オトナノオンナ

第3回 青嵐

おとなびた幼稚園児がいる、少女のような老婆がいる……。さまざまな年代の女性の仕事、生活、恋愛、を丁寧に追いながらそれぞれの「オトナノオンナ」を描く、一話読み切り小説。 

 三社祭が終わっても、浅草には連日わんさか人間がいる。六区の新しいビルのあたりは、お土産を買いまくる団体さんであふれかえっている。すみませんすみませんとかきわけ、ホッピーロードを駆けぬける。セーラー服だと、かならず酔ったおっさんが声をかけてくるから。
 ただいまー。
 えっちゃんは、めちゃめちゃな英語で道案内をしていた。
 おかえり、お疲れさん。るみおちゃんは、厨房から首をのばす。定食の店・愛は、花やしきと、観音温泉と、バックパッカーのドミトリーと、ラブホテルと、そういうディープ浅草を詰めあわせたところにある。
 叔母のえっちゃんが、パートナーのるみおちゃんと店を開いたのは、保育園に入った年だった。
 はやくに両親を亡くしたえっちゃんとうちの母親は、働きながら定時制の高校に通った。妹は、六区の食堂、姉はホッピーロードの煮こみや。そうして姉は店の客とつきあって、妊娠して、臨月になって男に逃げられた。
 うちの母親のすごいのは、そこから人生やりなおすって、赤ん坊にお乳を吸わせつつ猛勉強して、国立大学の経済学部に合格し、四年後はそのガッツを買われて外資系銀行に就職した。その後はひとり娘をえっちゃんに預けて世界じゅうで働いていた。ここ数年は、日本に帰っていて、いまは名古屋にいる。
 じいちゃんばあちゃんがのこしてくれた長屋にるみおちゃんが越して来たのは、おととし、高校の入学式の日だった。ふたりは、子どもがいろいろ悩んだり、ひとにいわれたりしないように気をつかってくれていたんだと思う。まあうちは、ごはんもお弁当も、みんな店で作っているから、家なんて帰って寝るだけ。となりのグリーンドミトリーと変わりない。学校が終わっても、長屋には帰らない。カウンターのいちばんはしで、宿題をすませてしまう。
 母親は、いまでは三社祭とクリスマスぐらいしか帰ってこないから、家族といっても補欠とか助っ人みたいな感じで、ふだんは、えっちゃんが母親、るみおちゃんが父親になってくれている。
 ふたりは、バー紫蘭のひろしママの紹介で出会った。
 ひろしママは、うちのじいちゃんの親友で、えっちゃんの働いていた食堂に毎日昼ごはんを食べに来ていた。そしてあるとき、あんたにぴったりの子があらわれたから、会いにおいで。それで、泪橋のお店にいったら、るみおちゃんがいた。
 そのころ、るみおちゃんはまだ大学生で、息をのむほど美しかったという。女子高生のとき、文化祭でロミオを演じたら、こっちのほうがほんとうらしいとわかって、それいらい、るみおちゃんになった。えっちゃんは、ひろしママの見たて通り、すとんと恋に落ちた。るみおちゃんも、冬の朝に目をぱちぱちしてる柴犬みたいなえっちゃんをかわいいなって思った。ふたりとも、同性とつきあうのははじめてだったけど、お友だちからはじめて今日までいたっている。
