考える達人

コラム「人生というものを、どう捉えればよいか?」

4人の達人との対談を終えた石川さん。今回は番外編として、石川さんがなぜこの連載を始めたか、を書いていただきました。「人生は、因果か、因縁か?」--はたして、どういうことなのでしょうか? 

「人生というものを、どう捉えればよいか?」
 という問いが胸を離れなかった頃、試行錯誤した末に、私はつぎのような結論にたどり着いた。
「人生を因果として捉えるか、あるいは因縁として捉えるか」
 どういうことか、その心を説明させてほしい。人生を因果として捉えるとは、成し遂げたい明確な結果をイメージしながら、その原因(結果を達成するために大事なこと)を意識しながら生きるということだ。山や谷はあるだろうが、おおよそ直線的な人生になるのだろう。
 その一方、人生を因縁(ネットワーク)として捉えるとは、どこに向かうかは分からないが、出会いというご縁を積み重ねると、いつかどこかには着くでしょうという発想だ。
 私のように飽きっぽく、大した野望を持たぬ人間は、「人生は因縁である」と捉えた方がはるかに生きやすいではないか。
 ……そう結論が出た時に、ふっと心が軽くなったのを、今でもハッキリ覚えている。それ以来、出会ったご縁を大事にすることだけを心掛け生きてきた。それは何も、頻繁に連絡をとったり、食事にいったりするというわけではない。むしろ、私はそのようにつながりをメンテナンスするのは、苦手中の苦手だ。メールはほとんど読まないし、読んでも返事をしないし、積極的にイベントに出かけるタイプでもない。
 そういうことではなく、「一期一会を大事にする」ということであった。言い換えれば、ヒトと直接出会うことの価値を、無駄にすることなく高めていけるか、ということでもある。
 すると不思議なことが起こった。出会った人が、次に出会う人を紹介してくれるようになったのだ。まさに、ご縁が次々と起こって、縁起になり始めたのである。
 とはいえ、さすがに一度会っただけでは、十分に相手のことを学ぶ機会も少ない。かといって、アポイントをとって二人だけで会うのも照れくさいし、性に合ってない。
 そんな悩みを兄貴のように慕っているフレンチのシェフである松嶋啓介さんにしたら、「だったら、対談をしたらいいんじゃない?」と提案して頂いたのが、今から数年前。以来、数多くの人と対談をさせて頂いた。
 実際にやってみると、なんとも面白いもので、
・おしゃべり
・ディスカッション
・対談
 はそれぞれ全く異なる展開をみせる。この文章の主眼ではないので、それぞれの違いについて詳述はしないものの、「対談」が興味深いのは、私と相手との談話を、構成作家さんが構成してくださる点にある。特にこの連載での対談は、長年お世話になっている、斎藤哲也さんという敏腕すぎる作家さんに構成頂いている。
 すると、対談自体は二人でしているものの、それを第三者のレンズをとおした瞬間に、「なるほどー、こういう対話をしていたのか!」と合点がいくような経験をたくさんするのだ。当然、学びもより深く、広くなる。
 ……さて、話を元に戻したい。
 人生というものを、因縁として捉えることで合点したものの、新たな問いが私の胸を打ち始めた。それは、次のような問いである。
「そのご縁は、ただ広がっているのか、それとも前に進んでいるのか?」
 もちろん、新たな出会いはいつも心躍るものであるが、ただただ広がるだけだと、それでは人生の迷子になってしまうかもしれない。しかし、たとえ霧に包まれていようとも、遠くの光に向かって、前に進んでいる限りは、一つ一つのご縁は振り返ると確かにつながったネットワークになるだろう。
 そう考えたとき、初めて私は、自分がどこを目指したいのかという問題に、真剣に向き合うことにした。2017年のことである。
 ……が、やはりよくわからなかった。因果の道を歩んでこなかった自分である。そう簡単に、視線の先にある地が見えようはずもない。
 しかし、ドラゴンクエストだって、勇者たちは最初、どこに向かいたいのか誰もわかってないではないか。それよりもまずは足元を固めることだ。具体的には、自分の武器を強くしよう。
 そこまで考えた時、また一つの問いが胸に浮かんだ。
「自分は考えることを武器にしているが、そもそも考えるとは何だろうか?」
 ……分からない。改めて振り返ると、「考えるとは何か?」ということを、人生で一度も習ったことがなかった。これは裏を返せば、考えるとは何かという問いは、まだ誰も体系的にまとめていないという証左でもあろう。
 であるならば、ドラゴンクエストの勇者たちが、最初は賢者に知恵を求めるように、私も現代の賢者たちを訪ねてみようではないか。
 そのような経緯で始まった、この連載。

 ぜひ、これからもご注目ください!