ちくま新書

「過激派」と「穏健派」の争点

「イスラーム」にどんなイメージをもっていますか? 過激なイメージや戒律が厳しいイメージがあるかもしれませんが、それはほんの一側面に過ぎません。 「テロ」に警鐘を鳴らすのでも、「平和な宗教」と擁護するのでもない、思想的な争点を解き明かした、松山洋平『イスラーム思想を読みとく』の「はじめに」を公開します。

 近年、「日本でもイスラームへの関心が高まっている」とよく言われるようになりました。しかし、「イスラーム」という言葉によって意味されるものはケースごとにまったく異なるようです。
 宗教としてのいわゆる「イスラーム教」としての意味だけではなく、イスラームが支配的な地域や国、あるいはそこに暮らす人々のことを「イスラーム」という言葉で指し示すことも少なくありません。つまり、「イスラーム地域」や「イスラーム諸国」、「イスラーム教徒」など、さまざまな対象の略語として「イスラーム」という言葉が使われているのが現状です。
 このような状況ですから、本書において、どのような意味で「イスラーム」という言葉を用いるのかをあらかじめ確認しておく必要があるでしょう。
 本書で「イスラーム」という言葉を単体で用いる場合、それは宗教としてのイスラームを意味します。例外はありません。
 そして、本書では特に、この意味での「イスラーム」の現代的な争点、つまり、現代におけるイスラームの宗教的言論の対立を読みといていきたいと思います。
 ただ、一口に「宗教的言論の対立」と言ってもけっして単純なものではありません。イスラームの宗教的・思想的な対立線は、さまざまなレヴェルにおいて、さまざまなアクターのあいだに、潜在的にも顕在的にも存在します。
 そこで本書では、現代のスンナ派ムスリムのうち、「穏健派」と呼ばれる人たちと「過激派」と呼ばれる人たちのあいだに存在する争点の解明に焦点を絞りたいと思います。 
 「穏健派」と「過激派」のあいだの対立を、イスラームの論理――特に、イスラーム神学とイスラーム法学の観――から観察するとどのような対立として描くことができるのか。それが、本書の主題です。
 もっとも、イスラームの「穏健派」と「過激派」についてはすでに説明しつくされていると感じる人もいるかもしれません。「穏健派」と呼ばれる人たちは、「暴力を否定する、平和を愛する多数派のムスリム」。「過激派」と呼ばれる人たちは、「クルアーンの教えを誤って解釈した、少数派のテロリスト」。そのように理解している人は少なくないでしょう。   
 しかし、或る立場の人間が、政治的な目的を達成するために物理的な暴力を用いるか否か、あるいは、物理的暴力を用いるとしても、空の上から爆撃機で攻撃するのか、あるいは、ゲリラ的な戦法で攻撃するのかは、そのときどきの各々のアクターが置かれた政治的状況や対立する勢力との関係性に依拠するものです。また、ムスリム諸国の現状を見てみれば、ばくぜんと「穏健派」と呼ばれている人たちのほうが、「過激派」よりもより凄惨な暴力を行使している、というケースもあるのです。
 「穏健」であるとか「過激」であるとか、「寛容」であるとか「非寛容」であるとか、「厳格」であるとか「柔軟」であるとか、そういった形容詞は、特定の宗教的な立場や思想の内容を説明するものではありません。

 「穏健派」と「過激派」の思想的な争点は何か?
 そもそも「穏健派」と「過激派」とはいったい何者なのか?
 なぜ現代のムスリムは、「過激派」を「破門」し、自浄できないのか?

 これらの疑問の答えに近づくために、本書は、スンナ派神学・法学における現代ムスリムの思想的状況を分析し、現代イスラームの思想的争点に迫りたいと思います。
 この論点から描出される対立線は、日本の読者に対していまだ詳しく紹介されていないイスラームの多種多様な対立項のなかで、もっとも「基本的」なものです。
 神学的・法学的なこの対立線が「基本的」なものであると考えるのは、この種の対立線が、千年前から続いてきたスンナ派の学問的論争の延長線上にあるものだからです。つまりそれは、さまざまな形で発生する現実の対立がどこで、だれに起ころうとも、あるいは、対立が顕在化していない状態であっても、つねにその背後に横たわっている問題だということです。そして、昨今のムスリム諸国の紛争においては、物理的暴力の伴う現実の政治的対立と重複する形で、この学問的対立が大きな意味合いを持っています。
 たとえば、IS(イスラーム国)は、新しく支配下においた土地で、「聖者廟」を次々と破壊しています。そして、これに反対すれば殺されてしまいます。詳しくは後述しますが、この問題の背景には、神に祈るさいに、直接神に呼びかけるのではなく、預言者や聖者などの威厳を借りる、あるいは預言者や聖者に仲介を依頼することは許されるのか、という純粋に神学的な問題が争点として存在するのです。
 本書は、そうした現代イスラームの思想的な対立、および、その現実の紛争との関係性について考えるためのひとつの手がかりとして書き留めたものです。
 序章ではまず、日本におけるイスラーム理解においてもっとも大きな課題のひとつである、「信仰」、あるいは「ムスリムであること」の意味をめぐる問題について考えることをとおして、私なりの、ささやかなイスラーム入門としたいと思います。
 第一章では、ムスリムはなぜ「過激派」を「破門」しないのか?という基本的な疑問に対して、イスラームという宗教の構造的な特徴から回答することを試みます。
 その後、第二章では、「過激派」と「穏健派」とは一体だれを指すのかという問題をとりあげ、第三章では、「過激派」と「穏健派」のあいだに存在する具体的な争点を見ていきます。

 最後の第四章では、こうしたムスリム同士の見解の対立が活発化する前提となっている、現代イスラームの思想的な状況を概観したいと思います。

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