考える達人

第10回 「役に立つとか、考えないほうがいい」
出口治明さん:後編

出口さんとの対談の後篇。「主義」の話から「学問の意味」、そして「考えることの楽しさ」へ。出口さんからの意外な言葉に驚きつつも、石川さん、深くうなづいています。

●「主義」はどのように生まれるか
石川  今回、出口さんにもう一つお聞きしたいのは「主義」の歴史です。『仕事に効く 教養としての「世界史」』(祥伝社)では、神や宗教の誕生について解説したくだりがあり、とてもおもしろく読みました。
 あれと同じように、資本主義やロマン主義、共産主義など、何とか主義というものの始まりについて、出口さんはどういうふうに捉えていらっしゃいますか。
出口  何とか主義が出てきたのは、せいぜい国民国家ができてからでしょう。たとえばロマン主義は、フランス革命という現象が起こってからの話です。
 フランス革命で王様を殺した。そうしたら、ヨーロッパは全部王様の国なので、王様を殺したフランスをのさばらせたら、自分たちも殺されると思うじゃないですか。じゃあ、革命を潰さなあかん。王政復古をせなあかんと思って、対仏大同盟ができるわけですよ。
 そこに彗星のように現れたのがナポレオンです。ナポレオンは、結局フランス革命のエネルギーを国民国家をつくることによって、つまり「フランス人」であることをモチベーションに戦意を高揚させて、ヨーロッパ中を征服したわけですよね。
 そのときにナポレオンは、ジャンヌ・ダルクを意識的に押し立てるんです。英仏百年戦争で絶体絶命に陥ったフランスを、ジャンヌ・ダルクという少女が田舎から現れて救ったという話を吹聴するわけです。
 フランス国民はそれを聞いて、田舎から出て来た若者が国を救うというところから、ナポレオンを連想するんですね。これは一種の英雄主義でしょう。こういう時代背景の中で、たとえばロマン主義とかが出てくるんです。
石川  ああ、なるほど。
出口  だいたい、何とか主義というのはその時代を反映して出てくるものなんです。
   たとえば日本は戦後、GDPで世界第2位になった。これは奇跡でもなんでもなくて、デービッド・アトキンソンさんが説明しているように、G7の中で人口1億を超える国は、アメリカを除くと日本しかないんです。だから、GDP世界第2位になったのは主として人口のせいですよね。
 でも、GDPが2位になったことで、一部の経団連のおじさんたちが、政治は三流だが経済は一流だというようなことを吹聴する。それが一つの主義になっていくんです。
石川  本当は人口のおかげなのに、日本経済の実力はすごいと思い込んでいくんですね。
出口  そうです。でも、そのあとどうなったかといえば、中国に負けちゃった。当たり前ですよね。向こうは人口が13億人もいるんだから。
 そうすると、二つに分かれるんですよ。一方は「すっぱい葡萄」です。GDPではもう追いつけないから、中国をすっぱい葡萄扱いするんですね。そこでブータンを見習おうとか言い出す。もう豊かになったから、国民総幸福量を考えようとかいう人々が現れるわけですよ。国民総幸福量を提案したブータンって国連の人間開発指数では130番くらいで、ひどい国やでと言っても、いやブータンは素晴らしいとか、言うわけです。
 もう一方は、劣等感と愛国心がつながって、排外的なナショナリズムになる。これは言うまでもない、嫌韓、嫌中になっていくわけです。サムスンに日本の家電が負けた。中国にGDPで負けた。その劣等意識が排外的なナショナリズムを呼び覚ますんです。
 儒教が中国と韓国をひどくしたとか、日本人は世界でこんなに好かれているのに、中国人、韓国人はこんなに嫌われているとか、そういう本が氾濫しているでしょう。
 これ、学校のクラスでたとえたら、どれだけ恥ずかしいかがよくわかります。「僕は、クラスの全員から好かれているけれど、横に座っているA君とB君はみんなから嫌われている」と公言しているんですよ。あり得ない話でしょう?
石川  友だちがいなくなりますよね。
出口  あれは、日本語の壁のせいで、外国人が読めないから恥をかかないですんでいるだけで、英語に翻訳されたら、世界の鼻つまみ者になりますよ。

