アメリカ音楽の新しい地図

5.ラナ・デル・レイとフェイクの美学

トランプ後のアメリカ音楽はいかなる変貌を遂げるのか――。激変するアメリカ音楽の最新事情を追い、21世紀の文化=政治の新たな地図を描き出す!

ナショナル・アンセム
 ラナ・デル・レイの名を有名にしたのが〈ビデオ・ゲーム〉(2011)のミュージック・ビデオであることは重要である。インターネット上のバイラル・ヒットとなったこのビデオは本人が演出と編集を手がけているが、スケートボードやバイクに乗る若者たちやモノクロの歴史映像の断片に加えて、アメリカの国旗、過去のアニメーション、それに泥酔したセレブリティーの様子などのクリップが挟まれている。

ラナ・デル・レイ〈ビデオ・ゲーム〉


  「裏庭で揺れている/あなたの速い車が止まる/私の名を呼びながら/ビールを開けて/こっちに来いとあなたは言って/ビデオゲームを始めた」というラインで始まる歌詞は「揺れている “Swinging”」というブランコを思わせる幼さと「ビールを開けて」という成人を示すフレーズがラナ・デル・レイ特有の背徳的な関係を仄めかす。だが、最初のヴァースの最後で「ビデオゲームでもしてれば “Go play your videogame”」と突き放した「ゲーム」は、徐々に語り手と歌そのものを侵食する。二番のヴァースで「暗闇の中でキスをして/ビリヤードとワイルドなダーツ、そしてビデオゲームをプレイする」主体はもはや相手の男性に限らず、最後の「私たちの友人がオールド・ポール(教会)に出たり入ったりするのを眺める/それが私にとってビデオゲームの楽しみ」というラインでは、友人たちの結婚や別れという現実そのものがビデオゲームに喩えられるのだ。
 ミュージック・ビデオも同じように、初めにさまざまな映像のクリップとは独立して挿入される彼女のショットは、やがて他の断片的な映像と同じザラついた質感を持ち始め、ラナ・デル・レイ自身が映像=ビデオゲームの登場人物であるかのようにみえる。イメージ都市ロサンゼルスでは、現実も歴史もアニメーションの世界ですら断片の集積でしかありえず、しかもその破片のような世界で人々はときおりスケートボードの技に失敗し、パーティーで酩酊する。歴史のフラグメントはビデオゲームの素材となり、そこで誘惑と失墜のゲームが繰り広げられる――このような解説をしたり顔で呟きたくなるほど、ここには後のラナ・デル・レイの作品群に現れるテーマが過不足なく表現されている。
 歴史的素材を作為的に混入することで作品に過剰さを付与する演出は、同じアルバムに収録された〈ナショナル・アンセム〉(2012)のミュージック・ビデオにも見ることができる。ラナ・デル・レイはここでマリリン・モンローとジャクリーン・ケネディの二役をひとりで演じるが、1962年5月19日に開催されたジョン・F・ケネディの誕生日祝賀会を彷彿とさせる冒頭のシーンにおいて、彼女はマリリンと同じようにバースデイ・ソングを艶めかしく歌っている。その視線の先にエイサップ・ロッキー扮する大統領が映し出され、次にジャクリーンを演じるラナ・デル・レイがエイサップ・ロッキー(ジョン・F・ケネディ)と二人の子供たちと豪邸で仲睦まじく遊ぶシーンが続く。ビデオは後半、テキサス州ダラスを訪れた大統領の車列を映したケネディ大統領暗殺事件の映像(いわゆるザプルーダー・フィルム)の再現シーンとなり、銃声とともに飛び散る脳髄を掻き集めようとトランクに乗り上げるラナ・デル・レイの姿で終わる。

