ちくまプリマー新書

動物の肉を食うということ

田中康弘『ニッポンの肉食』書評

マタギから現代の食肉処理施設まで、長年にわたり狩猟の現場を取材してきたカメラマン・田中康弘さんが日本の食肉文化の奥深さについて書いた『ニッポンの肉食』(ちくまプリマー新書)。PR誌「ちくま」に寄せられた猟師の千松信也さんによる書評を公開します。

 昔話によく出てくるタヌキ汁。ある人は「美味い」と言い、別の人は「食えたもんじゃない」と言う。その謎を究明するために車で6時間掛けて石川県まで行き、獲れたタヌキを食べたというエピソードが紹介されている。実際に食べてみた感想は、「ちょっとくさいがどちらかというと美味しい」というもの。
 「田中さんも意外とくさい肉だいじょうぶなタイプなんやな」
 布団にくるまり、寝床で原稿に目を通しながら、かつて何度か食べたタヌキ肉の味を思い出そうとした。一緒に食べた友達は、確か「とても食えない」と吐き出した。僕はと言うと、「確かにちょっとくさい」とか言いつつ、パクパク食べていたような……。
 そんな翌朝、自宅の解体小屋の床下に仕掛けた小型の箱ワナに若いメスのタヌキが入っていたのでちょっと驚いた。小屋の中に転がっているシカやイノシシの骨をちょくちょく持ち去っていくやつがいると思って数日前に仕掛けたのだが、絶妙なタイミングでのご対面となった。

 日本の食肉文化などを扱った書籍を読むと、メインは畜産の話で、添え物のように狩猟について触れられているのがほとんどだ。狩猟というのはいつもマイナーな存在として扱われる。
 それが今回は違う。〝畜産肉〟と〝狩猟肉〟は並列され、〝肉屋さんの仕事〟の後に〝狩猟の現場〟の話が続く。北東北のマタギや全国の猟師(北海道・礼文島のトド撃ちまで!)を現地で取材した〝マタギカメラマン〟としての豊富な経験があって初めて書ける内容だ。中高生向けの平易な文章で書かれてはいるが、やはり現場でリアルに体験したことに関する記述には説得力がある。猟師である僕にとってはうれしい構成だ。

 我が家には小学4年生の長男と1年生の次男がいる。解体小屋にぶら下げられたシカやイノシシを物心付く前から日常の風景として目にし、最近では解体作業も手伝うようになってきている。鶏肉や豚肉をスーパーで買うこともあるが、我が家では豚汁と言えば、大概は猪汁だし、カツを揚げる時はシカカツのことも多い。彼らにとっては、肉とは父親が裏山から獲ってくるものでもある。
 家ではニワトリも飼っている。しかし、こちらは採卵鶏、卵を産んでもらうためのニワトリ。以前、産卵ペースの落ちたニワトリをつぶして食べようかという話をしたことがある。これは庭先養鶏をしている家庭ではよくやられることだ。
 「ぜったいうちのコッコちゃんはころしたらあかんっ!」
 子どもたちの大反対にあって断念した。
 「でも、お前ら、コンビニのからあげクンは大好きやんけ? あれも誰かが育てたコッコちゃんやで?」
 「うちのこは〝とくべつ〟なの!」
 まあ、ひよこの頃からかわいがっているんだから、子どもたちがそう思うのも無理はない。実は僕も飼っている動物を殺して食べるのは苦手だ。前日まで懐いて自分に寄ってきていた動物を手にかけるよりは、ある意味〝他人〟である野生動物を山で獲ってくる方がよっぽど気楽である。
 という訳で、我が家では産卵を終えた雌鶏たちは半ばペットのように余生を送っている。鶏肉を食っていながら、自分の家のニワトリは食べないというのは矛盾しているようだが、こんなことで原則論を振り回しても仕方ないだろう。
 そもそも、動物の肉を食うというのは常にこんな微妙な問題を孕んでいる気がする。それが、ある時代には肉食禁止令であったり、屠殺に関わる人達を差別し蔑むような形として現れたりした。猟師が山で行う儀式や供養祭も、動物の命を奪う行為に対しての人々の心の葛藤の中から生まれたのだろう。本書の第一章ではこういったテーマについても言及されており、日本の肉食文化について考える上での幅広い素材を提供してくれる。

 ……ああ、そうだ。箱ワナの中のタヌキをなんとかしないといけない。小屋荒らしの犯人の顔だけ見てやろうと思って捕まえたけど、田中さんの「タヌキの若いメスはくさくないのでは?」という説を確認してみるのも一興かもしれない。

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