考える達人

第12回 「性に<正しさ>はあるのか?」 

二村ヒトシさん:後篇

AV監督の二村さんとの対談の後篇です。石川さんが受けたハーバードの授業から性教育の話へ、色気のある世界にするにはどうしたらよいのか? 興味がつきません。

●ハーバードの人気授業「ポジティブ・セックス」

石川 ハーバードに留学している時、「ポジティブ・セックス」という授業があったんです。日本では、性教育と言っても病気の話ばかりなんですよ。そうじゃなくて、セックスでいかにして気持ちよくなるかということを学ぶんです。1回目の授業のタイトルは“How to get Orgasm”で、「これは面白そうだな」と思って受講しました。実際、めちゃくちゃ人気のある授業だったんですが、男は僕だけでした。なぜなのかと考えると、男はオーガズムが絶対に手に入ると思っているんですよね。
二村 ハーバードでも、わかってない男が多いんですね。射精なんて男性のオーガズムのほんの一部にすぎないのに。
石川 そのほかを知らないんですね。
二村 そう。自分たちは普通に射精できているから「これがオーガズムだ」と思いこんでいる。特にハーバードに行くような男性の多くはエリートで、社会的に女性を支配できているから、自分たちが“正しい豊かなセックス”をできていると、たかをくくってるんでしょう。そういうのを〈男性社会のインチキ自己肯定〉と呼びたい。
 ハーバードで学んでいるような女性ほど「自分のオーガズムは、本当のオーガズムなのか?」「自分は豊かな恋愛やセックスを享楽できているのだろうか?」と懐疑的でしょう。そりゃあ、その授業を受けますよね。ところがアメリカ国内あるいは他の国からハーバードに来ている男性は、それぞれのカルチャーの中で「自分のオーガズムはこれでいい」と思っていて、石川さんほどそこを考え詰めてないんじゃないでしょうか。
石川 先生は最初「セックスでオーガズムを得るのはほぼ無理だ。だからまず、バイブの使い方を学べ」と言ったんです。そこで取り出したのが、パナソニックの製品でした。

二村 ああ、電マ(電動マッサージ器)ね。これは本当か嘘かわからないんだけど“Hitachi”が英語で振動型バイブレーターのことを指すエロ用語になってるって聞いたことがある。“ハイタチィ”と発音してるらしいですよ。
『ヒステリア』(ターニャ・ウェクスラー監督、イギリス・フランス・ドイツ・ルクセンブルク合作、2011年)という映画があります。ヒステリー症状の治療法確立のために世界で初めてバイブレーターを女性のマスターベーション用に開発した1880年代のイギリスの男性医師の実話を基にしているんです(笑)。結局ラブロマンスになっちゃうストーリーがアナーキーじゃなくてやや物足りないんだけど、自慰行為の進化は精神分析学と産業革命が支えていたことを描く面白い映画でした。そのエンドロールに世界のオナニー器具の歴史が出てきて、ちゃんと日立の電マも登場するんだよね。
石川 Inspire the Nextですね(笑)。
二村 日立やパナソニック製とは限りませんが、今だと気の利いたラブホテルのベッドの脇には電マが備え付けてあります。

