生き抜くための”聞く技術”

第11回 聞くこと、そして傍観者になること

なぜ傍観者になってしまうのか?

 前回、ジェノサイドという言葉を紹介したよね。ひとつの人種や民族など特定の人々を根絶やしにする意図をもって行う大量殺害といった意味だ。

 きょうはもうひとつのジェノサイドについて話したい。ジェノサイドは人間の極限の悪とも言えるから、それと「聞く」ことのつながりは何度考えても足りないくらいだと、ぼくは思っている。

 でもきょう話すのは、ルワンダで起きたように「敵対心をあおるような言葉や指示を聞いて民衆が殺害に参加した」ケースじゃない。もっと受動的で、ぼくらも容易に陥ってしまいがちな「ある精神状態」についての話だ。それはぼくたちが熱狂のなかで他の人種を殺害してしまうことより、より現実的に起こりうること、そしてそれはあっという間に世のなかを覆いつくしてしまう悪を許してしまうことのように、ぼくには思える。

 それは「聞くことで、傍観者になってしまう」ことだ。

 順番に話していこう。

 第二次大戦中、ナチスドイツがユダヤ人を大量虐殺したことは知っていると思う。戦後、その全貌がわかってくるにつれ、人間とはこんなことをしでかしてしまう動物なんだと、世界を震え上がらせた出来事と言ってもいい。これまでさまざまな研究がなされ、今も検証が続いている。文学や映画といった芸術の分野でも繰り返し取り上げられ、殺害した側とされた側双方の人間の探求も終わる気配はない。

 犠牲者の数は諸説あるが、600万人とも言われている。彼らはドイツが支配下に置いた各地につくられた強制収容所に送られて銃殺されたり、ガス室に送られたり、あるいは過酷な環境の労働を強いられて餓死したり、病死したりするケースも多かった。

 それにしてもすごい数だよね。もしみんなが仲間たちを集めて殺害を企てたとして、何人を殺すことができると思うだろう。いや、ひとりも殺せないし、殺したくないって? そうだと思う。でもあえて考えてみてほしい。どうしたら600万人もの人間を殺すなんてことができるのかを。

 3つの要素をあげておきたい。

 ひとつは、アドルフ・ヒトラーという人間の存在だ。

 ヒトラーはもう言うまでもないだろう、ナチ党を率いた独裁者だ。彼は第一次大戦にドイツの兵士として参加し、ドイツの敗北に大きなショックを受ける。そこでこんな思考に陥る。次の戦争に勝つには、ユダヤ人を排除しなければならない。古くからユダヤ人を差別する意識がヨーロッパの底流で見え隠れしていたとはいえ、ヒトラーはユダヤ人を極度に嫌っていた。当時広がっていた共産主義の活動に少なからぬユダヤ人が参加していたことも影響して、彼らは革命をそそのかすいかがわしい存在だと、ヒトラーの目には映った。ユダヤ人を野放しにしておけば、社会は混乱し、来るべき戦争にもまた負けてしまうと考えたのだ。

 1920年につくられたナチ党の綱領でも、わざわざユダヤ人を名指ししている。

 「民族同胞だけが国民になれる。宗派にかかわらずドイツ人の血を引く者だけが、民族同胞たることができる。したがってユダヤ人は民族同胞にはなりえない」

 つまりユダヤ人排除というヒトラーの信念が党の出発点になり、実行すべき「政策」になっていくのだ。

 政権をとったナチ党は当初、ユダヤ人を国外に追放することを模索する。フランス領のマダガスカル島に移住させる計画なども検討されていたという。しかしふたたび戦争が始まって戦況が悪化すると、それも難しくなる。そして追放は殲滅(せんめつ)に変わる。ユダヤ人をこの世から消してしまうことにしたのだ。

 歴史学者であるセーラ・ゴードン氏は、こう語っている。

 「何百万ものユダヤ人やその他の犠牲者は近づく死を前にして目を閉じ、『死なねばならぬことはなにもしていないのに、なぜ私は死なねばならないのか』と思い巡らせたはずだ。それは権力がひとりに集中し、その男がたまたまその人種を嫌っていたからでしかない」

 しかしどんなにヒトラーがユダヤ人を嫌っても、ひとりで600万人を殺すことは不可能だ。それを可能にした、もうひとつの要素は近代的な組織だ。

 ユダヤ人を強制収容所に送り込んで殺害するにはどんなプロセスが必要だったのか、想像してみてほしい。

 まずユダヤ人がどこにどのくらい住んでいるのか、その特定をしてリストを作る人が必要だろう。どういう順番でどこの収容所に送るかの計画を立てる人もいなければならない。さらにその計画に従って、ユダヤ人を強制的に連れてこなくちゃいけない。そのためにトラックや鉄道といった運送手段を確保し、運行する人々が不可欠になる。そして強制収容所に着いたら、そこでも多くの人間が必要となる。看守など収容所の管理をする人間たち、人体実験をするなら医師が、拷問をするならその技術を持った人間が求められるだろうし、殺して穴を掘り、埋めるという作業も次々とこなさなければならない。