●ためにする学問にはロクなものがない
石川   主義が時代背景の中から生まれてくることがよくわかりました。そういう観点からいうと、いまがどういう時代かということは、そのただ中にいるとわかりにくいんですか?
出口  そうです。みんなあとから、あの時代はああやったと言うんですね。お祭りの中で騒いでいたら全体は見えないでしょう。
石川  最近、ある対談で「研究者が言ったことが100年間、正しかったことある?」と言われて。たしかに考えると、あまりないんですよ。
出口  アメリカのダウ平均の銘柄のうち、100年前から同じ名前で残っているのは、GE一社だとか聞いたことがあります。企業や事業は、だいたい合理的に経営されるものでしょう? 研究よりは確度が高いじゃないですか。その企業ですら、100年で一社しか残らないぐらいレベルですよ。
石川  僕はどちらかというと、研究は真実を見極めるものであると思ってきたんですが、本当にそうなのかと思い始めているところもあって。
出口  やる気がなくなったんですか?
石川  いや、なくなってはいないんですけど、アプローチは大きく変えなきゃなと考えています。
出口  小坂井敏晶さんの『社会心理学講義』(筑摩選書)という本を読んでみるといいですよ。小坂井さんは大学の先生なのに、「学問なんか世の中では役に立たへんで」と公言されているんです。じゃあ、自分はなぜ学問をやっているのかと言えば、やりたいからやるんだと。
石川  その話だけを聞くと、ほとんどの学問は意味がないというか、趣味の世界というか……。
出口  でも、フランスの歴史家ホイジンガは、人間とは「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」なんだと言っていますよね。好きなことは役に立たないんですよ。役に立たないけれど、好きなことを突き詰めていく中で偶然何かがケミストリーで生まれ、それを使う人が出てくるようになるんです。逆に、ためにする学問とか、ためにする議論とか、たいていロクなものがないですよね。
石川   ああ、わかります。予防医学でも、そのときはよかれと思ってやっても、結果が最悪だったケースはたくさんあるんです。
    たとえば、アメリカで青少年を対象にして、タバコを吸わないようにしようという大キャンペーンが行われました。それこそ、最も視聴率の高いスーパーボールでもCM出したりしたのですが、結果喫煙率が上がってしまったという。
出口   古代中国学者の落合淳思(あつし)さんは、『殷』(中公新書)という本のあとがきで面白いことを書かれています。「若いころから、現代社会のいびつさに不満があった。これほどまでに文明が発達していながら、なぜ社会を合理化できないのかという疑問を持ち続けていた」。
 ところが、古代中国の商という国――日本では殷といわれていますが――の研究を続けていくうちに、考えが変わってきたそうです。商では、人身御供(ひとみごくう)とか、不合理なことをやっている。でも商の歴史を勉強すると、全体としては商にも古代文明なりの合理性があって維持されてきたことがわかったと。
 今も昔も、社会にはいろんな問題や矛盾がありますよね。でも、その部分だけを取り出して解決策を考えても、なかなかうまくいきません。落合先生も、全体としてそこそこうまくいっているかどうかを洞察するほうが、学者として大事だと思うようになってきたということを書いておられるわけですが、この感覚はすごくよくわかります。

