上田麻由子

第11回・まぼろしの騎士団殺し

『あんさんぶるスターズ!エクストラ・ステージ』〜Judge of Knights〜


※『あんさんぶるスターズ!エクストラ・ステージ』〜Judge of Knights〜の内容に触れています。未見の方はご注意ください。




 かつては気品あふれる鮮やかな戦いぶりでその名を轟かしたものの、今では徹底された個人主義のなかどこか本来の実力を発揮しきれないでいる「騎士団」。そこに、ついに永きにわたって不在だった「王さま」が帰還する。周りを振り回す型破りな振る舞いに「騎士道精神を感じない」と、眉をひそめる「新入り」。そんな彼に、王さまは互いの誇りを賭した決闘を申し込む。内部粛正のための決闘「ジャッジメント」を――。

アイドルの皮を被った権力闘争

 まるで中世の騎士道物語でも始まりそうな、仰々しい石造りの扉が映し出されたステージにあらわれる、四人の青年たち。濃紺のピンストライプのボトムスに、金糸が眩しい純白のジャケットを羽織った、王さまに仕える高貴な騎士団――しかし彼らがひとたび歌いだせば、指の先まできらめくその姿はまごうことなく「夢ノ咲学院」に通う高校生アイドル「Knights」であることがわかる。

 2015年4月の配信以来、200万ダウンロードを誇る携帯アプリゲーム『あんさんぶるスターズ!』(あんスタ)は、いまもっとも人気のある「学園アイドルもの」で、その舞台版である「あんステ」は、『刀剣乱舞』と並ぶチケットの取れない2・5次元舞台の代表だ。40人以上のアイドル(元アイドル含む)が競演する原作ゲームはしかし、その華やかさに反して物語はおよそ「アイドルもの」らしくない。男性アイドルの育成に特化した夢ノ咲学院で行われているのは、アイドルの「ユニット」が対バン方式で行われるライヴ「ドリームフェスティバル(ドリフェス)」によって覇権を目指す、一種の権力闘争なのだから。

 作品を特徴づけるのは、アイドルたちの麗しい見た目にそぐわない辛口な内面で、第一印象を裏切るジャブがとにかく強烈だ。たとえばプライドが高く実力があるがゆえに他者に厳しい瀬名泉に「チョ〜うざぁい」と言葉の刃を向けられ、「これぞ王子様」という整った顔立ちの鳴上嵐に救いを求めればごきげんなオネエ口調で返され、朔間凛月は道端ですやすやと寝入ってしまうマイペースさで自称・吸血鬼として血をねだってくる。唯一の一年生で「新入り」の朱桜司は礼儀正しく慕ってくれるものの、育ちが良すぎてなにかが決定的にズレている。舞台では登場しないが、ゲームではプロデュース科への転校生の立場から、彼らの言動に面喰らったり唖然としたりで忙しい。
 

産声を上げるオペラ

 そもそも、舞台三作目にして、初めてメインストーリーではなくイベントストーリーを取り上げたこの『あんさんぶるスターズ!エクストラ・ステージ』〜Judge of Knights〜(原案は2015年9月30日〜10月10日開催の「反逆!王の騎行」)のテーマである内部粛正のための決闘を、高校生アイドルユニットが行うという時点で普通ではない。Knightsのライヴのなかで、彼らがその身に代えても守ろうと跪き忠誠を誓う「あなた」への語りかけは、他のユニットにくらべ厚いといわれるファンサービスと相まって、客席にいるファンひとりひとりをお姫様気分にさせてくれる。そのため、ライヴだけを見ればKnightsは王道のアイドルに思えるかもしれない。

 しかし、この「あなた」は同時に、バラバラである彼らを「騎士団」としてつなぎとめる、月永レオという「王さま」をも指してもいて、一種ホモソーシャルな世界観を示唆してもいる。あるいはレオに仕えるいわばルークとビショップ、助さん角さんたる瀬名泉と鳴上嵐のコンビは、その潔癖さと全能感、社会への違和感と苛立ち、その裏返しの脆くかわいいものへの偏愛などがときに、むしろ女子高生という表象をもって描かれるものの残酷さに近接し、憧れを生むだけでなく現役の少女、あるいは元少女たちの思春期の古傷を抉りもする。

