日本人は闇をどう描いてきたか

第十七回 東大寺二月堂本尊光背 ――光に照らし出される闇の世界

日本美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれるのか、その先にある救い、そして笑いとは――作品に即して読みとく、闇からの日本美術入門。第十七回は、仏像の背後に描かれた地獄絵から。

奈良時代から続く仏事

 東大寺二月堂は、修二会(しゅにえ)と呼ばれる、十一面観音に対する悔過(けか)を行うための仏堂である。悔過とは、仏に自らの罪過を懺悔することで除災招福を祈念する仏事である。古くは、皇極天皇元年(六四二)に、蘇我蝦夷(そがのえみし、生年不詳~六四五)が雨乞いのための悔過仏事を提案したと、『日本書紀』に記されている。
 奈良時代には、様々な尊格に対する悔過が行われるようになり、そのうちのひとつが、草創期の東大寺で活動した実忠(じっちゅう、七二六~没年不詳)が、天平勝宝四年(七五二)に『十一面神呪心経』という密教経典に基づき創始した、二月堂の修二会である。以来、不退の行法として、一度の中断もなく今日まで続いている。現在は、三月一日から十四日までの期間で行われているが、本来旧暦の二月一日に開始される仏事であることから、修二会と呼ばれる。
 修二会に参籠する僧を練行衆(れんぎょうしゅう)と言い、毎年十一名が選出され、俗界から別たれた火(別火、べっか)を用いる生活を送って身を清め、二週間にわたる仏事に従事する。心身の穢れを払った練行衆が、十一面観音を讃え、五体投地(ごたいとうち)を繰り返して、罪過を懺悔し、天下泰安・風雨順時・五穀豊穣・万民豊楽といった、世の平安を祈願する。五体投地とは、両膝・両肘を地につけ、さらに合掌して頭を地につけて仏を礼拝する作法であるが、修二会では、堂内に置かれた板に身体をたたきつける荒行となる。
 毎夜の行法には、大きな松明(たいまつ)が用いられることから、修二会は「お松明」とも別称される。さらに、満行も近い十二日から十三日にかけての深夜には、二月堂の麓にある閼伽井屋(あかいや)内の若狭井(わかさい)から香水(こうずい)を汲み上げ、本尊に備える。このことから、「お水取り」との名でも親しまれている。火と水の力によって世界に新しい生命力を吹き込む修二会は、冬から春へ、死から生へと移り変わる時間の狭間で行われる仏事なのである。

修二会の本尊

 二月堂内陣には、それぞれ大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる大小二体の十一面観音像が安置されている。両像ともに修二会の本尊であるが、絶対の秘仏とされ、たとえ練行衆であってもこれらを見ることはできない。
 ところが、寛文七年(一六六七)、修二会満行目前となった二月十三日に、二月堂が火災によって焼失し、小観音は救出されたものの、大観音は甚大な被害を受けた。像そのものは焼け跡に立ち続けている状況であったと言い、その後、再び秘仏として厳重に保管されている。
 この時、大観音の光背が舟形の身光部六十七個及び円形の頭光部二十個の断片となった状態で焼け出された。火災後は長らくその存在が忘れられていたようであるが、明治期に東大寺法華堂脇の校倉(あぜくら)に保管されていることが確認された。現在は、奈良国立博物館の常設展示室(なら仏像館)にて、アクリルのケースによって保護された状態で、表裏を間近に見ることができる。

光背に線刻された地獄絵

 この光背の表面には、千手観音を中心とする仏菩薩や諸天、八部衆らの群像が線刻されている。さらに裏面には、現世の中心にそびえる須弥山(しゅみせん)、その南方海上にあって人間が住んでいる閻浮堤(えんぶだい)が表され、その上方にある天界を経て、次第に上昇しながら仏菩薩の世界(図1)に到達する仏教の世界図を見ることができる。そしてこの世界図の最下部に表されているのが、十八の燃えさかる炎の山と人骨や亡者の姿である(図2)。

【図1】「二月堂本尊光背(裏面)」(重文、東大寺蔵)、拓本による部分図・上部
【図2】同上、拓本による部分図・下部
1,2ともに画像出典:特別陳列 東大寺二月堂とお水取り(2000年、奈良国立博物館)より