●整合性をとるにはどうするか
石川  そうなると、やっぱり大局観が大事だということになると思うんです。でも、企業人も研究者も、部分は見るけれど、なかなか大きなストーリーに統合できる人は少なくないですか。出口さんの本を読んでいると、ただロジックを積み重ねるということとも違う感じがするんです。
 普通、ロジックを積み上げていくと、破綻してしまうんですよ。Aと言う人もいるし、その反対にBと言う人もいる。どちらも合理性はあるから、うまくまとめられない。だから出口さんは、切る力があるんじゃないかなと思ったんですが。
出口   最初に整合性を意識するんですよ。木を植えていったら森が見えなくなりますから、最初に森の整合性を見るんですね。
 整合性ということに気付かされたエピソードがあります。30歳をすぎたころ、連合王国の大使館の友人とご飯を食べているときに、日本のテレビ・コマーシャルはクレージーだという話を彼が始めたんです。
 あるおじいさんが、日本の若い子どもたちと同じ法被(はっぴ)を着て、拍子木を叩きながら、「戸締まり用心、火の用心」と叫んでいる。当時、そういうテレビ・コマーシャルがありました。
 ところが同じおじいさんが、別のテレビ・コマーシャルでは、世界中の子どもたちと草原で「かごめかごめ」を踊りながら、「世界は一家、人類はみな兄弟」と叫んでいる。
石川  なるほど! 用心せいと言いながら、人類みな兄弟と言っている。これは、どういうことだと。
出口   僕は言われるまで気がつかなかったんですが、友人は、このおじいさんはクレージーやで、と。こんな矛盾するコマーシャルをやらせたらあかんと言われました。
 僕は二つのコマーシャルを知っていたので、知識はあったんです。でも、考える力がなかったから、全体として見たときに整合が取れているかどうかを見抜けなかった。そういう意味で整合性を考えなきゃいけないということを、彼から教えてもらったんです。
石川   たとえば、人間の本質は善か悪かという議論は、ずっと昔からありますよね。善だという人、悪だという人、環境次第でどっちにも転ぶという人……、知識だけでいうと、それぞれある。それらの間で整合性を取ろうと思っても、なかなか取りにくいんです。
出口   孟子の性善説と荀子の性悪説がその典型ですよね。その内容だけを読むと、人間の思考って単純なので、矛盾したものと捉えてしまいますよね。
   でも中国の議論を見ると、孟子はインテリを相手に善だと言ったのに対して、荀子は庶民を相手に、性は悪だから教育しないとあかんでと言っているんです。これだったら、矛盾はしません。
石川   科学のトレーニングを受けると、AかBのどちらか選ばないといけないという思考になりやすいんですが、そうじゃない発想をするということですね。AもBもと考える道もあるし、あるいはCという別の考え方をする道もある。そうしないから、知識の海に溺れてしまうんですね。
出口   善い人か悪い人か、好きか嫌いかという二項対立はわかりやすいから、人々の心にもアピールしやすいんです。でもそのままでは、統合はできないですよね。
   だとしたら、丁寧に状況や関係性を考えて、AとBを腑分けするか、新しいCという上位概念をつくって、AとBの対立を包摂するしかないんです。
 AかBかという対立軸は、これ以外に解決策はないと思うんですよね。違う変数を入れることによって、AもBも取れるように状況を変えてしまうか。あるいは、AとBを包摂する新しい概念をつくるか、そのどちらかでしょう。

●見えすぎると考える力は育たない
石川   そうやって統合する力が大局観というふうに言われているんですけど、そのための方法論はまだ全然、成熟していない気がするんです。
出口   シンプルに考えるって、すごく楽しいことなんですけれどね。
石川  でも、思考のシンプルさは見えにくいんですよ。
出口  見えないものに対する想像力って、ものが溢れすぎるとなくなるんですね。昨日たまたま、『ぐりとぐら』(福音館書店)の作者である中川李枝子さんとラジオで対談したんです。
   中川さんは保育園の先生をやっていらっしゃった。戦争直後だから、何もないんですよ。何もないと子どもたちは、石ころを冷蔵庫やフライパンに見立てて遊ぶんだそうです。ところがいまは、台所セットの玩具とかあるでしょう? そうすると、遊びも楽ですよね。
石川   楽だけど、想像力は使わないわけですね。
出口   だから人間は、見える化に弱いんです。頭はポンコツなので、見えたり便利になると、考える力や想像する力が使えなくなるんです。
石川   情報もそうですね。情報が増えると、イマジネーションが減っていきます。
出口  そうですね。でも人間って考える葦なので、考えることをやめたら終わりなんです。
石川  最近の研究でも、子どもたちは退屈させたほうがいいという仮説が出ているんですよ。やっぱり、なにかれと与えすぎると考えない。刺激が強すぎて、脳がバカになるというか、どんどんアホになっているということですね。
出口  だから、役に立つとかあまり考えないほうがいいんです。ビジネスパーソンの勉強会に行くと、「どんな本を読んだら、これからの時代に役に立つと思いますか」という質問をしょっちゅう受けるんです。
 いつもこう答えます。本を2冊、3冊読んで、仕事に役に立つとか、人生に役立つとか、そんな簡単なもんやったら人生楽ですよね、と。そんな都合のいい本はありません。だから好きなものを読めばいい。好きなものを読んで読みまくって、一生の間に1回か2回役に立ったらラッキーと思うぐらいでちょうどいいんです。

[構成:斎藤哲也]

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