して行動を起こすのか。さて、陽一郎の決断は?
 大正から現代にわたる、東京、東北、さらに満州や南米で繰り広げられる、人々と豆をめぐるストーリー。この大きな物語の存在に気づいた時、陽一郎と同じく読み手の眼前に広がる景色も変貌を遂げていく。タイトルの「豆」が象徴するのは大豆だけではないだろう。ひとつの鞘から生まれ出て様々な人生を歩んでいった原家の兄弟たちの姿だともいえるし、歴史の流れにおける一個人の豆粒ほどの小ささを表しているともいえそうである。でもそれは、副題にある通り、“大いなる豆”たちなのだ。

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