アメリカ音楽の新しい地図

5.ラナ・デル・レイとフェイクの美学

トランプ後のアメリカ音楽はいかなる変貌を遂げるのか――。激変するアメリカ音楽の最新事情を追い、21世紀の文化=政治の新たな地図を描き出す!


ハリウッド・サッドコア
 現在のアメリカのエンターテインメント業界において、ラナ・デル・レイは控えめにいっても異質なシンガーだといえるだろう。レディ・ガガやビヨンセ、ケイティー・ペリーなど一貫して女性のエンパワメントを主張するアーティストと比べると彼女の反動的なイメージは際立っているし、メジャーな女性シンガーの中では比較的政治色の薄いテイラー・スウィフトともその立ち振る舞いは異なっている。実際、彼女はあるインタビューで「私にとって、フェミニズムはあまり面白い問題ではない」と答えている。「私はどちらかというと、スペースXとかテスラとか、私たちの銀河系でどのようなことが起こりうるかとか、そういうことに興味があるの。誰かがフェミニズムの話題を挙げるたびに、私は本当に興味がないんだと思う。」 (1)
 
もちろん、この受け答えそのものがいかにもラナ・デル・レイらしいもったいぶった(pretentious)ものだが、デビュー以来、彼女に向けられた批判もそのフェイクな(pretend)イメージに集中している。ニューヨーク・タイムズの記者ジョン・カラマニカによる2012年の辛辣な批評はあまりに有名だろう。実質的なメジャー・デビューアルバム、《ボーン・トゥ・ダイ》のレビューとして掲載された記事において、カラマニカは「危険な趣味を持つ情婦」、「腫れぼったい唇」など、彼女の「偽り」のイメージがデビュー前にすでに分析、消費され尽くされていることを看破し、最後に次のような段落で締めている。

そこには全方位的に偽善が蔓延っている。デル・レイ氏、彼女を支えるさまざまなチームやスタッフ、そして彼女を批判し、葬り去ろうとする人々。これほどの悪意によって始められたキャリアがこの世界で長続きすることはないが、だがこの時点でデル・レイ氏にいったい何かできるだろう? ほとんどない。彼女のイメージはすでに固着されており、その経歴は具体的に明らかになっている。残された唯一のオプションは、あの顔の塗料を洗い流し、髪をくしゃくしゃにして数年後にもう一度出直してみることだろう。他にも選ぶべき人たちはいくらでもいるのだから (2)。  

 ところが、大方の予想に反してラナ・デル・レイは成功した。《ボーン・トゥ・ダイ》(2012)はビルボード総合チャートで2位を記録し、現在までに700万枚以上のセールスを誇る大ヒット作となった。さらに、次の《ウルトラヴァイオレンス》(2014)と最新作《ラスト・フォー・ライフ》(2017)はどちらもリリース後、アルバムチャート初登場1位という偉業を成し遂げている。彼女はそのフェイクなイメージを徹底することで――まるでジェイ・ギャツビーのように――アメリカの音楽シーンを制覇したのである。
 のちに『フェーダー』誌の編集長となるダンカン・クーパーが2014年の記事で述べるように、 彼女の作品から浮かび上がるテーマは「優柔不断、服従、アメリカのアイコンへの憧憬、そして自分と彼女自身が偶像化する男性に潜む自虐性」であり(3)、 それらがポリティカル・コレクトネスを前提とするアメリカのエンターテインメント業界でどれだけ特異なものかは容易に想像できるだろう。「ギャングスター・ナンシー・シナトラ」や「ハリウッド・サッドコア」など的確なコピーで自らをブランディングする彼女のフェイクなイメージと、そのあからさまな政治的反動はいったいどのように折り合いをつければ良いのだろうか。

(1)Duncan Cooper, “Cover Story: Lana Del Rey Is Anyone She Wants to Be,” The Fader, 92 (June/July 2014), http://www.thefader.com/2014/06/04/cover-story-lana-del-rey-is-anyone-she-wants-to-be.
(2)Jon Caramanica, “Dissected Long Before Her Debut,” The New York Times, Jan. 25, 2012, http://www.nytimes.com/2012/01/29/arts/music/born-to-die-lana-del-reys-debut-album.html.
(3)Cooper, “Cover Story: Lana Del Rey Is Anyone She Wants to Be.”

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