 これは、『大智度論(だいちどろん)』が説く十八地獄に相当し、日本における現存最古の地獄絵として理解することができる。しかしなぜ、十一面観音像の光背に地獄が表現されているのだろうか。

光によって照らし出された世界

 この点については多くの議論がある中で、近年『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつこうだいえんまんむげだいひしんだらにきょう、『千手経』と略称される)』に説く、観音菩薩が不思議な力を発揮する神変(じんぺん)と関連するという見方が有力視されている。
 同経は、七世紀半ばに伽梵達磨(かぼんだるま)が漢訳し、唐代の中国では、この中に含まれる陀羅尼(だらに、祈祷のための呪文)に、鎮護国家から個人の宿願成就まであらゆる功徳が備わるとして信仰された。日本にも八世紀までには請来され書写を重ねることで広まり、観音信仰の浸透を促した。
 その内容は、補陀落伽山(ほだらかさん)にある観音菩薩の宮殿の宝を用いて荘厳した道場に、仏が諸菩薩・諸天を集めて説法した際、仏の許しを得た観音菩薩が進み出て、世界の衆生を救うために「広大円満無礙大悲心陀羅尼経」の功徳を説くというもので、仏の前で観音が神変を起こす、次の場面からはじまる。

時に観世音菩薩、大会(だいえ、浄土における仏の説法の集まり)の中において、密かに神通を放つ。光明は十方刹土(じっぽうせつど、あらゆる方角に広がる全ての世界)を照曜(しょうよう)し、此の及ぶ三千大千世界(さんぜんだいせんせかい、ありとあらゆる世界)は皆金色(かいこんじき)となる。天宮・龍宮・諸尊・神宮も、皆悉く震動す。江河・大海・鉄囲山・須弥山、そして土山・黒山も、また皆大動す。日・月・珠・火・星宿の光も、皆悉く現れず。(『大正蔵』二〇、一〇六頁)

 これは、観音が発した光明によって世界の隅々(十方刹土や三千大千世界)があまねく照らし出され輝き、全てが金色となって瞬時に救済されるという場面である。これに基づき、二月堂本尊光背表面には、千手観音を中心に、この大会に参集した仏菩薩・諸天・八部衆らが表されている。
 また裏面には、千手観音の発する光明の中に浮かび上がった世界そのものが表されている。ただし、ここに掲げた『千手経』の簡略な経文に比して、光背裏面の図様ははるかに豊富な内容を含んでいる。その図像構成の背景には、『華厳経(けごんきょう)』や『梵網経(ぼんもうきょう)』などに詳述されている蓮華蔵世界や三千大千世界といった、仏教的宇宙に関する経説が参照されているようだ。さらに細部に関しては『大智度論』や『観仏三昧海経(かんぶつざんまいかいきょう)』などを併せて参照し、地獄をも組み込んだ総合的な世界図が構想されている。
 地獄絵のすぐ上に線刻された須弥山は、世界の中心にそびえるという山で、人間のすみかはこの麓に広がる閻浮堤にある。このような世界観は古代インド神話に起源を持ち、『長阿含経(じょうあごんぎょう)』など原始経典にも説かれるが、ここに表された図像は十八地獄と同じく『大智度論』の説に近い。
 つまり、この光背の図像は、諸経典を広く参照し、教学的な知識を総動員して解明した「世界の姿」なのである。

国家の雛形を映し出す光背

 古代日本人が、仏教を手掛かりに自らの住まう世界を探究する過程で、深い闇の底に発見した地獄は、人間世界を、さらにその先にある仏菩薩の世界を逆に照射する。この光背に表された世界図において、人間世界は地獄と極めて近く、仏菩薩の世界は絶望的に遠い。しかし、いかなる場所にいたとしても、仏菩薩の光明は世界をあまねく照らし救済に導いてくれる。八世紀の日本で確立したこのような世界認識が、その後も長らく社会の基盤として共有されていく。
 この光背には、その後の日本という国の「雛形」が浮き彫りになっている。古代・中世の日本では、政治も経済も文化も、この明快な世界図を土台として展開した。毎年一度、繰り返しこの世界図に立ち戻り、世に蔓延する罪過を懺悔することで、光り輝く仏菩薩の世界への願いを新たにする。創始以来、今年で実に千二百六十七回を数えるこの「不退の行法」は、世界に生命を吹き込み再生させる力を秘めている。

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