上田麻由子

第15回・まぼろしの盃

舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語り

 天正18年。史実では、難攻不落の小田原城を、豊臣秀吉の命を受けた黒田官兵衛が無血開城させようと策を巡らせていたころ。しかし、この物語のなかである秘密に触れた黒田官兵衛は、あろうことか秀吉を幽閉し、みずから甲冑を身にまとい、天下取りに赴くことを宣言する。「まばゆい星のもとで、わしは黒子役に過ぎなかった。だが天はわしを見放さず、いまこうして望まざる歴史を調略する力を得た。戦乱の天に三つら星あり。一つは織田信長。二つは豊臣秀吉。そして三つは徳川家康――だが、そうはさせん。(…)これより一合戦つかまつる。跛行する行軍じゃ」。

野心を燃え立たせる篝火

 歴史改変を目論む「歴史修正主義者」。その企みを阻止するために、過去へと派遣される「刀剣男士」たち。本来は決して日の目をみることのない、未来からやってきた者たちによるこの戦いが、もし歴史上の人物の知るところとなったら? しかも、それが天才軍師の黒田官兵衛だったとしたら? 「虚伝」「義伝」「外伝」を経た、舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語りは5作目(再演含む)にして、いよいよ「歴史」をただそこにある絵巻物のようなものとしてではなく、人間の情念のぶつかりあいで大きく道を変えゆく、不安定でダイナミックなものとして描き始めた。

 それが歴史というものの本来の姿である、と言ってしまえばそれまでなのかもしれない。しかし、歴史のターニングポイントになる場所で動乱を巻き起こしたり、重要人物の殺害を試みたりと、あくまで物言わぬモンスターとして、いわば一種のノイズ、バグとして立ちはだかってきた歴史修正主義者が送る「時間遡行軍」と、そのバグをつぶす「刀剣男士」という、従来の『刀剣乱舞』の二項対立と比べると、これは大きな飛躍である。まるで絵巻物に描かれた人物たちが形をとり、意志を持って自由気ままに動き始めたようなもの。そして刀剣男士たちと歴史上の人物(時には刀剣だったころの主人)とが互いに影響を与え合うことで、物語はより複雑化し、当然のことながら「歴史を守る」という刀剣男士の任務はより困難を極めていく。

 時間遡行軍と刀剣男士の存在を知ったことで、官兵衛のくすぶっていた野心はぱっと燃え立ち、彼はその力を自らの天下取りのために利用しようとする。野心とは戦国の世にあって、武将たちを生かし、前に進ませた原動力そのもの。時間遡行軍や刀剣男士のような強大な力が、それを再活性化してしまうのは仕方のないことなのかもしれない。とはいえ、このエピソードを通して、作品の根幹を揺るがしかねない疑問が頭をもたげる。本来は歴史の正しい流れを守るワクチンであるはずの刀剣男士が、じっさいにはウィルスとなって歴史を歪めているのではないか?

2つの「ジョ伝」

 このある種、自縄自縛の状況は、まるでウロボロスのように、過去と未来をひとつの円環としてつなげる。本作は、2幕構成の演劇であることを活かして、同じ出来事を1幕と2幕で違う視点から描いているのだが、都合の良い「リセットもの」になってはいない。あとに残るのは、過去と未来が触れ合う一点、その瞬間の凪のような静けさだ。

 いずれも天正18年の小田原攻めのころの豊臣秀吉、黒田官兵衛、そしてその息子・黒田長政の主に3人と「刀剣男士」との関わりを描きながらも、1幕は、本丸ができて間もないころ、まだ顕現したばかりの(ゲーム的にいうとレベルの低い)山姥切国広たち刀剣男士による出撃であり、時間遡行軍と手を組んだ黒田官兵衛を相手に重傷を負った彼らは、撤退を余儀なくされてしまう。そして2幕では、数多の戦いを経て成長を重ねた刀剣男士たちが、ふたたび同じ時代に派遣される、いわばリベンジ戦が行われる。

 このあっと驚く仕掛けに気づく――とまではいかずとも、何かあるのではないかという違和感、期待感は1幕の冒頭から仕込まれている。遅れてきたフォークシンガー、村下孝蔵の「踊り子」を思わせる、薄暮れどきのせつなさほとばしる楽曲を歌いながら、刀剣男士たちがそれぞれのやり方で刀を振るうオープニングでの、短時間で「キャラ」を紹介する手腕の見事さにあらためてうっとりと魅了されていると、6振りが演劇らしく唱和するタイトルが『「刀剣乱舞」序伝 跛行する行軍』と、事前にアナウンスされていたもの(『ジョ伝 三つら星刀語り』)と違っていて、はっと目を覚まされる。このようなズレは本編でも少しずつ蓄積されていき、1幕終盤で「もうひとりの山姥切国広」があらわれた瞬間に違和感は決定的なものとなる。もはやパンフレットさえネタバレの危機をはらんでいたこと(W表紙で前から読めば1幕、後ろから読めば2幕の内容が書かれている)を考えると、本公演が東京ではたったの3日(6公演)という、ほとんどゲリラ的に行われたことは(その是非はさておき)結果的に作品の神秘性を高めることになった。

神様たちの青年時代

 そもそも2幕の内容が明らかになる前、幕間の時点で場内はおおいにどよめいていた。ゲームを長くプレイし、刀剣男士を強く育て上げている者にとっては、たった一度の出陣で全員が重傷に追い込まれる1幕の内容自体が、ショッキングだったからだ。明らかに勝つ見込みのない戦いのなかで意地を張り、あくまで撤退を拒む隊長。戦うことが刀の本懐と、捨て身で戦う刀剣男士たち。そんなカタストロフ的状況をあわれむように、ドレッドヘアに浅黒い肌、筋骨隆々とした体躯でまるで獣のように駆け回る、長政の部下・弥助があらわれ「あなたを折って差し上げましょう」と微笑む。そして、恐れていた犠牲が出てしまう。

 ある種のバッドエンドに触れ、わたしたちは刀剣男士が刀というモノを超え、いかに人に近づいているのか思い知らされる。それと同時に、人の肉体を持った以上は「死」に見舞われることもあることを、思い出させられる。すぐそばで口を開けている深淵。「直せるものも直せないほど壊れてしまう」という可能性。この作品が都合の良い「リセットもの」になっていない理由の一つが、ここにある。

 そんな存在の危うさ、脆さは、これまで4作の『刀ステ』で、どちらかというと人よりも神様に近い、浮世離れした刀剣男士たちが描かれてきたという前提があるからこそ、その対比が際立つ。神様にも青年時代があったのだな、と刀剣男士たちの不完全さ、弱さにあらためて心打たれる。それと同時に、本作ではスクリーンに映し出される映像でのみ出演する三日月宗近の、より正確に言えば鈴木拡樹が演じてきた三日月宗近の、見る者の動きをすべて静止させてしまうような文字どおり「神憑り」的な存在感の特異さが、あらためて想起される。演出・脚本の末満健一による「単独作として成立しながらも連続するひとつの物語としての『刀ステ』」という当初からの構想による積み重ねが、じわじわと効力を発してきたのだろう。『刀ステ』は画期的なことに台本が戯曲として出版されはじめていることもあり、もはや単なるメディアミックスではなく、独立したサーガとしての道を歩み始めている。
 

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