世の中ラボ

【第91回】古事記の現代語訳を読み比べてみた

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2017年11月号より転載。

 記紀などに興味のなかった私が「少しは知っとかないとまずいかも」と思うようになったのは、島根県(出雲とか)や宮崎県(高千穂とか)を訪れたときだった。最低限の神話の知識がないと、こうした土地を旅しても、つまんないのだ。
 それで一念発起、いろいろかじりはじめたのだが、入門書をいくら読んでも、いまいちよくわからない。特に神代のとこね。こいつらの国生み、神生みって、どうなってんの !? 神を人の仲間と思うからいけないんだ、あれは哺乳類ではなく、胞子で増えるキノコとか、単為生殖で増えるミジンコみたいなものなんだ、と思ったら、少しは納得できたのだが(え、間違ってる?)。
 そんな私どもにとって、救世主というべきは、三浦佑之『口語訳古事記 完全版』(文藝春秋、二〇〇二年)だった。
〈なにもなかったのじゃ……、言葉で言いあらわせるものは、なにも。あったのは、そうさな、うずまきみたいなものだったかいのう。/この老いぼれはなにも聞いてはおらぬし、見てもおらぬでのう。知っておるのは、天と地とが出来てからのことじゃ……〉。
 当時、これを読んだときには、橋本治『桃尻語訳枕草子』(河出書房新社、一九八七―八八年)を読んだときと同じくらいブッ飛びましたね。西部劇の中で先住民の古老が白人の少年に人生哲学を語る、みたいな語り口。
 さて、それからさらに時間がたち、古事記の現代語訳、口語訳はますます増えている。古事記編纂一三〇〇年に当たる二〇一二年に記念出版が相次いだのも関係しているかもしれない。というわけで、このたびは最近の古事記本の世界を覗いてみた。

