piece of resistance

2 目的

なんでそんなことにこだわるの? と言われるかも知れないが、人にはさまざま、どうしても譲れないことがあるものだ。奥様とは言わない、本に書き込みはしない、ご飯は最後の一粒まで食べる、日傘は差さない……等々。それは、世間には流されないぞ、というちょっとした抵抗。おおげさ? いやいや、そうとは限りません。嫌なのにはきっとワケがある。日常の小さな抵抗の物語をつづります。

 ああ、またジャンクションに差しかかる。左からの合流にご注意ください。カーナビの声にどくんと胸が鳴る。
 首都高というのは、なぜ、こんなにも人生と似ているんだろう。合流、カーブ、合流、カーブ、また合流。試練に次ぐ試練の連続で、ハンドルを握る掌の汗が乾く暇もない。
 車間も気にせず突っこんでくる車に震えあがりながらもどうにか合流地点をクリアしたかと思えば、再び魔の急カーブ。後続ドライバーの舌打ちを思いながらもブレーキを踏まずにいられない。
 やっぱり車で来たのは失敗だったのか。おとなしく電車に乗るべきだったか。
 後悔の念に襲われるたび、いや、と私は道の先をにらんでアクセルを踏む足先に力をこめた。
 無茶ではあっても、失敗じゃない。これは必要なことだった。自分のためにとても必要なことだったのだ、と。

 フリーで仕事をしていると、気の進まない依頼をどうしても断れないことがある。しがらみだとか、恩義だとか、経済状況だとか、日和見だとか、気弱さだとか、断るために必要なパワー不足だとか、諸々が相まってつい「イエス」と言ったあとから果てしなく落ちこむ。
 受けたからには、やることはやる。手は抜かない。それでもどこか心の底には「押しつけられた」「巻きこまれた」「自分を曲げた」といった負の感情が吹きだまっていて、その受動性をもって事に当たるのが物憂いのだ。
 世界は私を中心にまわっていない。けれど、せめて自分のしがない日常くらいはこの手で転がしたい。
 群馬県への出張を前にそんな愚痴をこぼしていた私に天啓のごとき助言をくれたのは、同じプロダクションから仕事を請け負っている同業の先輩だった。
「そういうときはね、一つでいいから、自分だけの目的をそこにくっつけるといいよ」
「目的?」
「小さいことでいいの。たとえば出張帰りに日帰り温泉へ寄るとか、移動中に読みたい本を読むとか、美味しいお蕎麦屋を探すとか。何か一つくっつけるだけで、その出張がちゃんと自分のものになる気がするんだよね」
「なるほど!」
 先輩の言葉にいたく感じ入った私は、よしと一大決心し、「車でたどりつく」を今回の目的として採用したのだった。

 車での出張は初の試みだ。
 というか、車での遠出自体が初めてだ。
 というか、中古のフィアットを買った二ヶ月前までの九年間、私は完全なペーパードライバーだった。
 当然、運転には慣れていない。怖くてスピードが出せない。カーナビが何を言っているのかもよくわからない。結果、「車で三分のスーパー」「車で五分のガソリンスタンド」「車で八分の図書館」の三地点以外に車を走らせたことがないまま今日に至っていた。
 千葉から群馬へ。無謀ともいえるこの飛躍は、しかし、だからこそ意味があるように思えたのだった。
 この大いなる困難に打ち勝ち、無事に仕事先へ乗りつけることができたら、私は逆上がりもままならなかった子どもが大車輪を成しとげたような達成感に打ち震えることだろう。その心の高ぶりは、今回の仕事に対するネガティブな気分をポジティブへ転化する原動力となりえるにちがいない。
 ――でもやっぱり、いきなり首都高はハードルが高すぎたか。
 ややもすれば覗く弱気がピークに達したのは、命からがらハンドルにしがみついていた私に、カーナビが突如「そろそろ右折だから今のうちに右車線へ移っとけ」と無理難題をふっかけてきたときだった。
 白線を跨いだ右にはびゅんびゅんと飛ばす車の途切れを知らない急流がある。ウインカーすらも出せないまま、右折地点はどんどん迫ってくる。あと二百メートル――たまらずスピードを落とし、後続車のクラクションに竦みあがったところでようやく右車線の流れが絶え、どうにか白線を越えることができた。胸の谷間は汗でびっしょりだ。

 緊張の連続からようやく解き放たれたのは、首都高を脱し、関越自動車道に乗って数十分が経過したころだった。
 合流が少なく、急カーブも存在しない三車線道路のなんと平和なことだろう。道と人生との類似性が薄れ、フロントガラスの透かす景色が緑を濃くしていくにつれ、現金にも私は妙に楽しくなってきた。自分と車を、車と風景を、それぞれを隔てていた壁が風にさらわれ、一つになっていくような。
 自力で自分を仕事場へ運ぶ。そのなんと清々しいことか。
 自ら求めた目的を果たす。そのなんと元気の出ることか。
 家を発ってから約五時間後、指定先の市民ホールへ無事たどりついた私のテンションは最高潮だった。当然、仕事もノリノリだ。
「早速だけど、念のため、衣裳のサイズ合わせをお願い。司会者のあなたに着せるのもナンだけど、村興しを兼ねたショーなもんだから」
「いえいえ、お安いご用です!」
 到着早々、主催者から渡された「下仁田ネギベエ」なるキャラクターの着ぐるみを笑顔で受けとり、私は颯爽と更衣室へ走った。

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