ラナ・デル・レイ〈ナショナル・アンセム〉
 
マリリン・モンローのケネディ大統領へのバースデイソング


 もちろん、黒人ラッパーのエイサップ・ロッキーをジョン・F・ケネディ大統領に見立てる演出は、バラク・オバマが初のアフリカ系アメリカ人大統領を務める2012年には特に驚くべきことではない。だが、ビデオの途中にたびたび挿入される異人種間性愛を思わせるショット――ラナ・デル・レイの白い手がエイサップ・ロッキーの黒い身体に触れる――がことさら官能的に見えるとすれば、それはケネディ大統領の在任期間である1961年から63年はまだアメリカの多くの州で異人種間婚が禁じられていたからである。全国的に異人種間の婚姻が認められるのは最高裁が異人種間婚禁止法に対する違憲判決(ラヴィング対ヴァージニア州)を下す1967年以降のことであり、その意味で〈ナショナル・アンセム〉は歴史的に遡ることで白人女性と黒人男性のカップリングに(現在では失われた)社会的禁忌の意味をふたたび注入したといえるだろう。
 こうしてラナ・デル・レイは過去を参照することで作品に過剰さをもたらしている。暴力的な恋人との関係が歌われる〈ウルトラヴァイオレンス〉(2014)において、彼女はヴァースとコーラス部分に「彼は私を打って、それはキスのように感じた」という1962年のクリスタルズの曲のラインを忍ばせる。「ヒー・ヒット・ミー(アンド・イット・フェルト・ライク・ア・キス)」はジェリー・ゴフィンとキャロル・キングがベビー・シッターのリトル・エヴァの実体験にもとづいて作曲したといわれるが、リリース当時、虐待を連想させるとして多くの抗議に見舞われたという。この曲のサビで「ヴァイオレンス」と「ヴァイオリン」が意図的に同じ発音で歌われるように、ラナ・デル・レイが暴力に甘美な響きを見出していることは明らかだが、それに1960年代のガール・グループによるドメスティック・ヴァイオレンスを思わせる歌詞を挿入することで、彼女は自らのパーソナルな告白をアメリカの文化史に溶解させるのだ。

クリスタルズ〈ヒー・ヒット・ミー(アンド・イット・フェルト・ライク・ア・キッス)〉

 歴史の断片をサンプリングするラナ・デル・レイのスタイルは、彼女のポストモダンな特質を露わにする。三枚目のシングル〈ブルー・ジーンズ〉(2012)で「あなたはパンクロックっぽくて、私はヒップホップ育ち」と歌うように、彼女とヒップホップの相性は悪くない。音楽的にも《ボーン・ドゥ・ダイ》がクラウド・ラップやトリップ・ホップなどヒップホップのサブジャンルといえるサウンドを採用した楽曲を数多く収録しているし、アルバム《ハネムーン》(2015)には〈ハイ・バイ・ザ・ビーチ〉や〈アール・デコ〉など現行ヒップホップのメインストリームを形成するアトランタのトラップ・ミュージックの影響を感じさせる曲も多い(4)。何より、キッド・カディやカニエ・ウェストなどとの共演で知られるプロデューサー、エミール・ヘイニーやジェフ・バスカーがデビュー・アルバムに深くかかわっている時点でヒップホップのサウンドを意識しているのは明らかだろう。
 クリスタルズの曲の歌詞が〈ウルトラヴァイオレンス〉に引用されるのはこの点でも興味深い。何故ならゴフィン&キングが作曲した原曲のプロデューサーはフィル・スペクターであり、「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる彼の録音手法が現在のトラップ・ミュージックと同様にエコーやリヴァーブなど空間系の反響音を人工的に強調するサウンド・プロダクションであるからだ。アメリカの文化史的破片をサンプリングしながらリヴァーブの残響音に自らの声を溺れさせる――ラナ・デル・レイのフェイクなサウンドはこのように設計されているとひとまずいうことができるだろう。

 

 そして、多くの批評家はこの過剰さを「メロドラマ的」という言葉で形容する。《ウルトラヴァイオレンス》を「彼女のメロドラマ的な資質がもっとも優れたかち表出している」と肯定的に評価する文脈でも使われるし、〈サマー・サッドネス〉(2012)のミュージック・ビデオを「いつものセピア色のトーンやメロドラマ要素が満載」といくぶん揶揄するレビューでもこの言葉は用いられている(5)
 たしかにフェイク(fake)やフォニー(phony)、さらに気取った、もったいぶった(pretentious)などラナ・デル・レイを評する際に頻繁に用いられる形容詞は、過剰さや人工性を特徴とするメロドラマというジャンルと親和性が高い。1970年代以来、メロドラマ研究は文学や映画の領域に重要な成果を残してきたが、その嚆矢とも言えるピーター・ブルックスの『メロドラマ的想像力』の冒頭は、「本書は、過剰なるもの、それもとりわけ近代小説の試みと密接に結びついた、ドラマ化の強調モードをめぐって、書かれている」という一文で始まる(6)
 ラナ・デル・レイの「過剰さ」を分析する上では、メロドラマ研究史上のもうひとつの古典ともいえるトマス・エルセサーの映画論が有益だろう。音楽を表すmelosとドラマdramaが組み合わさった「メロドラマ」が本質的に音楽にかかわる用語であることはいうまでもないが、ブルックスと同じようにエルセサーはメロドラマが流行したフランス革命直後のヨーロッパに注目し、「ファミリー・メロドラマの人気の絶頂期が、強度の社会的、イデオロギー的危機の時期と一致する」という知見を披瀝する。こうした物語において、「悪漢(しばしば高貴な出自)はいつもきまって性的侵犯と強姦未遂を通して、政治的、経済的に傲慢な力を誇示」し、「女性主人公には自殺するか、恋人とともに毒をあおるかという選択しか残されていない」が、そのメッセージとは「道徳的、感情的に解放されたブルジョワ的良心の、封建主義の残滓に対する闘争を記録するもの」だという。つまり、メロドラマは社会的、経済的な闘争を個人的な葛藤に変換する表現装置である。