 ふたりの恋は、いまも泪橋の奇跡と語りつがれ、紫蘭は縁結び酒場としてテレビにもでて大繁盛している。男だ女だなんて、迷う暇もなかったのよ。えっちゃんは自慢する。
 るみおちゃんは、大学を卒業すると、家族にえっちゃんとの交際を宣言して、大阪の割烹で修業をした。そのあいだ、えっちゃんは、食堂と宅配便のパートをかけもちして、独立資金を貯めた。えっちゃんの働いているあいだは、ひろしママのお店で遊んでもらっていた。
 母親とえっちゃんは、顔も性格も似ていないけど、これと決めたときのエンジンだけ、おなじものが搭載されている。紫蘭に迎えにきてくれるえっちゃんは、いつもよれよれで、ぼさぼさの髪で、でも、目だけきらきらして、とってもかっこよかった。
 るみおちゃんは、大阪から帰ってくると、浅草じゅうの店を徹底的に食べ歩き、お肉もお魚も使わない精進定食の店にすると決めた。となりのホテルのベジタリアンを見こんだけど、開いてみると、飲み疲れのホステスや板前さん、芸人さん、役者さん、町内えりすぐりの濃い顔ぶれがずらりと集うようになった。
 化粧を落とした女形座長と、角刈りの女剣劇の座長と、ロック座のおねえさんが、あら久しぶりといってる。いつでも楽屋みたいににぎやかな店だから、もちろん外国のお客さんもおもしろがって来る。去年ハラルの食材を取り扱えるようになってからは、ムスリムのお客さんも増えて、毎日がオリンピック村みたいになっている。
 店のおくで着替えていると、夜の部まえの一時間の休憩に入って、えっちゃんが呼びにきた。
 ……コーコ、三者面談、来週のさ。あんた進路の紙ちゃんと出したの。連休明けに出さなきゃっていってて、どうしたの。
 うーん、まだわかんないんだよねえ。
 まあ、そうだよね。でも、あんたはお姉ちゃんに似て成績のいいのだけがとりえなんだからさ、大学に行ってから考えてみてもいいんじゃないの。あたしは、あんたの年には店を持つって決めてたけどさ、わかんないなら行っといたら。
 えっちゃんは、軽くプレッシャーをかけると三人分のお茶をついで、ふきんを煮洗いする。
 たしかに、猪突猛進は竹谷家の女の道ではあるけどなあ。るみおちゃんは、自家製飛龍頭をせっせとまるめる。
 るみおちゃん、大学で考古学勉強したんでしょう。でも、この仕事とぜんぜん関係ないけど。なんか役に立ってるの。
 ……直接はないけどさ、根気よくなったとかぐらいだけどさ、でも行って損するわけでもないし。まあ、なんにせよコーコの意志しだいだなあ。
 その意志がねえ、わかんないの。ここ手伝えるように、栄養士とかになるとかしか思いつかない。
 コーコ。
 ふたりがこっちをむく。うちは給料なんて出せないよ。
 いいたいことは、わかってました。
 ……じゃ、ちょっと出てくる。八時ごろ帰ってくる。               
 竜之介くんによろしくね。晩ごはんはここにおいでっていいなさいよ。なんだかんだいって、今度は続いてるじゃないか。しけこむときは、よその町にしなよ。このへんは、天然の監視カメラがびしばしなんだからな。
 六区の麗人といわれたるみおちゃんも、すっかりおっさんみたいで、こういうセクハラをいってよろこんじゃってる。

