単行本

多貌のミエヴィル

チャイナ・ミエヴィル『オクトーバー:物語ロシア革命』

ロシア革命100年の今年、SF界のトップランナーが満を持して放つ最新作『オクトーバー:物語ロシア革命』。史実にどこまでも忠実でありながら、この激動の一年をドラマティックに描き出した異色作を、円城塔さんはどう読んだのでしょうか。PR誌『ちくま』11月号より転載します。

 この10月は、ロシアにおける十月革命からちょうど100回目の10月である。正確にはユリウス暦とグレゴリオ暦の兼ね合いがあるが些細なことだ。
 この10月、レーニン率いる左派集団、ボリシェヴィキがソヴィエトに権力を集中させた――ということで、これをきっかけとして欧州各国に社会主義革命が連鎖的に発生し、ついには世界革命が達成されることになる、はずだった。少なくともレーニンの構想としては。
 という知識はあるとして、1972年生まれのわたしとしては本書を読むまで、そのあたりの平仄が理解できないままでいた。もう少し上の世代にとっては自明らしい単語が次々投げ出されるのを、ぼんやりきいていた。エスエル、ブントと名前をきいても漠然としたイメージしかない。あるいは登場人物の名前がやたらと長いロシアの小説を眺めるような気分でいた。
 チャイナ・ミエヴィルは1972年生まれ。SF作家でもあるが、活動の幅は広い。児童向けファンタジーも書けば、(コズミック・)ホラー風の作品も書く。そうして国際政治学を専門としており、左派政党を立ち上げたりもしている。
 本作は、十月革命を時系列順においかけたノンフィクションである。「物語」とついてはいるが、世界革命が達成されてのちの地球を舞台としたSFになったりはしない。一章でそれまでのあらすじを与えたあとは、第二章で1917年2月のできごとを、第三章で3月をと進んでいき、エピローグを残す第十章で10月に至り、ボリシェヴィキがついに政権を担う。
 革命という単語のイメージからは、抗いようのない流れの中で、激しく争い合う人物たちの姿が浮かんでくるが、ミエヴィルが描き出すのは、なんとかして主導権を譲り合おうとする人々であり、なぜかといって革命の機はまだ熟していないのである。社会主義的な歴史観からすると、革命はブルジョワジーが自壊することによって発生する。すると、いまだ信頼するに足るブルジョワジーが育っていない(田舎の)ロシアではまず、社会主義者がブルジョワジーを育てねばならぬ。
 筋は通っているような気もするが、なんだかややこしく倒錯した理屈である。
 デモやストを打つとしても、当然反撃が予想されるし、官憲が鎮圧に出るかもしれない。世は第一次世界大戦が進行中であり、巷には兵士と武器があふれている。効率よくデモを打つタイミングをはかる必要もある。ただデモを行えば為政者がたちまち改心するなどということはありえない。
 左派といっても、この時代の左派は思想の先端に立つ左派であって天井が抜けている。戦争に反対する以上、ただちに戦争への参加をとりやめるべきだとレーニンは言う。そのために祖国が敗北したからといってなんだというのか。それをも革命の契機とすればよいだけの話ではないか、という革命的祖国敗北主義にはさすがに、同志の多くがついていけない。
 十月革命には多くの謎があり、なによりもそれがまず、ロシアで起こったことが奇妙である。社会主義革命は物質文明の先端で起こるはずだった。ここにまず一つのねじれがある。そうして、世界革命への導火線となるはずだったこの革命がその後、20世紀最大級の惨禍につながっていったのは何故なのか。
 左派政治家、政治学者としてのミエヴィルが革命を戦略的に検討し直すのは当然として、そこには同時に、小説の中でその惨禍を繰り返すまいとするミエヴィルもいるはずである。小説を破滅させることは、現実世界を破滅させることより容易い。しかし、理想社会を築こうとする試みは、小説の世界においてさえ、現実の社会と同程度に困難である。誰もが一様に恍惚の状態にある小説はただのディストピア小説である。
 革命に学び、伝え続けない限り、革命は失敗し続ける。

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