●性教育でどこまで教えられるか

石川 じつはその授業は全体の半分ぐらいが終わったところで、すばらしいと評判になったんです。それと同時に「この授業は男にこそ聞かせたかった。なぜ男は来ないんだ!」と僕がめちゃくちゃ責められて。
二村 あらゆる人種を含めて、教室には男性は石川さんだけだったってことですよね。そこで「イシカワはこの授業に出ているから、いい男だ」という空気にならなかったの?
石川 なりましたよ。「ヨシキは来てるからいいじゃないか」と言ってくれる女性もいました。
二村 そこで怒っていた女の人たちは、傷ついている女性たちなんだろうなと思うんですよ。男たちがこの授業を受けてくれれば女がセックスで悲しい思いをすることが減るのに、と。それはその通りなんですけど、石川さんを擁護した女性たちは男とコミュニケーションをする気があるから「ヨシキは見所がある! ヨシキから他の男たちにポジティブ・セックスを伝えてよ」となる。そういうポジティブな話にもなりえるし「だから男はダメなんだよ!」という糾弾トークにもなる。せっかくポジティブ・セックスのための授業なんだから、そこはポジティブに行きたいですよね。
 電マの話を補足すると、先生は「まずはここからだ」という意味で電マを出されたと思うんですけど、電マで得られるオーガズムって基本的にクリトリス・オーガズムなんですよね。普通の小さいローターと違って振動が強く、骨盤全体が震えるので、慣れている女性が上手く使えば子宮でのオーガズムも得られる。しかし電マの使いすぎで恥骨が疲労骨折した女性もいます。そこまで行かなくとも、電マばかりに頼っていると電マでしかいけなくなるので、そこは注意が必要です。その授業の先生は女性でしたか?
石川 ええ。
二村 先生ご自身が自分も使ってみて良い結果を得たから「まず女性は、これをやってみなさい」と啓蒙したんでしょうね。
 僕も、女性こそ探究心をもってオナニーをたくさんするべきだと考えます。罪悪感は不要です。楽しいオナニーをエンジョイしているほうが、くだらない男に引っかかる率が減る。つまらないセックスをされて「愛されているんだから、これが良いセックスだ」と勘違いしなくてすむ。男性からの精神的な自立です。まずは初歩のクリトリス・オーガズムからでいいから、的確な位置が自分でわかっていれば「あっ、この男は下手くそ」ってわかります。
 でも、その人の〈心の穴〉のありかたによっては、オナニーでは満たされない寂しさも生じる。男が自分で「こうすれば自分は射精する」ということがわかっているのと同じレベルで、もちろん女性も「こうすれば確実にクリトリス・オーガズムは得られる」と把握しておいたほうがいいけれど、その先には相手との一体感のあるセックスがある。とろけるセックスを体験できる相手を見つけるには、感情が一方通行ではダメです。相手の心にも穴が開いている。女性も男性も、お互いの「心の穴」に入っていかなきゃいけない。受け身だけでは豊かなセックスにはならないんです。セックスのために自分の体と、そして相手の心のメカニズムを知る、本当はそういうことを教えなきゃいけないと思います。
石川 それは性教育の一環として、ちゃんと教えたほうがいいですよね。
二村 『すべてはモテるためである』(イースト・プレス、2012年)に収録した対談で、哲学者の國分功一郎さんと「哲学者とAV監督が一緒になって、ちゃんと性の教育について考えるべきなんじゃないか」という話をしました。
 そして今回、社会学者の宮台真司さんと共著で『どうすれば愛しあえるの』(KKベストセラーズ、2017年)という本を出しました。
 セックスや恋愛の教育プログラムは、衛生学や発達心理学だけじゃなく、それこそ哲学や社会学、ジェンダーの歴史からも知見を得たほうがいい。人間の性は、石川さんのテーマである「幸せになるためには、どうしたらいいのか」にも大きく関係すると思います。そもそも現代の性教育も、娯楽としてのポルノも、いろいろと貧しすぎる。
石川 光と闇を含めて、ちゃんと性教育の中で教えようと。
二村 そうなんです。ただし、性の持つ本質的な闇の部分は〈社会の外〉にあるものなので、どこまで社会的な教育機関で教えていいのかという問題はあります。「闇を含んでいるんだよ」というところまでは教室で教えられるけれど、その闇が具体的に何かということについては教科書には書けない。書けるものでもない。興奮しなくなってしまうからです。
 でも「すごくデリケートなことだし、人を傷つける場合もある」というところまでは教えられる。幸せや快楽のためにやっているはずのセックスで、なぜ人が傷つくことがあるのか。社会が〈良い社会〉であっても、すべての人が〈正しい恋愛やセックス〉で満たされるとは限らない、それはなぜか。罪悪感を植えつけず、セックスの不道徳な楽しさについても、若い人たちはコッソリと知ったほうがいい。

●性に正しさはあるか?