 アンヂェラスの二階にいくと、竜ちゃんは、レモンパイをつまみにハイボールを飲んでいる。ハイボールには、レモンパイ。おじいさんのころからの組みあわせだって自慢されて、お坊ちゃんなんだなって思った。
 うちには、そういういい伝えみたいなものは、まったくない。だいいち、外食もしない。るみおちゃんかえっちゃんが、作ってくれるから。そういったら、考子ちゃんのほうが、お嬢さまだよっていわれた。
 高一の五月からつきあっていて、もうすぐ二年。たしかに歴代で一番長い彼氏ではある。竜ちゃんは、大学出たらちょっと社会勉強して、江戸時代から続いている向島のお蕎麦やさんを継ぐ。通ってる大学も、ひいおじいさんからおなじ。進路は、小学校の作文に書いたときからまったくぶれていない。そういうひとには相談のしようもない。そんなに悩むなら、考子ちゃんも学校出てちょっと働いてうちの嫁になればいいってからかわれて、おしまい。
 同級生は、ほぼ上の女子大に進学するらしい。あいかわらず友だちはいないから、上に行く選択肢だけはない。
 ……竜ちゃんみたいに、ちいさいころから道が決まってるひとと、うちの家族みたいに、なにもかも蹴散らして進むのと、なんで極端な実例しかないんだろう。
 ……まあ、極端だから、惹かれあったわけでは、あるけど。
 竜ちゃんは、ゴルフクラブのマドラーで、ハイボールをかきまぜ、なかに沈んだ赤いさくらんぼを釣りあげる。あーんしてというから、あーんとあけた。
アンヂェラスを出てぶらぶらすると、黒あげはがツツジとばらのうえをひらひらしている。考子ちゃんみたいと、竜ちゃんがいう。お花がいっぱいあって、迷ってて、ぱたぱたしてる。
 これからどうしようか。どこいく。えっちゃんが、お肉とお魚いらなかったら、夜はうちで食べたらって。そんな、いつも悪いなあ、でもそうしよ。
 えっちゃんもるみおちゃんも、竜ちゃんのお行儀のいいところが気に入っている。竜ちゃんも、料理人としてのるみおちゃんと、ふたりだけで清潔な店を維持してるえっちゃんを尊敬するっていう。
 ずっと、えっちゃんとるみおちゃんを世界最強のカップルって思ってきた。竜ちゃんは、優しいし賢いし、申しぶんない。でも、竜ちゃんとふたりが話してるのを見てると、世界最強の道はほど遠いなあって思う。なにがたりないのかは、わからない。
 ……まあ、もんもんとしてんなら、花やしきいけばすっきりするんじゃない。
 きょうは風がつよくて、動いてるか心配だったけど、ジェットコースターはちゃんと動いていた。
 いやなことは、花やしきのジェットコースターに乗って吹っ飛ばすのが一番。これは、えっちゃんに習った。あれに乗って、ああまだ生きてるって思ったら、なんでもできるのよって教えてくれた。竜ちゃんはこわがりだから、いつもベンチでビール飲んで待ってる。
 ベルトを確かめ、ガタンガタン、動き出す。まえに、ものすごいでっかいカップルが乗っている。ひとりずつ乗ればいいのに、ならんでみっちりすわっている。お客はそれだけだった。がたんがたん、上昇していく。物干し台、トタン屋根、浅草寺の緑がざわざわしてる。うちの店も見えた。
 てっぺんで、ふっと停止すると、狭い園内を猛スピードで滑りだした。轟音のむこうに、うすっぺらな月が震えてる。
 ドミトリーの旅人たちは、若いうちは世界を旅しなきゃだめだという。えっちゃんは、直観を逃すなと。母親は、二十歳までは食わせてやる。るみおちゃんは、意志を持て。なんでもできるはずなのに、どうしてひとつに決めなきゃいけないんだろう。みんなどうやって、なにかになったんだろう。
 洗濯ものが、にわとりみたいにはためいてる。JRAの馬のマーク、ラブホ、五重塔、ああ、ここはなんでもありすぎる。ワーオ、オーマイガー。カップルが笑いながら叫んでいる。
 めんどくさー、わっかんねー。まっさかさまになって、いっしょに叫んだ。
 ちょっとすっきりしてベンチにもどると、竜ちゃんは、まぶたをあかくしていた。いつもの、すけべなときの顔で見あげている。
 ……いいよ、いこう。
 手をつなぐと、指を組んで、さわさわ動かしてくる。
 地下鉄で、稲荷町のホテルにしけこんだ。竜ちゃんは実家だし、うちには母親とえっちゃんが決めた不文律がある。
 性交は、外。うちの家訓はこれだけ。竜ちゃんは、しみじみうなずいて、考子ちゃんの家は最高だといった。
 ……きょうは、えーと、ここにしよ。
 竜ちゃんは、二番めに高い部屋のボタンを押した。サービスカードがいっぱいになったから、ぜいたくしようといった。

