日本人は闇をどう描いてきたか

第十二回 閻魔王 ――断罪の時

日本美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれるのか、その先にある救い、そして笑いとは――作品に即して読みとく、闇からの日本美術入門。第十二回は、死後の一場面を描いた掛幅から。

地獄か極楽か

 仏教では、人は死ぬと次なる転生先が決まるまで、中有(ちゅうう、中陰とも)という期間を過ごすという。茫漠とした無明(むみょう)の世界である。その間七日ごとに裁きを受けなくてはならない。生前に善行を多く積めば浄土に往生することができるが、悪行が多いと六道輪廻のくびきから逃れることができず、悪くすると畜生や餓鬼に生まれ変わり、最悪の場合地獄へ堕ちてしまう(第一回第六回参照)。
 ではそれはいつ決定するのか、誰が決めるのか。中世の日本では、死後の裁きをつかさどる十人の王、つまり十王信仰(じゅうおうしんこう)が社会の広い層に広まっていた。

裁きの期間

 死後の裁判を有利に導くための、七七斎(しちしちさい)という仏事がある。七七日、つまり七×七=四十九日の間、七日ごとに仏事を行う。現在も日本社会に広く定着している初七日(しょなのか)や四十九日(しじゅうくにち)の法事は、ここに由来する。
 中世日本では、現在と同じく遺された近親者によって執り行われることもあれば、自身の死後に備えて生きている間に自ら行う場合もあった。これを逆修(ぎゃくしゅ)という。死後の不安を払拭するため、生前に善行としての仏事を貯蓄しておくのだ。浄土信仰が広まり、死後の世界への関心がたかまることで逆修の仏事も増えていった。

十人の裁判官

 七七日までの裁きを行う、秦広王(しんこうおう、初七日)、初江王(しょこうおう、二七日)、宋帝王(そうていおう、三七日)、五官王(ごかんおう、四七日)、閻魔王(えんまおう、五七日)、変成王(へんじょうおう、六七日)、太(泰)山王(たいざんおう、七七日)という七人の王がおり、本来はここで結審すると考えられていたものが、次第に長期化して、百箇日の平等王(びょうどうおう)、一周忌の都市王(としおう)、三回忌の五道転輪王(ごどうてんりんおう)を加えて十王が揃った。
 十王に関する典拠経典は、唐代に成立した『仏説預修十王生七経(ぶっせつよしゅうじゅうおうしょうしちきょう)』(以下『預修十王経』と略称)と、これに基づき、日本で平安後期に成立したとみられる『地蔵菩薩発心因縁十王経(じぞうぼさつほっしんいんねんじゅうおうきょう)』(以下『地蔵十王経』と略称)の二種がある。いずれも、サンスクリットには原典のない偽経(ぎきょう)であることから、十王信仰は、唐時代の中国で、仏教と道教が混交して成立したものと考えられる。

閻魔の起源

 日本では、十王のうち特に五七日(ごなのか)の閻魔王が広く知られ、時に独立した尊格として礼拝された。閻魔王が特別な信仰を集めた理由に、密教の守護神である十二天との関係がある。
 十二天は、インドの在地の神々に源流があり、仏教に帰依することで守護神となった。八方(東西南北に、東北・東南・西北・西南)を守護する八天に、地・天・日・月の守護神を加えて十二天とする。そのうち、南方を護るのが閻魔天(えんまてん、焰魔天、炎魔天とも)」である。閻魔天は除病・息災・延命・安産祈願の修法に効験があるとされ、平安時代には、単独の閻魔天画像や、その周囲に諸眷属(けんぞく)を配置した閻魔天曼荼羅が使用された。
 つまり、閻魔天は南方を守護することに加えて人の生命を守る役割を帯びていた。『大日経』に基づく「胎蔵界曼荼羅」には、南方にあたる画面右端に閻魔天が描かれ、その周囲に、冥界で迷うやせこけた死鬼衆が描かれている。このような閻魔天の性格が、十二世紀の日本で、延命や安産の本尊として閻魔天が信仰されることにつながるのである。独尊の閻魔天は菩薩形(ぼさつぎょう)であらわされることが多く、その表情は人間の生命を見守る慈愛に満ちている。

