PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

瀬戸際の魔術師
昔、一緒に暮らした人たち・3

PR誌「ちくま」1月号より古谷田奈月さんのエッセイを掲載します

 家計のために父が手を出した副業は、だいたいが魔術がらみだった。〈競馬で大勝ちする方法〉を本に書き、〈シュッとひと吹きするだけで肌がきれいになる水〉をボトルに詰め、魔術を必要としている人たちに売っていた。父のそうした仕事の数々を、幼少時の私は気に入っていた。
 その頃の父がプレゼントしてくれたものの中に、善か悪かを鑑定してくれる鎖、という魔術道具があり、私はそれも気に入っていた。いったいどこで手に入れたのか、長さ二十センチくらいの細い鎖で、先端には弾丸そっくりの重しがついていた。使い方としては、何もついていないほうの先端を指でつまみ、弾丸の重しをまっすぐに垂らす。そのままじっとしていると、やがて重しがひとりでに円を描き始める。その回転が右回りなら、重しの下にあるものは自分にとって善いもの、左回りなら悪いものということだった。
 この道具に私は夢中になった。大好きな漫画の上では右に回り、着心地の悪い服の上では左に回るのを確かめては悦に入った。お前が自分で動かしてるんだよ、こっちに回ってほしいと思う気持ちが微妙に指を動かしてるんだと兄は主張したが、魔術派の私にはなんとも怪しい説に思えた。
 道具なしで父が魔術を使ったときのことをよく覚えている。その日、私は父に連れられ利根川の河川敷に遊びに来ていた。前日が雨だったので川は増水していて、流れにかなり迫力があり、それを見て興奮した私は意気揚々とそちらへ向かっていった――一方の父は、増水した川に突き進んでいく七、八歳児から盛大に目を離してゴルフの素振りをしていた。私は浅瀬に足を入れ、しばらく一人で遊んでいたが、突然、怖い顔をした二人の大人が現れてぎょっとした。一人は父で、もう一人は見知らぬ、父の父くらいの歳の男性だった。子どもをこんな場所で遊ばせないほうがいい、とその人は父に忠告し、父は何も聞こえていないように対岸をにらみつけていた。
 私は自分が叱られたように感じてすっかりしょげ返ったが、帰りの車内で、父はなぜか上機嫌だった。そしてこう言ったのだ。「俺が助けなかったら、お前、溺れ死んでたな!」
 えっ、と私は驚いた。そうだったろうか? 私は溺れ死にそうだったろうか――そもそも、父は私を助けただろうか? 「もうちょっとで流されるところだった」と、しかし父は言い切るのだった。「馬鹿な奴だ。俺が助けなかったら、今ごろ川に飲まれてたぞ」
 子どもを騙す大人の口調ではなかった。心底からそう信じているのがわかった。他人から失態を指摘された屈辱から逃れるため、父は自分に魔術を使ったのだ。その魔術に引きずられ、私は、父の語りと自分の記憶のどちらを信じるべきかわからなくなっていった。心底から恐ろしかったが、正体不明の興奮を感じてもいた。二つの現実を同時に抱え込み、深い混乱に陥ったのは、小説を書き始める前ではそれが初めてのことだった。
 家に帰ると、父は英雄的なビールをしこたま飲んで早々に眠った。私はまだ夢うつつの状態だったが、父の魔術を信じるならせめて、部屋からあの鎖を持ってくるぐらいのことはすればよかったと悔やんでいる。父の寝顔の上に弾丸の重しを垂らしてみて、右に回るか左に回るか、確かめるくらいのことはすべきだったのだ。

PR誌「ちくま」1月号