 けっきょく、進路希望票には、竜ちゃんとおなじ大学のおなじ学部を書いて出した。先生は、まあ行けるだろうといった。出したとたんに、なんともなまぬるいなあと、落ちこんだ。思えば、あそこまでが、嵐のまえの静けさというものだった。
 学校が終わると、熱っぽくて気もちわるい。変なものを食べた記憶もない。駅のトイレで吐いた。
 えっちゃんに電話すると、ノロだとこまるから、店に来ないで直接病院にいくようにいわれた。がんばって浅草まで帰って、観音うらの救急病院にころがりこんだ。
 熱と、吐き気です。
 横になって、おなかを見せた。きれいな女医さんは、超音波の機械でなぞりながら、ふと手をとめてこっちを見た。ちなみに、妊娠の可能性はありませんよねえ。
 その瞬間、ひな祭りの晩、しけこんだホテルをありありと思い出した。真紅のカーテン、オレンジと水色のしましまの枕。なんだかわからない、白鳥の湖みたいな絵。ちいさい冷蔵庫。眠って起きたら、さかりのついた猫の声がきこえた。
 ……なくはないかも、です。
 そのとたん、内科から婦人科にまわされ、ご懐妊ですといわれた。
 ぼう然としたまま病院から帰ると、定食の店・愛は、いつにもまして満員御礼絶賛繁盛中だった。
 るみおちゃんは、顔をまっかにして精進揚げをしていた。えっちゃんは、にこにこしながら逃げまわってるみたいに、お盆を両手にお運びしていた。ひろしママも来ていて、手をふってくれた。
 あなたまだ学生さんでしょう、親御さんとよく相談して、明日かならず来るように。お医者さんのことばを耳ではらって、大声を出した。
 ただいまっ。
 ……どうだった。ノロじゃなかったんだ、よかったなあ。
 ノロでもないし、病気でもなかったよっ。
 ……あらやだ、なに怒ってんの。じゃあなんなの。
 怒ってないよっ。妊娠したんだって。しかも双子みたいなんだって。
 店のなかが、しんとした。みんな、まぬけな眉をしてこっちを見てる。そうして、えっちゃんがお盆を落としたのを合図に、絶叫と拍手と世界中のおめでとうがあふれかえった。
 るみおちゃんは、竜之介も、しょうがないなあと首をふる。えっちゃんは、あたふたと母親に電話する。ひろしママは、あたしひ孫を抱けるのねと泣きだした。ハグと握手でもみくちゃになりながら、ああこれがうちなんだなと思った。
 その晩のうちに、竜ちゃんが両親と店に来た。
 母親も名古屋から帰ってきて、ひら謝りする竜ちゃんのお父さんに、うちはなんでもありですから大丈夫ですとなぐさめていた。竜ちゃんのひいひいおじいさんも双子だったと知った。
 母親にははり倒されるかもと思ってたら、逃げない男を捕まえたんだから上出来じゃない。考える子って名まえつけた甲斐があったわと、珍しくほめてくれた。
 高校は、安定期に入るまで休むことになった。そのあいだは、先生がレポートと宿題でフォローしてくれる。勉強なんて、落ちつくまでできないよっていわれたけど、あの日いらいつわりはほとんど消えた。えみちゃんとるみおちゃんがいいもん食べさせて育てたからと、みんながいう。
 先週の大安吉日には、入籍をした。結婚式もお嫁入りも、子どもがうまれてから、いっぺんにすることにしたので、しばらくはごろごろぶらぶらしていられる。
 夫となった竜ちゃんは、大学を休学してお店の修業をはじめた。どっかに就職とかあまちゃんなことをいってたのに、かわいそうだけど、しょうがない。ジェットコースターは、もう発車しちゃったのだから。
 いまの仕事は、毎朝浅草寺に安産祈願をして、川べりを歩く。新緑は日に日にふくらんで、川風にざわざわと、スカイツリーをくすぐっているみたいで、こそばゆい。お腹にふたりも人間がいるなんて、いまだ信じられない。いまは、カタンカタンとのぼってるところなんだ。
 妊娠がわかった瞬間、あたまのなかがざーっと涼しくなって、まぶたのなかにオレンジいろの光が見えた。だれがなんていっても大丈夫だからね。すぐにおへそにむかって声をかけた。まったく迷わなかった。これしかない。えっちゃんが、ビビッと鳥肌がくるっていってたのは、これだったんだってわかった。
 それにしても、ジェットコースターに乗ってたときは、すでにひとりじゃなかった。まったく知らなかったとはいえ、おそろしいことしてと、えっちゃんにいわれた。
 世界最強のカップルの道は遠いけど、猛スピードに負けない世界最強の双子が、この町に生まれてくるんだ。

 

 

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