古事記の省エネ文章をどう訳す?
 天武天皇の命を受け、稗田阿礼が暗誦する古い伝承を、太安万侶が書き記し、元明天皇(天智天皇の娘)に献上した……というのが、古事記の「序」にある、古事記の成立秘話である。
 ご存じのように、原文の古事記は全文漢字だけで書かれている。参考までに、序の冒頭部分を示しておくと……。
《臣安萬侶言。夫、混元既凝、氣象未效、無名無為、誰知其形》
 ハハハ、取りつく島もない。句読点だけは入れてみたけど、それでもね。ここを現代の本はどう訳しているか。
〈臣下の安万侶が申し上げます。/およそ、混沌とした万物の始めの気はすでに凝り固まっても、兆しや形はいまだ現れませんでした。名も無く、働きも無く、誰がその形を知ることができましょう〉。
 以上は、わかりやすいと評判の、竹田恒泰『現代語古事記』(学研、二〇一一年)である。
 原文の雰囲気を残したという「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」の第一巻『池澤夏樹訳 古事記』はどうだろう。
〈陛下の僕である安万侶が申し上げます。/そもそもの初め、混沌の中に造化のきざしが見えながら、未だ気と形が分かれる前、万事に名がなく動きもありませんでした。その時のことを知る者は誰もおりません〉。
 さっきは取りつく島がないといったけど、訳文を読んでもう一度原文に戻ると、なんだかわかったような気がするから不思議。やっぱ日本語なんですね。もう少し先に行ってみよう。よく知られたイザナキとイザナミの国生みのくだりである。
〈一息ついたところで、伊耶那岐神は、自分の下半身に何か不思議なものがぶらさがっているのにお気付きになり「あなたの体はどのようになっているか」とお尋ねになりました。/すると、伊耶那美神は「私の体はすでに出来上がっているのですが、一ヶ所だけ何か足りずに、くぼんでいる所があります」とお答えになったので、伊耶那岐神は「私の体もすでに出来上がっているのだが、一ヶ所だけ何か余って、でっぱっている所がある。それでは、私のでっぱっているものを、あなたのくぼんでいる穴に挿し入れて、塞いで、国を生もうと思うが、どうだろう」と仰せになると、伊耶那美神はこれに賛成なさいました〉(竹田恒泰訳)。
 なんか昔の男女の関係っぽいな。ぞんざいな口調で話すイザナキに対し、イザナミは敬語を使ってて、上司と部下の会話みたい。そこへ行くと、池澤訳はぐっとさばけて、今風だ。
〈そこでイザナキがイザナミに問うには――/「きみの身体はどんな風に生まれたんだい」と問うた。/イザナミは、/「私の身体はむくむくと生まれたけれど、でも足りないところが残ってしまったの」と答えた。/それを聞いてイザナキが言うには――/「俺の身体もむくむくと生まれて、生まれ過ぎて余ったところが一箇所ある。きみの足りないところに俺の余ったところを差し込んで、国を生むというのはどうだろう」と言うと、イザナミは、/「それはよい考えね」と答えた〉(池澤夏樹訳)。
 ちなみに、ここの原文がどうなっているかというと……。
《於是、問其妹伊耶那美命曰「汝身者、如何成」。答曰「吾身者、成成不成合處一處在」。爾伊耶那岐命詔「我身者、成成而成餘處一處在。故以此吾身成餘處、刺塞汝身不成合處而、以為生成国土、生奈何」。伊耶那美命答曰「然善」》
「然善」。古事記の文章は省エネの美学なんだと、あらためて思う。現代語訳は、どう頑張っても冗長にならざるを得ないのだ。どうりで入門書を読んでもわからないはずだよ。この荒唐無稽さは、物語の内容以上に、テキストの妙味に決定づけられている。
 しかし、何もかも飲み込んでしまう古事記の懐は深い。敬語を重んじ、わかりにくい単語の説明は文中に織り込んでしまう竹田訳。思いきって敬語をやめ、現代風の会話に徹した池澤訳。方針こそちがえ、両者はいちおう原文に忠実であろうとした現代語訳である。古事記の世界を伝える方法はしかし、こういうやり方だけではないのである。その一例が小野寺優『ラノベ古事記』だ。
 序からして、この本はふざけている(褒め言葉です)。
〈ここに陛下の忠実な配下である安万侶が申し上げます〉〈そもそも、この国のはじまりは混沌とした中にありました〉と型どおりに語りだす安万侶。ところが、ここに横から茶々を入れた人物がいた。〈はいっ! 安万呂ストップ!! はいはいっ !!〉。
〈安万呂って、な0んかお固いのよねぇ?〉〈もうちょいざっくりラフな感じにお願いできないかしら? その序文、飽きちゃったの〉と語るのは、元明天皇その人である。
〈はいっ !?〉。安万呂は固まった。〈え、ちょ、うそでしょ? 飽きちゃったのって? 普通にショックなんだけど。この序文、陛下に捧げるために1週間以上掛けて必死に考えてきたのに!〉。
 さすがはラノベ。元明天皇、まるでそこらの女子高生だ。