石川 この間僕はブータンに行ったんですけど、ブータンって夜這いがあるんですよ。
二村 まだ前近代の風習が残っているわけですね。
石川 ガイドの男の子からいろいろと話を聞いたんです。彼らは「ナイト・アタック」をすると言ってました。たぶん夜這いのことだろうと思ったので、「夜這いしたら女の子は嫌がらないの?」と聞いたら、彼はびっくりして「えっ? 嫌がる女の子っているの?」と言うんですよ。ブータンではそのぐらい、夜這いが自然に根付いているみたいで。
二村 今日は石川さんのほうが下ネタを振ってくれて、俺のほうが理屈っぽい話で答えてるみたいですけど……、今の話を聞いていて「幸せって何なのかな」と思いました。ブータンのカルチャーにおいて、夜這いというのはレイプではない。共同体の中で自分のところまでたどり着いてきた男を、女はもてなすものであり、それでよい子どもが生まれたら自分の老後は幸せだ。すべての人がそう認識しているなら問題ないわけです。だけど日本やアメリカ、ヨーロッパ、あるいは中国の都市部の意識の高い人たちの前で今みたいな話をしたら、たぶん大変なことになりますよね。
石川 なぜ夜這いの話をすると怒られるんですかね。
二村 現代の女性の感情が傷つくからですよ。ここは重要なところなんだけど、実際にはレイプ被害を経験していなくても、子どものころから傷ついている心が刺激されることだってあります。両親の間の憎しみや支配・被支配が、その家庭で育つ人間を抑圧する。それで生じるのが現代人の「心の穴」です。
 もちろん文化の中には“悪しき伝統”も、いっぱいあります。男権社会の構造的なレイプや虐待の風習は無くなったほうがいい。夜這いがあった時代には、年配の女性が若い男にセックスの手ほどきをしてくれるのが〈正しくてエロい〉習慣だったのでしょうが、それ自体が女性の尊厳や自由意志を無視した古い共同体からの強制だという解釈も成り立つでしょう。
 しかし近代化や民主化というのは、あくまで社会的な作業です。セックスの闇の部分の豊かな享楽まで、近代化できるものではありません。
石川 性に関して、普遍的な〈正しさ〉はないと考えるべきなんでしょうか。
二村 あらゆる人間が成長の過程で傷つき、その傷の形は多種多様です。どんなに良い親でも、どんなに良い社会でも、なんらかの形で必ず子どもを傷つけ、その傷の蓄積がその子の人格を形成します。
 そして一人一人が、それぞれの性的な嗜好、恋や愛や、セックスの闇の営みで、心の傷を癒そうとする。〈正しく〉育っている人間なんて、この世にはいないんです。
 自分はどういうセックスをしたいのか(あるいは、したくないのか)ということを、みんなが自分の頭で、ちゃんと考えるしかない。一部の良識的すぎる人たちが言うような「正しくない性的な表現や、正しくない性的な関係は、正しくないからダメ」という正論は、みんなを幸せにしないと思います。
石川 「これもありなんだ」ということを見えるようにしておくことが、生きていくうえで救いになることがあるんですね。
二村 性に関しては、モラルだけで縛るんじゃなく、抜け道を残しておくことが絶対に必要です。結婚しない自由はもちろん、恋愛しない自由や、セックスしない自由も認められなければならない。
 結婚(社会的な生活)と恋愛(情熱)とセックス(社会の外)って、本来まったく別のものですよ。現代社会のシステムが、この三つを一人のパートナーと営むこと、パートナーが異性であれば子どもを産むことまで含めて〈正しさ〉だと決めている。それに従ったほうが幸せな人は従うべきでしょう。
 しかし従っていたら幸せになれない人は、他人を傷つけないように配慮しながら、上手に裏切るべきでしょう。
石川 明治時代につくられた民法で一夫一妻制が定められていますが、そこまで遡って考えてみる必要があるかもしれませんね。
二村 あるいは、産業革命や近代資本主義の成り立ちまで遡ってもいいかもしれません。〈奴隷〉が〈労働者〉に変化して、彼らの性生活や繁殖は「お見合い→自由恋愛による結婚」に変化したけれど、あいかわらず昼間の社会に制御されています。
 富める者が富を次世代に継承するために〈家柄〉というものが発明された。恋愛というのは結婚とは関係ない、貴族の趣味だった。ところが現代では、庶民も家のため(親や世間体のため)に結婚をしなければならない。
世の中の性に関するモラルは、太陽の光のもとで、どんどん強化されています。一方で社会的な力を使ってセックスに支配関係を持ち込もうとする権力者が増え、損得勘定でそれになびく者も、性的な被害に遭う人も増えていく。
石川 そうするとチンパンジーの世界になっていきますね。
二村 そんな世界は全然エロくない。だからボノボのような愛の世界が必要なんですよ。支配的なセックスでは、個人の心の傷を癒すオーガズムは得られない。それを「愛が重要なんだ」とか表現すると説教くさくなりますけど、「ボノボ的な、色気のある世界を生きようよ」というと、ちょっと粋(いき)じゃないですか。

[構成:斎藤哲也]

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