 そんなふうに「普通ではない」がゆえに他方向への関心をひらく夢ノ咲学院のアイドルたちに、気づいたら愛着を持ってしまっているのは、決して甘口ではないその態度や純粋培養されすぎた個性が、ともすると「お客様は神様」化してしまう2次元・3次元アイドルへのアンチテーゼとして、一周回ってのびのびと自由で眩しく感じられるからかもしれない。一見、奇妙に思えるキャラクターも、月に二回、二週間ばかりランダムに開示される「イベントストーリー」という連作短編のなかで背景が明かされるにつれて、徐々に説得力を持っていく。夜空にきらめく星たちのあいだに関係性という星座がつながれ、ほどかれ、またつなぎなおされていく。それを見上げながら、毎日「いま」という時間をこつこつと捧げコミットしているうちに、彼らの存在はかけがえのないものになっていく。
 

磨かれた剣

 ゆえに「あんステ」においてなによりもわたしたちの心をとらえるのは、アイドルたちが目の前に「いる」という、シンプルな事実だ。息をして、動いて、歌って、踊って、ふとしたときに退屈そうに宙に目を泳がせ、かと思えばライヴが始まればこちらじっと見つめる、その一挙手一投足を、たとえ二時間半とはいえ眺めていられること。アイドルの「生」をまざまざと感じ、瞬間ごとに積み上がっていく「Knightsは(本当に)いる」という、確信。そもそもが儚いアイドルのなかでも、とりわけ不安定な存在であるアプリゲームのアイドルが、まるで種に水をやるようにユーザーが愛情を捧げつづけたことによって、ついに生身の肉体のなか花咲いた――この「あんステ」を観ていると、そんな錯覚を覚えてしまうのだ。その奇跡に自然と涙がにじみ、2・5次元というジャンルの原始的な喜びに立ち返ることができる。

 もちろん、その「いる」という思いを支えてくれるのが役者の力であり、本作ではそれがなによりも大きい。とにかく顔面偏差値で殴るKnightsという、非常に2次元的な設定を納得させてくれる美貌はもちろんのこと、瀬名泉(高崎翔太)と鳴上嵐(北村諒)の付かず離れずの絶妙な距離感は、二人が狂言回しをつとめた舞台一作目『あんさんぶるスターズ!オン・ステージ』からおなじみのものである。舞台の隅っこで眠る朔間凛月(荒牧慶彦)の存在感は気まぐれな猫のように愛らしく、そのいっぽうでいざライヴが始まるとライトに照らされた刹那、赤くきらめく双眸は、彼が忌み嫌う兄の零と同じ「血」を思わせ、思わず身震いしてしまう。朱桜司の初々しさを伝える北川尚弥の安定感は、自由奔放なだけでなく曲者のような、それでいてどこか壊れた印象もある橋本祥平演じる月永レオとの良いコントラストになっている。2・5次元で研鑽を積んできたスターの共演は、ゲームのなかでも一、二を争う人気ユニットの舞台化にふさわしい。
 

壊れた夢の残骸

 話をもとに戻そう。本作は、これまでKnightsが他のユニットを打倒するためにやってきたお家芸の「デュエル」(繰り返すがこれは権力闘争なのだ)が、内部粛正の「ジャッジメント」として、それも「王さま」である月永レオみずから「ナイトキラーズ」(騎士を殺す者)という臨時ユニットを作って行われる。つまり、Knightsというユニットそのものの存続の是非が問われる、レオ曰く「歌って踊って殴り合って愛し合う、俺たちの痴話喧嘩」だ。

 自分の「青春そのもの」だった「かけがえのない居場所」を、自らの手で破壊する――それは、天才作曲家でありながら「大人になんかなりたくない」と、その奔放な言動でさんざん同級生の瀬名泉の手を焼いてきたレオという男の子が成長するために必要な、ひとつの通過儀礼なのかもしれない。実際、ライトベル作家、日日日によって「少年漫画」をアウフヘーベンしながら生まれた原作の「あんスタ」において、「卒業の近い先輩からの果たし状」は、お決まりのシナリオの一つになっている。

