ちくま文庫

自らを映し出す暗渠

本田創・高山英男・吉村生・三土たつお『はじめての暗渠散歩――水のない水辺をあるく』書評

暗渠とは、昔、川や水流だった所のこと。そこは不思議な空間です。作家の目がとらえたものは?

 十年ほど前、本郷の真砂町に住んでいたことがあった。そのときすでにこの由緒ある町名はなく、ただの何丁目何番地、という住所表記に変わっていたけれど。

 本郷三丁目の駅を少し北に行った辺りから、北西方向へと斜めに走る菊坂には、影のように一段低い通りが従いている。古い家々の並びが、なんというか羊羹をスパンと切ったような、まるで背水の陣をとったという格好(裏が川という家によくある)を見るような、うら寂しい気配から暗渠という言葉がすぐに思い浮かび、古地図を見ると、大溝、と記してあって、いかにも明治の小説に出てきそうな呼び名だと興趣深く思った。菊坂下通りと呼ばれていたその通りには、界隈に似つかわしく樋口一葉の旧居跡があり、宮沢賢治が印刷所のアルバイトに通いながら童話を書いていた下宿があった。

 今回この『はじめての暗渠散歩』を読んでいて、幾たびもこのあたりのことを思い出した。この菊坂下通りを鐙坂へと左に曲がれば、銭湯があった、確か。そのときは迂闊にも何も考えなかったが、この本によると、それは重大な「暗渠サイン」であったらしい。銭湯やクリーニング屋というのは水を大量に排出するので、川に沿って存在する確率が高いというのだった(そういえば、菊坂沿いには、江戸時代から続くという金魚屋もあった)。菊坂は、本郷台地に斜めに切れ込んで入っている谷戸のような地形になっており、丘と丘の間の低地を走る川があって当然だった。カヤックで川を下るとき、川がまた風の通り道になっていることを実感することがある。川の流れと空気の流れが映り合うのだ。川が塞がれた後の、流れの案内人を失った空気の戸惑いこそが、暗渠に立ったときの独特の違和感だったのではないか、と読みながら考えた。

 そして、「痛ましさ」である。暗渠に立つときに感じる痛ましさについて、ああそういうことだったのかと思い至ったのは、著者の一人、本田創さんが書いている世田谷区北烏山の、烏山川源流部のくだりを読んだときだ。暗渠になる前の一九九〇年代初頭の光景として「……かつて世田谷の水田を潤した烏山川の源流のひとつであったその水路に流れていたのはしかし、白く濁った排水であり、その姿はもはや川と呼べるような状態ではなかった。数年後、川は埋め立てられ、下水管が敷設された暗渠となっていた。……」

 胸が痛い。私は今までいろんな川の源流部を見てきたが、ほとんどが湧き出たり浸み出したりしてくる本来清らかな真水だった。この本でも著者たちは、川やその支流を生体の動脈や静脈、毛細血管になぞらえているが、全くその通りで、川の流れというのはそもそもその地形になくてはならぬものとして自然発生してきた健やかな水の移動であったはずなのだ。それが下水管を埋められ、排水が流され、あるいは川などなかったかのごとく埋め立てられ、その存在が隠されている。都市化という現象は、川については概ね蹂躙、場合によっては拷問や虐殺と同義であった。

 こう書いてきたが、この本は決して何かを糾弾したりするようなものではない。無性に好きでたまらない、惹かれてしようがない、という止めようのない暗渠への愛情が充満しており、そして四人の著者たちは、ご自分たちを暗渠マニアなどと開き直りながら、その愛を伝道するための、一種の使命感のようなものすら持っている様子なのが楽しい。

 読みながら、「ああ、そうであったか」と膝を打つ箇所に出会うことも度々あった。なかでも、新宿御苑の東側(四谷側)の遊歩道を歩くときに出会う、御苑と外部の間の細い谷のような空間(シュロなどの木々が鬱蒼として、いつもこれはただごとではないぞ、と思うのだが)、なんとやはりあそこも暗渠であったのだった。あの空間を不思議に思っていた読者もきっと多いに違いないと思う。書き手によって章の空気が違うように、読み手によっても連想は異なる。風と川が映り合うように、ひとは暗渠を前に自らを語り始めるのだろう。

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