僕はこんな音楽を聴いて育った

【後編】ぼくらにはこんな友達がいた、あんなことがあった
『ぼくはこんな音楽を聴いて育った』(大友良英著 刊行記念対談)

*いよいよ後編です。大友さんの弟子時代、「あんなことがあった」とは何だったのか? 核心に迫ります。これ、絶対読んだほうがいいです!

■書けないこと

高橋 これを読んで、僕も「こんな本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて」と書けるなと思った。同じように俣野君とか、石野君とかの話をしていって。でも、大学に入ったときから書けないな……。

大友 やっぱり生々しいんじゃないですか。

高橋 うん。あまり言えないですけど。僕も、大阪にいたとき一緒に政治活動をやっていた子が、何人か赤軍派に行ったんですね。それで、東京に来て大学に入った。大学もストライキをやっていて、そこに京浜安保共闘の人たちがいた。そして、そのあと赤軍派と京浜の人たちがくっついて連合赤軍ができる。僕はどっちからの知り合いもいるんです。いま考えると、厳しい言葉を使って相手をやっつけることは気持ちいいでしょう。

大友 ほんとに気持ちいいですよね。

高橋 「あいつはバカだ」と宣言するんだよね。

大友 「あいつはバカだ」というのを理論的に言えたりすると、すごく自分が上になったような感じがする。しかも、仲間がいたりするとね。

高橋 僕は当時からそれにすごく違和感があった。その気持ちもよくわかるけど、「なんか、それ、違くねえ?」って思ってた。すごく急進化していくヤツがいて、「おまえ、前は『天才バカボン』とか読んでたじゃん」って思った(笑)。やっぱり、政治でもどんどん純化したヤツには「すごいな」と思いつつ、「なんか僕には無理だな」と。「僕は家に帰って漫画読むよ」みたいになって、結局僕はそこまでは行かなかった。

大友 源一郎さんはそれがちゃんとできたということなんですよね。俺は行っちゃったんですよ。

高橋 だから、大友さんは危ないね(笑)。

大友 危ない。震災のときの自分の行動を見ても、やっぱり危ないんですよ。すぐ福島に入っていって、いろいろ動いて。僕は高柳さんの後はもうそういうスイッチは入れまいと思っていたの。だけど、震災後、「もういいや、入れよう」と、自分で意識的に入れたんですけど、いま考えるとやっぱり危なくて、気をつけたほうがいい。

高橋 危険だよね。

大友 俺、危険。

高橋 ハハハハハ。こんなに優しそうな顔をしているけど、大友さんが一番ヤバい(笑)。

大友 何か言うと、人が集まってきちゃって、楽しい感じになっちゃうんですね。だから、ほんとに気をつけたほうがいいですよ。俺の本も読まないほうがいいかも(笑)。

高橋 実際、自分が好きなノイズとか、好きなものとは違うところへちょっと行っちゃうよね。

大友 そうなんです。

高橋 逆に言うと、大友さんが憧れているのは、自分の中にあるヤバいものがわかっているからじゃないのかな。

大友 そうなのかな~。いまは、何となく自分で意識して、この本を書くときにも、背景にはそういうのが必ずあるけれども、高柳さんのところにいた20代の数年間は、全く見えなくなっていましたね。すごい急進的になっていた。

高橋 大友さんとは6年ぐらいの付き合いになりますが、フットワークは軽いし、組織力はあるし、すごいなと思いつつ、「大丈夫?」という……。

大友 そうそう、おっちょこちょいだからね(笑)。

高橋 どこでも行っちゃうし、すごく集中してやるでしょう。

大友 やりだすと、もう、そればっかりになっちゃうんだよね。

高橋 危険だよね。

大友 危険。ほんとに危ないですよ。しかも、人を巻き込みますから。

高橋 しかも、楽しそうにね(笑)。

大友 「イェ~イ」って楽しそうに巻き込んで、飽きて、違うところに行っちゃうから、よく「かけた梯子を外して、どこかへ行っちゃう」と言われて嫌われますけど、高柳さんの教室もまさにそうで、俺がいっぱい集めておいて、真っ先に高柳さんと喧嘩してやめちゃうんですよ。残された人たちは当然、俺への恨みが募るし、そのピークで高柳さんが亡くなっちゃうんですよね。だから、その人たちとのケジメを俺はつけられないまま、何年も経っちゃって、後に何人かと会って話しましたけど、いやあ、もう……、と言いながら、この性格が変わらないんですけどね。

 だから、プロジェクトFUKUSHIMA! をつくったときも、そうならないようにと思いながら、ついついやっちゃう自分もいて……。

関連書籍

良英, 大友

ぼくはこんな音楽を聴いて育った (単行本)

筑摩書房

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