考える達人

第13回「戦後70年の日本を問い直す」
寺西重郎さん:前編

10人目のゲストは、経済学者の寺西重郎先生です。ご著書である『歴史としての大衆消費社会』を読んで感銘を受けた石川さん。日本の1000年の歴史の中で、 戦後70年を考えた先生は、まさに「アカデミック×大局観」の達人。生活様式の変化は、宗教思想の変化があった!?

寺西 重郎(てらにし じゅうろう) 一橋大学名誉教授。1965年一橋大学経済学部卒業、70年同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学、83年経済学博士(一橋大学)。1970年一橋大学経済研究所専任講師、73年助教授を経て84年教授、2004年名誉教授。この間、1976~78年イェール大学客員教授、85~86年オーストラリア国立大学客員教授。2006年より日本大学大学院商学研究科教授などを経て、2015年より一橋大学経済研究所非常勤研究員。主著に、『歴史としての大衆消費社会――高度成長とは何だったのか? 』(慶應義塾大学出版会・2017年)、『経済行動と宗教――日本経済システムの誕生』(勁草書房・2014年)、『戦前期日本の金融システム』(岩波書店・2011年)などがある。


●アメリカの経済学への幻滅●就職に落ちて大学院へ
石川  寺西先生の『歴史としての大衆消費社会――高度成長とは何だったのか?』(慶應義塾大学出版会、2017年)を読んで大変な感銘を受けました。先生は本のなかで、「長年の疑問がいろいろ解けて、研究者冥利に尽きる」と書かれています。私もいつかそういう境地に立ちたいと常々思っています。
 そこでまず、先生の個人史的なことから伺います。先生が経済学、とりわけ経済史に興味を持たれたのはなぜですか?
寺西 僕は1961年に一橋大学に入学しました。当時、小平分校に通う学生は寮に入ったんです。寮に入る時には「お米の配給のカードをちゃんと持ってきなさい」と言われるような時代です。
石川 高度成長時代が始まってすぐくらいですね。
寺西 ええ。だからまだ日本がどうなるかはわからないような状況でした。当時は、ソ連が華々しい経済成長を遂げているということが定説になっていて、社会主義革命にもリアリティがありましたから。
石川 学生運動も盛んな時代ですよね。
寺西 60年安保が終わった直後ですからね。『一橋(いっきょう)新聞』という学生新聞の編集長と話したこともありますが、とにかくみんな、どうやって革命を起こすかという雰囲気でした。市民派という時代をリードする丸山眞男のような人たちも「過去は間違っていた」と言ってましたしね。
 一方、大学の上級生を見ると「とにかくいい会社に入って出世するのが人生の目的だ」という人もかなり多かった。どちらを見ても、何のために大学に入ったのかがわからない。
石川 すごい時代ですね。後ろを見たら道はないし、前を見ると資本主義か社会主義かと揺れている。
寺西 60年代はみんなそういう感じでした。社会主義に憧れを持っている人と、僕みたいに「やっぱりちょっと気に入らないな」と思っている人が半々ぐらいでしたね。
石川 先生は学者志望だったんですか。
寺西 いえ、就職活動はしたんです。学部を卒業する1964年は、高度成長の真っ只中ですから、僕の友達はみな5つも6つも会社を受かって「どこに入ろうか」と選び放題でした。でも、僕はいろんな銀行を受けたんだけど、全部落っこちちゃって(笑)。
石川 なんと!
寺西 行くところがなくて、大学院に行こうと。それで大学院に行ったら、勉強がやたらと面白くなったんですね。
石川 当初から経済史をやろうと思っていたんですか。
寺西 違います。当時はマルクス的な経済史が流行っていたんだけど、僕はあまりマルクス経済学には関心を持てなかった。
 ちょうどその頃は、アメリカとソ連が経済成長競争をしていた時代です。資本主義が勝つか、社会主義が勝つか。第三世界、つまり新たに独立したアジア・アフリカ諸国はそのどちらに付くか迷っていた。ですから、アメリカにとっても日本にとっても、日本の資本主義が経済的に成功することは大変重要な意味を持っていました。そういう時代状況とも関連して、経済学のなかでは、経済成長という分野がものすごく流行っていたんです。それで僕も、数学を使って経済成長に関する理論的な研究に没頭しました。
石川 経済史よりも、数学的な理論研究から入ったんですね。
寺西 経済理論が急速に進歩していく時代でもあったんです。成長論だけでなく、ゲーム理論が出てきたし、計量経済学も出てきた。やってみると面白くてしょうがないので、そういうことばかりやってました。
石川 それはどういう面白さなんですか。数式で物事が予測・説明・理解できるということですか?
寺西 僕は数学にそんなに強くなかったんだけど、社会科学の中でも経済理論というのは非常に体系化されていて、いかにもそれによっていろんなことを説明できそうな感じだったんです。とにかくあらゆることが説明できるように思える学問だったから、それにのめり込んでいったんですよ。
 幸いなことに、大学院を出た段階で論文もいくつか書けていたので、一橋大学経済研究所に就職できました。そこで日本・アジア経済研究部門に配属されたんです。
 当時、この部門にはロックフェラーの資金がずいぶん入っていました。アメリカにとって日本は、宣伝のための大事な存在だったからです。ロックフェラー財団自身はあまり右翼的ではない中立的な組織でしたけど。
石川 僕の専門である予防医学も、ロックフェラーの資金でつくった学問なんですよ。
寺西 ロックフェラーは、けっこういろいろな学問を支援したんですね。ことにイデオロギーが関わるとアメリカ人は必死になるから、ロックフェラーも日本の一橋大学にお金をつぎ込んだんでしょう。
 就職してからは、僕の関心も徐々に日本の経済発展の歴史に移っていきました。特に金融史の分野です。アメリカ、日本に加えて途上国のことも研究しました。そうすると、だんだん「アメリカで発達した経済学は使い物にならねぇな」という感じがしてきたんです。
 僕も50代ぐらいの頃はよくアメリカに行き、世界銀行などで仕事をしました。そこでは途上国の経済発展などといった問題に取り組んでいた。日本はその頃、ものすごく経済力があったので、経済援助やODA(政府開発援助)にも強い関心を持っていた。アメリカは日本を頼りにして、日本にODAを出させるために僕なんかを呼ぶわけです。
石川 80年代、90年代ですよね。
寺西 そうですね、バブルが破裂する前後です。日本の経済発展の歴史について少しずつ勉強し、途上国のこともわかってくると、20代から教わってきたアメリカの経済学が使えないんじゃないかという疑念が強まってきました。あのころがいちばん苦しかったですね。よくわからなくなって、悶々としていました。
 たとえば、80年代は日本型経済モデルというのが流行ったんです。トヨタなど日本型企業がものづくりに強い原因を日本的なモデルに求めようとする研究です。日本企業は、みんなでカイゼンをするとか、メインバンク制のもとで銀行と企業が一体になっているとか、終身雇用とか、日本型経営のさまざまな特徴が研究されました。でも、これらの特徴がどこから出てきたのかと聞かれると、誰もうまく説明できない。