閻魔天から閻魔王へ

 ところが、平安末期から鎌倉時代初頭にかけて、憤怒形(ふんぬぎょう)の閻魔天が登場する。菩薩形から憤怒形へ、造形が百八十度変化した背景には、この時期の日本における十王信仰の浸透と、これを促した浄土信仰からの影響がある。
 もともと多義的な性格を帯びていた閻魔の諸要素が、平安時代の日本で次第に混淆し、平安時代末期に、除病・息災・延命・安産祈願などの現世的利益とともに、死後の安寧、特に悪所への転生を防ぎ浄土への往生を裁可する尊格としての性格を強めた。
 さらに、中世初頭に、専修念仏を提唱した法然や悪人正機説を提唱した親鸞らの活動によって、死後の世界への関心と怖れが増大した結果、生死の境界線上でこれをつかさどる閻魔天がクローズアップされ、十王信仰と習合し、現在の私たちも良く知る「死後の裁判官としての閻魔王」が登場するのである。

業を映す鏡

 時代の要請に応え、絵画作品の中にも閻魔王が姿を現す。これまでにも何度か取り上げた「六道絵」(聖衆来迎寺蔵)には、閻魔王庁を描く一幅が含まれている。

【図】「六道絵」閻魔王庁幅(国宝、滋賀・聖衆来迎寺蔵)
画像出典:源信 地獄極楽への扉(2017年、奈良国立博物館)より

 この「六道絵」全体の典拠となった『往生要集』は平安中期の成立であるので、そこでの閻魔王の役割は必ずしも大きくない。そうであるにもかかわらず、鎌倉時代に制作された本作では、全十五幅を、あたかも閻魔王を中心に据えたかのように構成している。
 しかも、「閻魔王庁幅」画面上方の左右に区画された色紙形には、『地蔵十王経』『預修十王生七経』の両経を典拠とする銘文が記されているので、『往生要集』からの逸脱が、制作者たちにとって意図的なものであったことが分かる。では、そうまでして六道絵の中に組み込んだ閻魔王にはどのような役割が期待されているのだろうか。この画面の典拠の一つである『預修十王生七経』では、閻魔王について次のように記述する。

第五七日過閻羅王、讃曰、五七閻王息諍声、罪人心恨未甘情、策髪仰頭看鏡、始知先世事分明 
(現代語訳:第五七日に、閻羅王の裁きを受ける。讃文で次のようにいう。「五七日の閻王が諍いの声をとどめる、罪人の心の恨みはいまだ深い、髪をつかんで頭を引き上げ鏡を見せると、はじめて前世でなした自分の悪事を悟るのである」)

 また、同じ内容が「閻魔王庁幅」左上の銘文にも、やや詳しく次のように記されている。

経云(取意)五七日遇閻羅王裁断、冥官策罪人髪仰面令見業鏡、先業毫末無差、諍声於茲息亡人驚悔逼心、前知有業鏡敢不造罪、覧鏡如削身争令知苦悩
(現代語訳:経の内容をかいつまんで説明すると、五七日に閻羅王の裁きに遇(あ)う、冥官が罪人の髪をつかんで面を上げさせ、業鏡(ごうきょう)を見せる。自分の前世に少しの過ちもなかったと主張していた罪人であったが、諍いの声はすぐにやみ、亡者は驚きと後悔が心に逼(せま)る。以前から業鏡があることを知っていたならば決して罪を犯すことはなかったであろう、鏡を見ると身を削られるようである、こうして本当の苦悩を知るのである)

 『預修十王生七経』、銘文ともに記されている、業鏡(ごうきょう)を用いた閻魔王の裁きは、現代人にもなじみ深いものであろう。画面では、縦長の鏡の前に連れてこられた亡者が、獄卒によって髪をつかまれそこに映った情景を無理やり見せられている。鏡の表面には、僧侶を殺害する武士の姿が映し出されており、この亡者が、殺生の罪と出家者を軽んじ害した罪、二重に大罪を犯した者であるという動かぬ証拠が示されている。

