日本人は闇をどう描いてきたか

第十五回 矢田地蔵縁起絵巻 ――地獄をすみかとする菩薩

日本美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれるのか、その先にある救い、そして笑いとは――作品に即して読みとく、闇からの日本美術入門。第十五回は、鮮やかな火焔とお地蔵様を描いた作品から。

菩薩とはなにか

 釈迦如来が入滅して後、次にこの世界へ到来するのが弥勒如来であるが、その出現は五十六億七千万年後の未来のことである。この気の遠くなるような無仏世界(むぶつせかい、この地上に如来が存在しない時代)で生きる人間を救済するのが菩薩である。
 菩薩とは、梵語のボーディサットヴァの漢訳である菩提薩埵(ぼだいさった)を略したもので、悟りを求める者という意味。悟りを得る直前の仏陀として、自らも修行を行いながら、あとから来る私たち衆生を教え導く。そして時には、悪道で迷う人々へも救いの手を差し伸べてくれる。例えば『華厳経(けごんきょう)』金剛幢菩薩十廻向品(こんごうとうぼさつじゅうえこうぼん)では、菩薩による六道救済が次のように説かれている。

菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)は、牢獄において、もろもろの楚毒(そどく)を受ける衆生を見た。ある者は縛られ、ある者は打たれ、幽冥に閉じこめられている。紐や械枷(かせ)や鎖にて拷椋され流血している。飢えや渇きは忍び難く、裸形でよわり痩せ、髪は身を覆っている。無量の苦を受ける彼らを救う者はいない。もし、菩薩摩訶薩が是の如き苦を受ける衆生を見たならば、ある菩薩は財宝・妻子・眷属を捨て、ある菩薩は己の身を捨て、かの獄中において苦しむ衆生を救うであろう。(原漢文は『大正新修大蔵経』九、五百七頁)

 つまり菩薩というのは、大切な財宝や我が身を捨ててさえも、苦しむ人々を救済してくれる存在なのである。中でも観音菩薩と地蔵菩薩は、衆生救済を本願(悟りを得るための誓い)とすることから、六道の中でも最悪の場所、すなわち地獄にまで降りてきて救済にあたってくれる、まさに「地獄にほとけ」としての信仰を集めた。

地蔵菩薩の本願

 地蔵菩薩の源流はインド古代バラモン教の地神(地天)信仰にあり、大地の徳を象徴するものであった。これが六道救済の菩薩として広く信仰されるようになるのは唐時代の中国においてである。
 地蔵による救済を説く経典の代表的なものに、『大乗大集地蔵十輪経(だいじょうだいじゅうじぞうじゅうりんきょう)』、『地蔵菩薩本願経(じぞうぼさつほんがんきょう)』、『占察善悪業報経(せんざつぜんあくごうほうきょう)』があり、総じて地蔵三経とも呼ばれる。このうち、唐の玄奘(六〇二~六四)訳『大乗大集地蔵十輪経』では、地蔵が無仏世界の衆生救済を仏からゆだねられた存在であること、比丘の姿(声聞形、しょうもんぎょう)でこの世に現れること、また、冥界では閻魔王や獄卒の姿をとって衆生救済にあたることが併せて説かれ、これが、救済者としての地蔵菩薩に具体的なイメージを与えた。
 また『地蔵菩薩本願経』では、地蔵像を供養すれば富み栄え、長寿を得、水火災が除かれるとその現世利益的側面が強調されている。
 経典だけでなく、宋代に撰述された説話集である『地蔵菩薩応験記(じぞうぼさつおうげんき)』にも、地蔵による堕地獄救済、救難、救命に関する説話が多数収録されており、中国における地蔵信仰の広範な普及と多様性を示している。

地蔵と閻魔王

 地蔵信仰の、見落としてはならないもう一つの側面に道教との習合がある。唐末五代(十世紀前半)頃、道教において死後の裁きをつかさどる十王への信仰が高まると、仏教の側でも『預修十王生七経』が偽撰され、平安時代の日本でもこの影響を受けた『地蔵菩薩発心因縁十王経』が成立する。特に後者では、地蔵菩薩が十王の一人である閻魔王と同体の尊格であると説かれている。
 このような道仏習合を通じて、死後の裁きを有利に導き、地獄に堕ちた場合でも身を挺して救済にあたってくれる地蔵への信仰は民衆の間にも広まった。