●戦後に起きた非連続的な変化
石川 この本(『歴史としての大衆消費社会』)には、先生の思考回路がかなり丁寧に書かれてますよね。しっかり経済の基本を守った後、それでも説明できない矛盾があるので破っていく。そして、日本の1000年の歴史の中で、戦後70年を問い直す。
寺西 ちょっと大げさだけどね。
石川 すごい大局観だなと思いました。日本の1000年の歴史の中で、現在ほど物質・経済第一主義だったことはない。これはいったいなぜなのか。そういう根本的な疑問ですよね。
 先生は「高度成長とは何だったのか」という問題に関して、「日本人には生活様式の非連続な変化があったのではないか」と書かれていますよね。たとえば若い女性はそれまで琴と生け花をやっていたけれども、突然レコードと自動車を欲しがるようになった。他の国ではちょっと見られないような圧倒的なデマンド・クリエーションが起こったから、よく言われる日本的経営、日本の経済成長のモデルができたんじゃないか、と。
寺西 ええ。経済学者はあまり言わないけど、敗戦のショックというのは本当に大きかった。だって、琴と生け花からレコードと自動車に、みんな一瞬にして変わったんですから。一瞬にしてみんなの生活様式が変わった。それが高度成長なんですよね。
石川 明治維新では、そこまでの生活様式の変化は起こらなかったとも指摘されています。明治の人たちはさしあたっての西洋化を受け入れたけれど、全面的にアメリカ化をした戦後の消費のマインドとは違ったんでしょうね。
寺西 そう思います。戦後は、何から何までみんながアメリカに憧れた。着るものもそうだし、自動車を持つことはみんなの夢だった。本当にそういう時代でしたね。
石川 マイホームもそうですよね。国を挙げて持ち家政策を推奨したのは日本とアメリカぐらいです。原点に立ち戻ってみると、いろいろなことがわかる。よく考えると高度成長、戦後70年はけっこう特殊な時代です。日本の1000年の歴史を考えた時、日本人にとってそもそも消費思想とは何だったのか。この問題、先生は仏教思想から繙(ひもと)かれている。そこがすごくユニークで新しい。仏教と消費を結びつける着想はどのように得たんですか。