ラノベもマンガも、いろいろあってはじめてわかる
 イザナキ、イザナミのくだりはどうか。
〈「ねえ、イザナミ。そういえばさ」/「なぁに?」/「君と僕って一緒に生まれたのに、なんか形が違うと思わない?」〉。唐突な質問に首を傾げるイザナミ。〈「あのね、私の体、なりなり~って成り切らなくって、なんか足りないところがあるの」〉。好奇心旺盛に目を輝かせるイザナギ。〈「へぇ! 面白いね! 僕もなりなり~って生まれたんだけどさ、なんか成りすぎちゃって、余計なものがくっ付いてるんだ !! ずっと気になってたんだけど、何でなんだろ??」〉。〈「ねぇ! もしかしたらさ、君の足りないところを僕の余計なところで埋めたら、なんか素敵なことが起きるんじゃない?」/「えっ!? ヤんのっっ?」〉。
 いきなり「ヤんのっっ?」って、あんた……。
 やりすぎだ、という意見もあるだろうけど、こういうの、私は十分ありだと思う。しかしながら難点は、各場面を想像し、登場人物の内面に分け入り、物語を肉付けしていくと、テキストがどんどん長くなること。そして、古事記の荒唐無稽さが薄められ、すべてが学園ドラマ風になってしまうことである。
 その点、まったく逆の方向性で進化したのが、こうの史代『ぼおるぺん古事記』である。古事記をマンガで再現した本なのだが、文章はすべて、現代語訳ではなく原文の読み下し文。
 くだんのイザナキ、イザナミのくだりはというと……。
〈是にその妹 伊邪那美命に問ひて曰はく〉→「汝が身は如何に成れる」(イザナキ)→しばし考えるイザナミ→答へて白さく(自らの衣服の裾の中を覗きながら)「吾が身は成り成りて成り合はざる処一処在り」(イザナミ)→〈爾に伊邪那岐命詔りつらく〉(同じく自らの衣服の中を覗きながら)「我が身は成り成りて成り余れる処一処在り」(イザナキ)→「故、此の吾が身の成り余れる処を以て 汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて国土生み成さむと以為ふ」「生むこと奈何に」(イザナキ)→伊耶那美命(指でOKサインを出しつつ)〈「然善けむ」と答へ白しき〉。
 そうだよね、なんたって絵があるんだから、文章はこれで十分伝わるのだ。この場面はやっぱり「成り成りて成り合はざる処一処在り」じゃないと気分が出ないしさ。
 神話を「歴史」として教えた戦前の皇国史観教育のせいで、長い間、古事記は敬遠されたテキストだった。が、それはもう昔の話。教育基本法の改定(二〇〇六年)を受け、国語教科書にも古事記が復活している今日、遠ざけるのではなく引き寄せて、自由な解釈や訳を楽しむのが、古事記を過去から解放する道だろう。数冊併読して、やっと私も少しわかった。やっぱりこれは、けったいな本だよ。けったいだから、おもしろいってことなのよ。原文も見てみたい方は、倉野憲司『古事記』(岩波文庫、一九六三年)、中村啓信『新版古事記 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫、二〇〇九年)などをどうぞ。

【この記事で紹介された本】

『日本文学全集01 古事記』
池澤夏樹訳、河出書房新社、2014年、2000円+税

二〇一五年に刊行がはじまった「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」の第一巻。父・福永武彦も手がけた古事記の新訳。会話は現代的に、神の数え方も一柱二柱ではなく一人二人。〈漢字を用いて日本語を記述するという難事を前にしたあなたの息づかい〉を伝える工夫の数々は、冒頭の「安万侶さんへの手紙」で明かされている。三浦佑之の解題や、池澤の解説も充実したお得な一冊。

『ラノベ古事記――日本の神様とはじまりの物語』
小野寺優、KADOKAWA、2017年、1400円+税

著者が古事記と出会ったのは二〇一三年。専門書を読めば読むほど、脳内古事記と一般的な古事記のイメージが乖離。〈あれは日本最古の歴史書であると共に、日本最古のラノベなのっ!!!〉(あとがき)という気持ちがあふれ、ラノベ古事記のサイトを立ち上げたという著者による自由奔放な新訳。超訳ともいえるが、現代人の気分にフィットした解釈には説得力もあって楽しい。

『ぼおるぺん古事記㈠天の巻』
こうの史代、平凡社、2012年、1000円+税

 

『この世界の片隅に』で一躍ブレイクした人気マンガ家が、すべてボールペンで描いた絵解きの古事記。「㈡地の巻」「㈢海の巻」と続く全三巻の一巻目。〈昔からずっと、古事記を絵にしたいと思っていました〉(帯より)というだけあり、原初の混沌とか人(神だけど)から島が生まれるとか、どうやって絵にするんだ⁉ な場面も、それらしく描いてしまった力業に感動する。

PR誌ちくま11月号

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