日本の地蔵信仰

 平安後期の日本では、浄土信仰の興隆と相まって地蔵菩薩による六道救済への期待が高まる。天台僧・源信(九四二~一〇一七)が著した『往生要集』においては、欣求浄土の章で『地蔵十輪経』が引用され地蔵による衆生救済が説かれている。
 また十二世紀に編纂された『今昔物語集』には、源信と同時代に横川で活躍した仁康が地蔵像を供養し地蔵講を行ったところ、これに結縁した人々が疫病を免れたという説話(第十七巻第十話)をはじめ、横川ゆかりの地蔵利生譚を多く載せる。同集には、三十話を超える地蔵説話が収録されているが、その主人公の多くが地方の神官や武士、名もなき庶民であり、地蔵と民衆の信仰との結びつきの強さを物語る。

満米上人の地獄めぐり

 そのような地蔵菩薩の活躍をいきいきと描くのが、京都・矢田寺蔵の「矢田地蔵縁起絵巻」である。十四世紀の作例で、上下二巻にわたって、奈良・金剛山寺(通称矢田寺)の本尊・地蔵菩薩像の造立譚と利生譚を表す。
 上巻では、大和国の満米上人(まんまいしょうにん)が、小野篁(おののたかむら、八〇二~五三)の推挙によって閻魔王から召喚される。その目的は、同王はじめ冥官たちに菩薩戒(ぼさつかい、出家・在家にかかわらず、保つべき大乗の戒律。自己の悪を抑え、善を勧め、他に尽くすことを誓う)を授ける戒師を務めるためであった。
 冥界の支配者たちが高徳の僧に帰依するという設定が興味深いが、実はこの話型は、中世寺社縁起にはしばしば見られる。ある寺社や高僧の霊威を讃える際に、「恐ろしい閻魔王でさえひれ伏した」というエピソードには説得力が伴う。
 続く場面で上人は、授戒の返礼として地獄めぐりを許される。閻魔王に誘われて地獄の入口に至った満米が目にしたのは、猛火の中で亡者を救う地蔵菩薩の姿であった。この絵巻には、詞書とは別に画中詞(がちゅうし)と呼ばれる絵の中のテキストがあり、状況説明や登場人物の台詞を記す。そのうちの一つに、地蔵菩薩自身の次のような言葉が記されている。

我、釈尊の付嘱(ふしょく、伝授すること)を受けて、悪業の衆生をすくふ。この故に、ほのほ(炎)にまじはりて、大悲苦にかはる。ただし、一毛の縁なければ、我さいど(済度)するにおよばず。汝、早人間に帰て、諸人につぐべし。苦果をおそれん人は、我に縁をむすぶべし。

 これによると、悪業に苦しむ衆生救済を釈迦から任され、地獄の猛火に分け入って、菩薩の大きな慈悲(大悲)によって衆生の苦を肩代わりするのが地蔵の役目という。ただし、地蔵に帰依して縁を結んだものだけがその救済にあずかれるので、台詞の末尾では「このことを、早く現世に戻って人々に告げよ」と満米に促している。
 続く場面では、阿鼻地獄の門から中に分け入る地蔵菩薩の姿が描かれている。鉄の狗の口から吐き出される紅蓮の炎に焼かれ、熱湯が沸き立つ釜で苦しむ亡者たちを救済する地蔵菩薩の傍らに、「生身地蔵(生きている地蔵)」と記す画中詞がある(図)。

【図】「矢田地蔵縁起絵巻」(重文、京都・矢田寺蔵)
画像出典:日本美術全集8(2015年、小学館)より

 地蔵の救済は、地獄に身を投じて亡者の苦しみを肩代わりするというものである。自己を犠牲にして苦しみに寄り添う姿に、菩薩の大いなる慈悲が示されている。
 鎌倉中期の説話集である『沙石集』において、著者の無住(むじゅう、一二二七~一三一二)は、地蔵菩薩の慈悲を「ただ悪趣を以てすみかとし、罪人を以て友とす」とたたえている。
 末法観の蔓延する中世において、釈迦のごとき悟りの機縁にははるか遠く、阿弥陀如来による救済の光明からも、ともすればこぼれ落ちてしまう仏縁拙き衆生を、その最低辺のすみかである地獄へまでも救いに来てくれるのが地蔵菩薩だったのである。

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