荒内佑

第16回
ブック・ビルディング

今、注目のバンドceroのメンバーとして多くの楽曲で作曲、作詞を手がける荒内佑が、<日常>とそこに流れる音楽の話を綴る大好評の連載が公開中です。 更新は毎月1回、第4水曜日になります。

 
 仲良くなった友達の家へ、あるいは付き合ったばかりの恋人の家へ、初めて遊びに行くとする。そこで最初にすることは? ぼくだったら本棚を見るのが好きだ。「あ、これおれも持ってる」とか「難しくて挫折したんだよね。読めた? 結局どんな内容?」とか言ったりして。あるあるでしょう。最近こんな会話をしてないことがちょっと切ないけど、そうやって話が弾んだりね、「え、林真理子読むの?」とか。で、いま原稿を書いている机の横には年末に一切片付けをしなかったため、本が積まれているので最上階から列挙してみようと思う。

 『ぼくの伯父さん』(伊丹十三)
 『百年の孤独』(ガルシア:マルケス)
 『百年後』(前野健太)
 『ルポ 川崎』(磯部涼)
 『アフリカ音楽の正体』(塚田健一)
 『ペルーの異端審問』(フェルナンド・イワサキ)
 『城』(カフカ)
 『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』(川上未映子)
 『絶望論』(廣瀬純)
 『小鳥たちのために』(ジョン・ケージ)

 全部書くのが面倒なのであとは省くがこの下に文庫やらが8冊あって計18階建てのビルが建設されている。睡眠時間を削って夢中で読んだものから、途中で投げ出したもの、なんとなく本棚から抜いてパラパラ読み直したもの等で構成されている。2018年に18階建てってことが少し嬉しいのと、気付けば「百年」ものが連チャンになっていること、ちょっとシャッフルしてガルシア・マエノって良いな、と思ったら下の方のフロアにはそんな名前のやつがいるじゃんとか、愉しい気持ちで眺めている。川上未映子さんに関して、といっても内容ではないのだけど、ある日、本屋の本棚の前に立ち尽くして「おれは一生かけてもここにある本を全ては読めない。死ぬまで読むことのない著名な作家もいるのだ」と謎の虚脱感に襲われて一度も読んだことがない川上さんのエッセイを買ってみた。


 思い出深い読書体験といえば子供の頃、小学校の図書室で借りて読んだ『ガンバとカワウソの冒険』である。何が良いって本がデカくて分厚い。思えば小さい時からミーハーだったので、ずっしりとしたボディとびっしり並んだ文字たちにウットリとしていた。それだけで手に取る理由は十分にある。またその数年後、生意気にもゴダールの映画なんか観るとデカくて分厚い本がアイテムとしてよく出てきて、うわぁかっけーと思っていた。バスルームで咥え煙草で本読んだりね、分かる人は分かるでしょう(アレは一人暮らしを始めて真っ先にやりました)。そんなミーハー心によって小難しそうな本に手を出しがちな自分だが、もうひとつ印象に残っている読書の話。


 ぼくが大学に入学して一番はじめに遂行したミッションは図書館に行き浅田彰のデビュー作『構造と力』を読む事だった。何故かは分からない。高校の先輩が浅田彰の話をよくしていたからかも知れない。しかし今思えば「タイトルがかっこいいから」という説が何より有力だ。1983年に26歳の天才が書いた現代思想書。思想書にもかかわらず15万部売れたベストセラー。ファッションアイテムとして当時の若者が持ち歩いた。ニューアカデミズムブームの口火を切ったもの。しかしその内容を理解できる者はごく僅か。これらは『構造と力』について語られる際の定型文である。
 オリエンテーションだかを終えて僕は図書館に向かった。早速本棚から本書を見つけ出し窓際に置かれた読書用テーブルに座りページを繰る。一種のトランス状態に陥ったのだと思う。哲学に関しての知識はほとんどゼロだったが、日が沈む頃には全て読み終えていた。ただの一行も飛ばさずに読み終えた達成感と、そこに書かれた文字のほとんどが自分には何ら意味を成さない、つまり理解できなかった挫折感がマーブルに渦巻いて椅子に深く座り込んだ。一切トレーニングをせずにマラソンをランナーズハイの状態で完走してしまうのと同じで、自分がどんな道程をたどり、どんな景色を見たのか全く分からない。


 それまで自分が知っていたムツかしい本。例えばトルストイ、スタンダール、ドストエフスキーとかとは違う。親切に書かれた思想系の入門書とも違う。日本人が書いたはずの、自分がネイティブとするはずの日本語が分からない状態。一体何が書いてあるんだ、そうしてぼくは哲学にのめり込み……となったら美しいが、よくある話、既に音楽の方が楽しかったのでそうはならなかった。もちろん難解であることと意味が分からないことは(因果関係を結ぶことはあっても)イコールではない。しかし恥ずかしい話だが、自分にとってこの読書体験は、この世には意味が分からないものがある、という洗礼だった。それまで三角関数とか、女の子の気持ちが分からないとかは無数にあったが、この時意味が分からないものに対して大袈裟に言えば敬虔な気持ち、軽く言えば免疫ができたのは確かだった。もちろん難解で意味が分からないものがエラいという訳では全くない。だが『構造と力』が思想、哲学を切り刻んでファッション化した悪しき書と巷間言われようと、そんな気持ちを抱かせるには十分だった。あれがなかったらフリージャズも、現代音楽も、ヌーヴェルヴァーグも、即行で投げ出していただろう。ミーハー心で行動していても少しは得るもんあったな、と思う。そうしてぼくは今でも未練がましくちょっと難しそうな本を買ってはビルの建設に勤しむのだ。

 

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