 何百万人を殺すためには、そうしたプロセスをこなしていく組織が不可欠なのだ。そういう意味では、怖い話だけど近代社会だからこそなしえた大量虐殺と言えるのだ。

 アドルフ・アイヒマンがまさにその象徴となるだろう。

 彼はユダヤ人を強制収容所に送る移送プロジェクトを担い、その任務を着実に実行した。のちに裁判にかけられた彼の姿を見た人々は戸惑った。それは彼が極悪人というより、ごくふつうの人間、ただの小役人にすぎなかったからだ。そしてアイヒマンは言った。「命令に従っただけだ」と。

 組織の歯車として分業という形をとれば、人間はたいした罪悪感を抱くことなく、大量殺人に加担できるのかもしれない。裁判を傍聴したドイツ系ユダヤ人の哲学者、ハンナ・アーレントがアイヒマンを「凡庸な悪」と表現したことは、大量殺人を可能にした近代の官僚制度を見事に言い当てている。

無関心と沈黙がさらに被害を拡大させた

 そしてもうひとつ、大量殺人を可能にした3番目の要素は、人々が「傍観者」になってしまったことだ。ここが今回、もっとも話しておきたいことだ。

 ナチ党は当初、ユダヤ人への憎悪をかきたてて、人種差別的政策、ひいてはユダヤ人の迫害に、国民も加担してほしいと考えていたという。ところがそれが難しいことを指導者たちは思い知ることになる。

 1938年の11月のある夜、ドイツ各地でユダヤ人居住区が次々と襲撃され、放火される事件がおきた。破壊されたガラスが月に照らされて光っていたことから「水晶の夜」と呼ばれる事件だ。襲撃したのはナチ党の影響下にあった突撃隊のメンバーたちだったのだけど、ルワンダのように触発された一般の人々が次々と襲撃に加わり、という具合にはいかなかった。

 その代わり「圧倒的多数の人間はそれから目をそむけ、それに耳をふさぎ、そして何よりもそれについて沈黙した」と、社会学者のジグムント・バウマンは表現している。

 その後、ユダヤ人が強制収容所に次々と連れていかれるようになってからも、大衆はそれに加担する代わりに、沈黙した。バウマンの言葉を借りれば、耳をふさぎ、沈黙し続けたのだ。抗議するでもなく、阻止するわけでもない消極的な支援があったからこそ、大量殺人のプロセスを粛々と進めることができたと言ってもいい。

 ルワンダのケースでは普通の人々が虐殺に加担したことで、犠牲者の数が増えていった。ところがナチスのホロコーストでは、普通の人々の「無関心」と「沈黙」が大量殺人を可能にしたと言ってもいい。

 もちろんユダヤ人が収容所かどこかに集められていることは知っていても、まさにそこで殺されていることまでは知らなかったという市民も多かっただろう。それでもユダヤ人が劣等民族としてひどい扱いを受け、一緒に暮らしていた街から強制的に排除されることを阻止しようとはしなかった。かくまってあげることも出来たかもしれないけど、一部の例外をのぞけば、そんなことも起きなかった。ほとんどの人は見て見ぬふりをし、耳をふさいだのだ。

 それではなぜ、人々は傍観者になってしまったのか。

 自分たちにも危害が及ぶかもしれないという、恐怖だったのかもしれない。あるいは自分たちの政府がやっていることだから従おうという意識が働いた面はあるだろう。同時にナチ党がユダヤ人への憎悪をかきたてる言葉を繰り返し聞かされるうち、彼らはどんな目にあおうともしょうがない連中だという刷り込みが働いたのかもしれない。つまり「聞くことが傍観者になる」ことを手助けしたとも言えるのではないか。

 さらにユダヤ人が追い出されたおかげでいいアパートの部屋に入れた人や、そこにあった家具を安く手に入れた人もいた。つまりユダヤ人迫害の恩恵を受けていた市民もいたという。

 こうしたことをぼくたちはどう考えればいいのだろう。
 クラスで誰かがいじめられているとき、会社で間違ったことが起きているとき、地域で
特定の民族の人がヘイトにあっているとき、政府が国民を間違った方向に連れて行こうとしているとき、あげればきりがないけれど、そうした局面でぼくたちは無関心に陥らずに、声を上げたり、行動を起こしたりすることができるだろうか。


 聞くことで、とんでもないところに連れていかれることもある。しかし聞こうとしないことで、共同体をむしばむ悪を容認してしまうこともある。そしてそれは、ぼくたちの日常でいとも簡単に起きてしまう。
 どう聞くかも大事だけれど、同時に耳をふさいで聞こうとしないでいる自分を常にいましめること、もっと言えば、聞いたことに自分はちゃんと向き合っているか、そうした問いを心のなかで繰り返すことも、とても大切だと思う。
 

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