 しかし、それ自体はシンプルに思える成長譚も、ゲームのなかの別の「ストーリー」を知れば、その余白の豊かさに驚かされるだろう。たとば、レオが画策したこの「悲喜劇」は、『追憶 モノクロのチェックメイト』(2017年5月31日〜 6月1日配信)を読んでいれば、自らに降りかかった惨事を糧に、心臓にペンを突き立て血のインクで綴るように生み出されていることがわかり、その壮絶で哀しい作家魂に驚嘆せずにはいられない。あるいは、彼がクラスメートだというだけの理由で「ナイトキラーズ」のメンバーに選んだ「fine」の天祥院英智は、メインストーリーでは倒すべき「皇帝」として描かれており、そんな彼が「僕にもこんな人生があったかもしれない」と満面の笑みでステージを楽しんでいる姿には、周りを幸せにするレオの作家としての技能(それこそ「アイドル」としての才能でもある)を感じる。いずれにせよ今作における、レオ自身の過去の姿とも重なる少年漫画の主人公のように純粋でまっすぐな「新入り」朱桜司との出会いが、彼にとって、あるいは他のKnightsのメンバー――いつもは傍若無人な「お兄ちゃん」たちの意外な面倒見の良さが伺い知れることは、本作のおおきな魅力だ――にとっていかに僥倖であったか、そこには見た目以上の深遠さがあるのだ。
 

ケミカルライトが照らす世界

 さて、本舞台ならではの要素にも目を向けよう。ミュージカルファンなら『モーツァルト!』を連想してしまうようなレオの奇行(レオがこの音楽家に愛憎相半ばする感情を抱いていることは短編「Lionheart」を参照のこと)に目を白黒させつつも、スタジオの床や壁に書き散らされた楽譜に、「新入り」の司が目を留めその才能に思わず引き込まれるシーンがあった。プロジェクションマッピングで壁に映し出されたこの楽譜の一部には、かろうじて「みらいをともに」という歌詞が読みとれる。これがゲームシナリオの配信後にリリースされたユニットソング「Checkmate Knights」の歌詞の一部であることは、曲を知らずとも終盤のライヴで気づくことだろう。この言葉は、かつて「ボロボロになってまで守り抜いた」Knightsを自らの手で葬り去ろうとしているレオが、そのいっぽうで抱いていたひとつの願いとして、本舞台のなかで新たな意味を帯びている。

 ライヴといえば、2・5次元舞台、とりわけアイドルものにおける大きな目玉であり、なかでも「あんステ」はライヴパートを本編と峻別することなく物語中にライヴが何度も挿入される。昨今のアイドルものアプリゲームに珍しく、原作である「あんスタ」ではゲーム中に3DCGによるライヴシーンはもとより楽曲そのものも使われていないがゆえに(ユニットソングは「後出し」で別途リリースされる)、初めてキャラが動いて歌って踊っていることのインパクトは、アニメ化に先行していることもあり絶大だ(前作よりパワーアップした紅月、fine、そして新たに「男の子版ネオアコソング」のキュートなライヴを実現させたRa*bitsのパフォーマンスは、まさに2・5次元ならではのものだった)。文字どおりライヴで始まりライヴで終わる本作は「あんステ」の強みを十二分に発揮していたといえるだろう。

 また、本編ラストのモノローグでは(公演中のため詳細は伏せるが)、観客がサイリウムを持ってライヴに参加することの意義をあらためて考えさせられた。夢ノ咲学院のドリフェスにおけるサイリウムは、自らもアイドルを目指す生徒たちが戦いの勝者を決めるための採点手段だった。しかしこの「あんステ」でサイリウムを振るのはあくまで観客であり、そこにはアイドルのライヴにおけるエール以上の意味がある。わたしたちは、まるで古代の洞窟に描かれた象形文字をなんとか解読しようと松明をかざすように、あるいは「Checkmate Knights」で「ケミカルライトが照らす」と歌われた(このパートを歌うのがゲームの鳴上嵐の声も担当し、文字どおり2次元と2・5次元の橋渡しをしている北村諒であることは示唆的だ)彼らが立つべき「世界」がそこにあると教える誘導灯のように、必死にサイリウムを振る。手につい力がこもってしまうのは、そこに立ちあらわれた影絵のようにゆらめくアイドルがいかに儚いか知っているからだ。そうして、彼らの「いま」を少しでも永らえさせようと、わたしたちはいつまでもサイリウムを振りつづける。焚き火に薪をくべるように、祈りの儀式のように、そしてなにより、ひそやかな忠誠を捧げるために。

関連書籍