観察する神と、記録する神

 さらによく目を凝らすと、閻魔王の周囲にいる眷属の幾人かが、木札や巻子、そして筆などの筆記用具を持っていることに気づく。まず閻魔王のいる宮殿の中には、階(きざはし)を上り切った左右に、各々木札と筆、巻子と筆を持つ二人の冥官が控えている。
 本作のもう一つの出典である『地蔵十王経』の冒頭には、閻魔王とその眷属の名が列記されており、その中に「司命令神」と「司録記神」がいる。前者は命令の神、後者は記録の神である。一般に「司命」「司録」と略して呼ばれることが多く、「閻魔王庁幅」の銘文にも「祠命祠録」の名が登場する。画面向かって右方が木札を持ち閻魔王の命令を伝達する司命、左方が巻子を持ち記録する司録と解釈できる。
 彼らは、人間が生まれた時から死ぬまでともに付き従う神で、別名で俱生神(ぐしょうしん)とも呼ばれる。人の行いを観察し善行を勧めるのが司命の役割で、その結果としての一切の行いを記録するのが司録である。つまり、人は生まれてから死ぬまで、全ては司命と司録によって観察・記録されており、嘘偽りでごまかすことは決してできないのである。
 これは絵空事ではなく、おそらく中世日本人には広く共有されていた通念である。人間として生きている以上、一切の罪業から完全に免れることは不可能であるのに、それが全て仏の眷属によって監視されているのである。その息苦しさが、中世を生きる人々の関心を作善に向かわせ、その結果としての壮麗なる中世仏教文化だとするならば、光を生み出した闇の深さははかりしれない。

火焰と光

 業鏡の下にも、朱塗りの机で筆を執る冥官がおり、彼は裁きの結果を筆録しているのであろう。鏡にこれだけの悪行が映し出されているのであれば、この亡者の行く先は地獄にほかならない。鏡の上方には、尖端に憤怒形の頭がついた、閻魔王の持物が描かれている。色紙形の銘文では人頭幢(にんずどう)と呼ばれており、これも、裁きに際して人の善悪を閻魔王に奏上する役割を担う。大きく開いた人頭幢の口からは火焰が放たれ、鏡越しに亡者を射抜いている。
 人頭幢は、檀拏幢(だんだどう)と表記される場合が多く、密教図像の伝統では閻魔天を象徴する三昧耶形(さまやぎょう)として表される。造形の上でも閻魔天の持物として表されるものであった。さらによく見ると、画面向かって右方に描かれたもう一本の人頭幢は菩薩形で、その口元から金の光が放たれ、蓮華の花びらも舞っている。光は、その直下にひざまずく亡者に向けられており、帽子をかぶり威儀を整えた彼の姿は、他の亡者と明らかに一線を画す。これは善行の多さで断罪を免れた者の姿なのであろう。善悪に従って人頭幢の口から火焰や蓮華が放たれるという説も、密教の儀軌に広く採録されている要素である。
 つまり、この場面に人頭幢が描かれることによって、中尊である「閻魔王」に密教の「閻魔天」としての姿が重ねられてもいる。閻魔王には、単なる断罪者ではなく、善悪行に基づいて、生死輪廻の秩序を正す正義の守護者としての役割が期待されていた。

祈りの場

 「閻魔王庁幅」の役割をこのようにとらえた時、この「六道絵」に向けられた、どのような願いや祈りが浮かび上がってくるだろうか。
全十五幅の中には、「譬喩経所説念仏功徳幅(ひゆぎょうしょせつねんぶつくどくふく)」と「優婆塞戒経所説念仏功徳幅(うばそくかいきょうねんぶつくどくふく)」の二幅が含まれている。両幅とも、阿弥陀如来の名を念じることで地獄から救済された場面が描かれている。ただしこれらの場面に阿弥陀如来は登場しない。この念仏は、一体誰に向かって発せられたものであろうか。これまで見てきた、閻魔王の性格を考え合わせると、これらの念仏功徳幅が、本尊としての閻魔王を想定したものである可能性が浮かび上がってくる。
 この二幅に取り上げられた説話は、死後地獄に堕ちそうになった登場人物が、近親者の助けを得て念仏を称(とな)え救済されるという点で共通している。つまり、近親者による追善の重要性を説いているのである。
 このような絵画が掛けられる空間は、やはり追善や逆修供養の場として想定することが最もふさわしい。その際、閻魔王は中尊として機能し、法会に参集する者を厳しい怒りの表情で訓戒するいっぽうで、善行を勘案して罪を免じる役割が期待されたであろう。
 右の人頭幢の下に、頭上から光明と散華を浴びてひざまずく男。ここには、彼の善行が認められ、堕地獄をのがれた劇的な瞬間が描かれている。聖衆来迎寺本「六道絵」全体に描かれた壮大な世界観を前にすると、あまりにも小さな場面であるが、閻魔王が司る裁きの庭における免罪と福徳の獲得、これがこの「六道絵」に求められていた祈りのあり方だったのではないだろうか。

関連書籍