日本思想史の名著を読む

第17回 『日本霊異記』

最初の仏教説話集

 薬師寺に属する僧であった景戒<きょうかい>が撰述した『日本霊異<りょうい>記』(正式な書名は『日本国現報善悪霊異記』)は、弘仁年間(八一〇年~八二四年)に成立したと考えられており、景戒の経歴については、この本の末尾近くに収められた説話にその人の自伝風の回想が見えるほかに、伝記資料はほとんどない。
 日本ではこのあとの時代に、『今昔物語集』に代表されるような仏教説話集が数多く編纂されることになるが、これはその嚆矢をなす書物である。その意味で、日本に生きる人々が仏教に触れたときに感じた動揺や、その信仰へと人々を導いた基礎にある、憧れの心情を知るための手がかりとして、重要なテクストと言えるだろう。漢文で書かれた書物であるが、以下、引用は小泉道校注『新潮日本古典集成 日本霊異記』(新潮社、一九八四年)の訓読文による。
 もちろん欽明天皇の時代とされる仏教の伝来から二百年がすぎ、すでに神宮寺の形で神仏習合の信仰が確立した時代に書かれた書物であるから、仏教との出会いによる衝撃をそのまま伝えていると見ることはできない。だが、民間で語り伝えられた具体的な説話として、その原初の感覚をいくらか残していると考えてもいいだろう。
 『日本霊異記』に収められた説話はしばしば、その事件がどの天皇の治世における出来事であったかを冒頭に明示する形で記されている。その時代は五世紀後半の雄略天皇の時代から、景戒の同時代、嵯峨天皇まで年代順に並べられており、独特の日本仏教通史のような形をとっている。そして天皇の治世を記すのは、時間軸の上でのその事件の位置を示すためだけではない。日本における仏法の普及を、天皇と深く関係づける思考がそこには働いている。
 とりわけ景戒が重視するのは、上中下の三巻のうち中巻の序で「戒を受け善を修し、正をもちて民を治めたまひき」と、仏教に基づく統治を本格的に行なったと礼賛する、聖武天皇である。聖武天皇の時代の説話が中巻の全体を占めており、この天皇に対する評価がとりわけ高いことを示す。そして、下巻の末尾は仏教の慈悲の理想に基づいて、死刑を行なわなかった嵯峨天皇を「聖君」として讃える文句でしめくくられている。その語るところによれば、聖武天皇の治世において修行した僧、寂仙の生まれ変わりが、嵯峨天皇にほかならない。
 さらに景戒は、嵯峨天皇の治世には「旱厲<かんれい>」すなわち日照りや疫病が起こったから、決して優れた君主とは言えないという批判に対して反論を試みる。この批判に示されているのは、君主がみずから徳を実践することを怠れば、天がそれに反応して禍を起こすという、儒学に由来する発想の仏教版であろう。景戒は同じ発想を前提としながらこう答える。

この儀しからず。食(を)す国の内の物は、みな国皇の物にして、針を指すばかりの末だに、私<わたくし>の物かつてなし。国皇の自在の随<まにまに>の儀なり。百姓<おほみたから>といへどもあへて誹<そし>らむや。また、聖君堯舜の世すら、なほし旱厲あるがゆゑに、誹るべからぬことなり。(前掲『新潮日本古典集成 日本霊異記』三一三頁)

 中国で理想の君主とされている堯・舜の時代にも「旱厲」はあったのだから、「聖君」であることを否定する根拠にはならない。そして、天皇が支配するこの「日本国」の物はすべて天皇の所有物であり、天皇がすぐれた仏教者であれば、その徳の輝きは国土のすみずみまで、全体を覆っているはずである。――このように、仏法の信仰によって天皇の地位を新たに説明し直すことが、『日本霊異記』のねらいの一つであったことは間違いないだろう。天皇親政による安定した政治体制のもとで、宮中行事の改革が行なわれ、詩文が栄えた嵯峨朝時代の気風も、そこには反映されているはずである。