●キリスト教的消費と仏教的消費
寺西 さきほどお話したように、僕は金融史をやっていました。日本の金融の中心は証券・株式市場ではなく銀行ですよね。では、そういう日本的な金融のルーツ、あるいは企業のルーツはどこにあるのか。この問題を追究していくために、60代になってから宗教思想を勉強したんです。いろいろ勉強していくうちに、日本の伝統的な消費態度や行動、消費にかかわる生活様式は英米諸国とはまったく違うということに気が付いたんです。
石川 キリスト教に基づく消費態度と仏教がベースとなる消費態度は大きく違うと。
寺西 そうです。絶対神あるいは神の子であるキリストが、人々を苦しみから救済する。これがキリスト教の原理です。ですから人々の経済行動は、どうやったら神に気に入ってもらえるかということと関連しています。キリスト教では、人類も含めてあらゆる事物が神の被造物です。僕も石川さんもつくりものという点では変わりません。だから極論すると、僕が石川さんに気に入ってもらえるかどうかはどうでもいいわけです。
 本当に大事にしなきゃいけないのは、神に気に入っていただくことです。では、神に気に入ってもらうためにはどうすればいいか。神はいろいろなものをおつくりになったけど、最大の傑作は人類です。ならば、人類の幸福に役立つことをすれば、神はお気に入りになる。これが基本的なモチベーションになり、キリスト教国であるアメリカでは大量生産がよしとされた。その商品を誰がどう使おうが構わない。人類にたくさんのものを流し、いろんなことに貢献することが大事である。それで産業革命が起こり、資本主義社会になった。これが英米の資本主義社会のルーツです。
 でも仏教では、人々の救済の仕方がまったく違うんですね。世界のあらゆるものをつくる超越神なんていないし、超越神が救済してくれるなんていうことはまったくない。仏教における救済とは、自分が悟りを開くことです。悟りを開き、輪廻転生の苦しみの中から抜け出す気持ちを自分の中に持つことが救済なんですね。ですからそこでは単にものをつくってあげようとか、大量生産の思想は絶対に育たないわけです。
石川 仏教の場合、どういう経済思想になるのですか。
寺西 キリスト教のもとでは「近所の人、近くにいる人を大事にする」という考えは否定されていますが、仏教ではそうではありません。人間はその過程でいろんな業を持ち、それが苦しみの原因となる。その業の中ですべての生き物は6つ世界を輪廻転生するわけです。つまり、畜生になったり犬になったり虫になったり、あるいは鬼になったりしてぐるぐる回る。そして輪廻転生とともに業が蓄積され、業の蓄積の原因がある程度解決することが悟りである。そういうことだと思うんですね。だから救済、悟りに達しようとするならば、みんな業の世界を見つめるわけです。
 業というのは身近な他者との関係で生まれるものです。身近な他者との間で、自分は正しくありたい、あるいは身近な他者に深い愛情を注ぎ、互いに信頼関係を結びたい。さらには相互に承認し合いたい。そのことが消費行動に現れてきます。つまり、身近に見える消費者、自分が頭に置いている消費者、買いに来てくれる消費者と共同しながらいいものをつくり、お互いに楽しもうとする。そうやって身近な他者との間で関係をうまくつくることが、最終的には悟りのための役に立つ。これが大乗仏教でいう「廻向」という概念です。そういう思想が日本の消費文化の基礎にはあると思うんです。
石川 宗教的な違いからそれぞれの生産者・消費者の態度・行動が生まれている。先生の考え方は、楽天とアマゾンの違いにもあらわれていますね。
寺西 そうですね。楽天のサイトでは、楽天から直接ものを買うのではなくて、生産者や店舗から買うという感覚が強い。
石川 ユーザーと店舗さんの距離がすごく近い。
寺西 一方でアマゾンは、完全にものだけを選ぶという世界です。
石川 安く大量に届ける。まさにキリスト教的な経済がそのまま形になっている。
寺西 問屋を介して機屋(はたや)さんに行き、「私のところのこの顧客はこういう柄のこういう帯を欲しがっています」という情報を伝えてつくってもらう。楽天はそういう昔ながらのものづくりの伝統を一部引き継いでいる。単にものを送ればいいという思想ではないんですね。(後篇に続く)

[構成:斎藤哲也]

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