 階級間の軋轢を性的搾取や強姦として隠喩的に解釈提示しながら、イデオロギーの衝突に根源的なものを内在化させ個人化させる要素は、映画を含むその後のメロドラマの形式すべてにとって重要である(7)


 2017年1月20日にドナルド・トランプが第45代アメリカ合衆国大統領に就任した後の世界から振り返ると、この一節は非常に示唆的に響く。つまり、ラナ・デル・レイが繰り返し描写するドメスティック・ヴァイオレンスや性的搾取のモチーフは、「階級間の軋轢」の代替的な表現であり、オバマ政権下にすでに潜在していたものである。アメリカの左翼運動が組合中心の階級闘争から承認をめぐるアイデンティティ・ポリティクスに移行した結果、置き去りにされた白人労働者階級の不満がいずれ噴出するというリチャード・ローティやマイケル・ムーアの予言の正当性はここでは問わないでおく(8)。別の言い方をすれば、彼女の作為=フェイクは「階級間の軋轢」を隠蔽し、その「内在化、個人化」された表現として成立していたのであり、それがトランプ政権誕生によってアメリカにはっきりと顕在化したのだといえるのだ。 アメリカの文化史を断片的にサンプリングしながらフェイクなイメージを構築し、そこに甘美さを見出したラナ・デル・レイ――そのポストモダニズムの徹底はオバマ時代にもっとも輝きを放つと同時にポスト・トゥルース時代を予見する。フィル・スペクターが自身のサウンド・プロダクションにおいて決定的に重要なテクノロジーとして位置付けたエコー・チェンバー(反響室)の比喩に見られるように、ラナ・デル・レイは自分と同じ意見のみが残響するリヴァーブの深海で歌い続けるのである。

(4)Da'Shan Smith, “The Gangsta Nancy Sinatra: 9 Lana Del Rey Songs That Experiment With Hip-Hop,” Billboard, May 15, 2017, https://www.billboard.com/articles/columns/pop/7793184/lana-del-rey-songs-hip-hop.
(5)Dee Lockett, “’Ultraviolence’ Is Lana Del Rey at Her Melodramatic Best,” Slate, June 4, 2014, http://www.slate.com/blogs/browbeat/2014/06/04/lana_del_rey_ultraviolence_hear_the_moody_title_track_from_her_upcoming.html; Brennan Carley, “Lana Del Rey Mourns a Lost Love in ‘Summertime Sadness’ Video,” Billboard, July 20, 2012, https://www.billboard.com/articles/columns/viral-videos/481115/lana-del-rey-mourns-a-lost-love-in-summertime-sadness-video.
(6)Peter Brooks, The Melodramatic Imagination: Balzac, Henry James, Melodrama, and the Mode of Excess (Rev. Ed. 1995; New Haven: Yale University Press, 1976) ピーター・ブルックス(四方田犬彦、木村慧子訳)『メロドラマ的想像力』産業図書、2002年、11頁。
(7) Thomas Elsaesser, “Tales of Sound and Fury: Observations on the Family Melodrama,” 1972, in Grant, Barry Keith ed., Film Genre Reader IV, Austin, University of Texas Press: 2012, 433-462.トマス・エルセサー(石田美紀・加藤幹郎訳)「響きと怒りの物語――ファミリー・メロドラマへの所見」岩本憲児・武田潔・斉藤綾子『「新」映画理論集成1歴史/人種/ジェンダー』フィルムアート社、1998年、17頁。
(8) Richard Rorty, Achieving Our Country: Leftist Thought in Twentieth-Century America, Cambridge: Harvard University Press, 1999,(リチャード・ローティ(小澤照彦訳)『新装版アメリカ未完のプロジェクト――20世紀アメリカにおける左翼思想』晃洋書房、2017年)、Michael Moore, "5 Reasons Why Trump Will Win," https://michaelmoore.com/trumpwillwin/.この点に関しては、主要な要因は経済的苦境ではなく人種差別だとするタナハシ・コーツ(Ta-Nehesi Coates)などの論客もおり、最近のデータは後者の主張を裏付けているようにみえる。German Lopez, "The past year of research has made it very clear: Trump won because of racial resentment," Vox, Dec 15, 2017, https://www.vox.com/identities/2017/12/15/16781222/trump-racism-economic-anxiety-study.
 

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