僕はこんな音楽を聴いて育った

【後編】ぼくらにはこんな友達がいた、あんなことがあった
『ぼくはこんな音楽を聴いて育った』(大友良英著 刊行記念対談)

*いよいよ後編です。大友さんの弟子時代、「あんなことがあった」とは何だったのか? 核心に迫ります。これ、絶対読んだほうがいいです!

■ハーメルンの笛吹きになる危険性

高橋 音楽、ノイズであったり、美術であったりは、非常に自由な世界ですよね。でも、どこか自分のところに、そういうのをやりつつも、どこか純化してしまう部分があって、でも、芸術表現というのは、そもそもそんなに安全なものじゃないと思うんです。絵を描くために、貧乏で子供を犠牲にしたり。島崎藤村みたいに、子供を栄養失調で三人ぐらい死なせてしまうとか。虐待だよね。偉大な作家だから誉められているけど、単なる児童虐待だもん。つまり、作品を書くためなら子供の命なんかどうでもいいと思ってはいなかったと思うけど、結果としてそうなっているから。そういうのはつきものですよね。だから、すごく怖い。芸術表現というのは本当に楽しく人を動かすからね。どの方向へでも。

大友 特に音楽は基本的に楽しげだから。小説はちょっと苦しげだったりとか、日陰だったりとかさ(笑)。

高橋 音楽は心の中にずかずか入ってきちゃうからね。

大友 音楽はヤバいんですよ、基本的に楽しげだし、衝動に対してすごく忠実だから、パンクやノイズもそうですが、「行け~!」みたいなかんじになると、「ギャー」だから。

高橋 ハーメルンの笛吹きみたい。

大友 ほんとですよ。だから、「音楽はいいですよね」と言われると、「いやいや、軍歌も音楽ですよ」と言いたくなっちゃうし、「音楽で絆」とか言うと、「軍歌も、音楽で絆ですよね」と言いたくなる。

高橋 確かに、アルバート・アイラー、エリック・ドルフィーを聴いている限りは、あまり危険な方向には行かないかもしれない。でも、すごく甘い音楽とか、そういうのも大友さん、好きじゃない? ミュージカルとか。

大友 もちろんです。

高橋 僕は、ミュージカルを見て涙を流すし、歌謡曲も好きだし、テレサ・テンなら何曲でも歌えるし(笑)。そういう部分はやっぱりないといけないしね。

大友 そうです。

高橋 だから、この本は、大学入るまでで終わって、本当はこの先に危険な……。

大友 そうなんです。でも、いつか書かなきゃいけないとは思っていますけど、結構、この先はキツい。面白おかしい話はいっぱいあるし、いくらでも書けますが、高柳さんのところでもダメな生徒だったし、失敗談なんかいくらでもあるけれども、それ以上に、ものすごく重い話が背景にあるので、でも、どこかで書かなきゃいけないと思っています。

高橋 でも、書けないよね。僕も書けない。それはどういう書き方がいいのか、未だにわからない。

大友 源一郎さんがわからないなら、俺にはわかりませんよ。

高橋 だから、何でも書かなきゃいけないということはないんじゃないの?

大友 そうかもしれないけれども、どうやってケジメをつけたらいいだろうと、左翼的なことをついつい考えて(笑)。

■総括はしなくていい。だいたいでいい

高橋 総括しなきゃと思うでしょう。そもそも、そこが間違っているよ(笑)。

大友 そこが間違っているのかな(笑)。

高橋 僕は、この20年間で一番気に入った言葉、これでいいんだと思った言葉があって、吉本隆明さんと大塚英志さんの対談集『だいたいで、いいじゃない。』(文藝春秋、2000年刊)で結構救われて。吉本さんは、戦後日本で一番厳密に考えてた思想家の一人でしょ。

大友 「だいたい」じゃない感じですよね。

高橋 それが大塚さんとの対談で、「だいたいで、いいじゃない」と言ったとき、そうか、突き詰めていった果てには、だいたいでいい、になるのかと(笑)。さっき僕らが危険だと言った、左翼だけじゃなくて、敵をやっつける政治がそうでしょう。選挙もそうだけど自分の訴えじゃなくて「あいつはダメだ」と言う。これって、考えればいくらでも出てくるんだよね。

 僕はツイッターをやっていて、右も左も両方フォローしてるの。すごく面白くて、一つのことについて両方から反対の意見が出てくる。Aの支持者は「ここがいい」と。反対のBの人はそのことはスルーして、「ここが悪い」と。だから、ここが良いか悪いかの論争にならないんだよね。逆に反対の人が「ここが悪い」と言ったら、支持者はそこを無視して「ここがいい」と。それ自体は間違っていないよね。ずっとすれ違って、相手をやっつける。そのためにどんどん頭がクリアになりどんな細かいこともよく見つける。6年前の3月21日にこんなことを言っていて、2年半後に言ったこれと矛盾するとか。すごい情熱だよね(笑)。これって、人間の知性の使い方として間違っているだろうと思う。自分だって言っていることが矛盾するわけですよね。僕は、「だいたいでいい」というのは、普通、どんな思想にもないけれども……。

大友 思想って、そもそも「だいたい」じゃないことを求めるから思想になっていくわけですよね。

高橋 でも、生きていくって、だいたいじゃない? いつ死ぬかもわからないし。

大友 あまり突き詰めると苦しくなっちゃうしね。

高橋 だから、だいたいでいいから、日々を過ごせているわけですよ。もし悪魔がいて、「君がいつ死ぬか、教えてあげようか」と言われても、聞きたくないですよ。死ぬまでに全部クリアに計画を立てなきゃいけなくなる。どこへ行くかわからないから、だいたいの計画しかたたないから、生きていける。そういうものじゃないかと思うようになった。

 大友さんがずっとひっかかってきた、厳密にやっていって苦しい世界があるけど、いま僕らがやっていることは、だいたいなんだよね。

大友 ほんとにそうですね。

高橋 さっき、美術家と会った話があって、大友さんも対話のために参加しているんじゃなくて、自分の作品を出すと。音楽と美術かどっちと言われても、どっちかというと美術……。

大友 定義する理由はあまりない。どっちでもいいというのがある。

高橋 「だいたい」の次は、「どっちでもいいじゃないか」というようにしていけばいいのかなと思って。僕もずっと、大友さんと同じように、総括しなきゃいけないのかなと思ったけれども、何のためにもならないでしょう? まあ、読みたい気はするけど、意味があるのかなと。それよりもっと楽しい別の曲を作るとか、もっと楽しい小説を書くとかしたほうがいいんじゃないですかね。

関連書籍

良英, 大友

ぼくはこんな音楽を聴いて育った (単行本)

筑摩書房

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