天皇と雷神

 しかし、世界を窮極のところで支配する仏教の道と、歴史上の天皇たち、また天皇の権威の根拠であった日本の神々との関係は、『日本霊異記』の説話の全体においては、まだそれほど安定していない。書物本文の冒頭、上巻の第一縁<えに>として掲げられた説話「電<いかづち>を捉ふる縁」が、そのことを示している。
 雄略天皇がある日、宮中で后と「婚合くながひ>」していたところに、側近である少師部<ちひさこべ>の栖軽<すがる>が突然にやってきた。そこで天皇は「恥ぢ」て行為をやめたが、そのとき雷が鳴ったので、雷を捉えてこちらへお迎えせよと命じた。栖軽は馬に乗って遠くまで行き、「電神<なるかみ>」が落ちて地面にいるのを発見する。雷神もまた天皇に従うものだと栖軽は語りかけながら、宮中へと連れてゆく。ところがそこで雷がまた光を放ったのを「天皇見て恐りたまひ」、供え物を捧げて、もとの落ちた場所へと帰させた。
 ここで描かれている天皇の姿は、神々との紐帯をしっかりと保ち、日本国のすべての物を支配下においているという、古来の天皇の理想からかけ離れている。天皇が「恥ぢ」たことについて、伊藤由希子『仏と天皇と「日本国」――『日本霊異記』を読む』(ぺりかん社、二〇一三年)は、天皇の権威のゆらぎを雄略天皇が自覚していたことを読み取っている。すでに天皇は全能の支配者ではなく、天皇としてふさわしい行動をとっているかどうかについて、臣下の視線を気にしている。そして、雷神がどういうものなのかも知らずに、栖軽に雷を捉えるよう命じてその場から追い払ったが、雷神の力を目のあたりにしたとたん、「恐」れるしかなかったのである。そのことは、雷神とはどういう存在なのか、すでにわからなくなっており、しかもそれに対処する勇気も天皇が失なっていることを示しているだろう。
 また、修験道の開祖とされる呪術師、役小角<えんのおづぬ>(「役優婆塞<えのうばそく>」)の活躍を語る、上巻第二十八縁も興味ぶかい。役小角は篤く仏道を信仰し、修行に努めた結果、雲に乗って自由に飛び回り、「諸<もろもろ>の鬼神」を自由に使う術を身につけた。そして葛木山の山頂に橋を掛け渡そうとしたので、その山の神である「一語主<ひとことぬし>の大神」が、中止させようとして文武天皇に訴えたが、天皇も役小角を捉えることができない。
 この物語の最後では、天皇が「垂慈の音<こゑ>」を示すことで、役小角も従うことになるのだが、神々を従える力をもつはずの天皇も、その力はすでに仏道の優れた修行者よりも劣ることが露わになっている。しかも問題を解決できたのは、仏教の慈悲を思わせる態度を天皇が示したからである。おそらくは、聖武天皇から嵯峨天皇の時代へと至る歴史のなかで、天皇が新たに仏道の信仰に基づいて権威を再構築してゆく過程が、『日本霊異記』の底流に流れる歴史なのだろう。

牛に生まれ変わった父親

 こうした仏道の日本社会への浸透は、もちろん一方では、欽明天皇や聖徳太子をはじめとする、王族たちによって推進されたものでもある。しかし『日本霊異記』が伝える物語は、むしろ在地の豪族たちや無名の庶民が、さまざまな不思議に出会い、仏教の因果応報の道理を理解してゆく過程である。とりわけよく登場するのは、律令国家が創建した官寺に属さない独立の修行者、自度僧であり、こうした自度僧を迫害した人物が、その悪業の報いを受けるという話が多い。景戒もまた、かつては「俗家に居て、妻子<めこ>を蓄<たくは>ふ」と回想しており、自度僧としての生活を長らく送ったと推測されている。そうした無名の人々の仏道への信仰のありさまを、身近に見聞きした経験からまとめられた作品なのである。
 たとえば、上巻第十縁「子の物を偸<ぬす>み用ゐ、牛となりて役<つか>はれて異<あや>しき表<しるし>を示す縁」を見てみよう。大和国の山中に暮らす豪族の男が、自分の子供が収穫した稲から、十束(米五十升にあたる)をこっそりと盗んで他人に与えた。この悪業によって、男は死後に牛に生まれ変わり、成長した息子にこき使われることで、その罪を償う運命となったのである。放浪しながら修行する僧、おそらくはやはり自度僧がその家を訪れ、牛の語る声を聞き取ることを通じて、家族も父の化身であると知り、稲を盗んだ罪を許すことになる。そして和解がなり罪が消滅したことで、牛は涙を流し、安堵の大きな息をついて、まもなく死んだのであった。
 自分の子供の財物を盗んだ親が、罰を受けて牛に生まれ変わるという物語は、ほかにも母子のエピソードとして収められており、財産や家族に関する古代人の考え方を知る上でも興味ぶかい。このような在地の豪族の家は、集団で土地を耕作したり漁業に従事したりして、財物を蓄えていたと考えられるが、近世の百姓・町人に見られるような、イエの財産という観念はまだない。あくまでも同一の氏族に属する個人がそれぞれに保有するものとして分割されている。子供の財物を盗むことが重い罪の例として登場するのは、それが重大な倫理違反と考えられていたことを示すだろう。
 またこの物語のなかで、牛が実は父親の生まれ代わりだとわかったとたん、家族一同は「まことにわが父なりけり」と言って泣く。しかしその直後の動作は「すなはち起ちて礼拝して」罪を許そうと牛(父)に語りかけるというものであった。この涙には、罰を受けた父の苦しみを思いやる気持ちもまた、働いていることだろう。だが、すぐに立って礼拝するという動作から大きく感じられるのは、父親に対する愛情よりも、因果応報の道理をまざまざと目撃したことによる感銘と、仏道への信仰の深まりである。牛がすぐ死んだことについても、家族は悲しむようすを見せない。
 日常的な家族の関係も、土地と結びついた神々の信仰も超えるような、絶対的で不思議な道理に対する帰依を、人々はこの時代に経験したのである。そうした道理の働きを、具体的な事実のなかから書き留めること。景戒にとっては、その著述を後世に伝える行為がまた、天皇を中心とした「日本国」の持続を保障するものだったのだろう。

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