日本人は闇をどう描いてきたか

第十九回 華厳宗祖師絵伝 ――足摺の図像学

日本美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれるのか、その先にある救い、そして笑いとは――作品に即して読みとく、闇からの日本美術入門。第十九回は、ある恋を描いた作品から。

もう一つの化身譚

 「道成寺縁起」にて、毒蛇となった女は妄念の炎で我が身と男を焼きつくしたが、中世には、これとは別の化身譚も広く知られていた。「華厳宗祖師絵伝(華厳縁起)」に登場する善妙(ぜんみょう)の物語である。彼女は、龍に変化(へんげ)して、敬愛する僧侶の船旅を守護した。
 華厳宗は奈良時代に伝わり、東大寺を中心に興隆するも次第に衰微し、鎌倉時代にその復興運動が盛んとなる。建永元年(一二〇六)に後鳥羽院より京都の北の栂尾(とがのお)の地を賜った明恵(みょうえ、一一七三~一二三二)が、高山寺を開き、華厳教学復興の拠点とした。同寺に伝来する「華厳宗祖師絵伝」は明恵周辺での制作と見られ、新羅国の華厳宗の祖である、義湘(ぎしょう、六二五~七〇二)と元暁(がんぎょう、六一七~六八六)の事績を主題とする絵巻である。

恋からはじまる信心

 義湘絵四巻・元暁絵三巻の合計七巻のうち、義湘絵の第二巻から三巻にかけて、善妙の物語が表されている。求法のために唐へ渡った義湘は、ある日、托鉢のために大きな屋敷に立ち寄る。そこには善妙という名の美しい女性がおり、彼女は見目麗しい義湘を一目見るなり恋に落ちてしまった。
 求法の僧に、在俗の女性が恋心を抱くという話型は「道成寺縁起」に良く似ている。ただし、善妙の場合には、義湘から仏の道を諭されてたちまち信心が芽生えるところが大きく異なっている。
 善妙の切なる恋心に対して、詞書では「法門の性相につきてこれを案ずるに、愛に親愛・法愛あり。法愛は一向に潔し、親愛は染浄(「汚」の誤写か)に近せり」(義湘絵第二巻詞書)と、愛心(あいしん)の道理を説く。つまり、仏法の説く愛には、純粋な求道心の現れである法愛と、祖師や美しい仏菩薩への憧れを動機とする親愛の二種があり、当然のことながら前者が優れ、後者は劣ったものであると戒めるのである。
 一方で、明恵の思想を色濃く反映するこの説法の素晴らしさは、そのような善妙のありようを決して否定しないところにある。「愛心無きは、即ち法器にあらざる人なり。今、善妙、先には有染の貧心を発すといえども、後には無染の愛心を発せり」(義湘絵第二巻詞書)と述べて、それがいかなる性質のものであれ、何者かを愛する心なくしては発心もあり得ないのだと、恋心によって義湘に惹きつけられた善妙の心の動きを肯定しつつ、絵巻の鑑賞者を深い道心に導くのである。
 絵巻を企画した明恵は、高山寺の別院として尼寺の善妙寺も建てている。「華厳宗祖師絵伝」の内容は、北宋の端拱元年(九八八)に成立した『宋高僧伝』に基づくものであるが、この善妙のエピソードには明恵と善妙寺の尼僧たちとの関係も投影されているものと思われ、絵巻の制作には尼僧らの関与もうかがわれる。描かれた善妙は、明恵に対する親愛の情をよりどころとして修行に励む尼僧たちの姿でもあった。

足摺とは何か

 義湘との出会いを契機に深い信心を得た善妙は、自らも経を読み、唐における義湘の活動を扶助しながら幾年かを過ごすのであった。
 やがて修行を終えた義湘の帰国の日を間近に控え、善妙は最後の供物を準備する。ところが、義湘は彼女に最後の別れを告げることもなく出立してしまった。嘆き悲しんだ善妙は、せめて供物だけでもとどけるべく港へと急ぐが、船は既に出航してしまった後であった。第三巻の詞書ではその情景を次のように記している。

 善妙、これを見るに、肝心いよいよ惑ひて、砂(いさご)の上に身を投げて、魚を陸(くが)に置けるがごとし。

 陸に投げ出された魚が身をよじるように嘆く善妙を、画面では海浜で仰向けになって激しく泣く姿で描いている(図1)。そのかたわらには「善妙、はこをすてて、なきかなしむところ」との画中詞が添えられている。

【図1】華厳宗祖師絵伝(国宝、京都・高山寺蔵)義湘絵第三巻
図版出典:華厳宗祖師絵伝(華厳縁起)(続日本の絵巻8、中央公論社、1990年)

 ここで善妙の足の動きをよく見ると、膝を曲げ両足を宙に浮かせている。これは、「足摺(あしずり)」と呼ばれる、古代・中世人が激しい嘆きを表す時に行う定型のしぐさであった。
 『万葉集』巻九第一七四〇歌は「詠水江浦嶋子一首并短歌」との題詞を伴う、浦島伝説を題材にした長歌である。海底にある常世の国から現実世界に戻ってきた浦嶋子(うらのしまこ)が、海神の娘から再び会うために渡された玉櫛笥(たまくしげ、櫛や化粧道具を入れる箱)を開けると、白雲が立ち昇り常世の国の方角にたなびき消えてしまった。この後に続いて、「立ち走り、叫び袖振り反側(こいまろ)び、 足受利(あしずり)しつつ、たちまちに情(こころ)消失奴(けうせぬ)」との詞章が続く。
 決して開けてはならない箱を開いたことで、常世の国に戻るすべを永遠に失ってしまった浦嶋子は、海浜に転がって足摺りをするのである。「足摺」とは、地に仰向けに身を投げ出して両足を摺る、あるいはばたばたさせるといった動作であったようだ。まさに、「華厳宗祖師絵伝」で善妙が行っているのと同じしぐさを、ここに見出すことができる。しかも、海の向こうの手が届かぬものに対する絶望的な恋い焦がれ、嘆きである点も共通している。
 足摺は、古典文学の中に散見され、『平家物語』巻第三には、その名も「足摺」の章段がある。安元三年(一一七七)、鹿ヶ谷における平家打倒の謀議が露見し、首謀者の俊寛(一一四三~七九)は、藤原成経・平康頼とともに薩摩国の鬼界ヶ島に遠流となった。翌年、成経・康頼は赦免され、島には俊寛のみが残される。これは後世、能や歌舞伎を通じて人口に膾炙していくエピソードであった。『平家物語』本文には「僧都、せんかたなさに、渚にあがり倒れふし、幼き者の乳母や母などを慕ふやうに足摺をして」とあり、ここでもまた、自分を残して去りゆく船に対する俊寛の届かぬ想いが、足摺という激しい動作によって示されているのである。

立ち上がる善妙

 なすすべもなく倒れ足摺するばかりであった浦嶋子と俊寛に対して、再び立ち上がるのが善妙であった。続く場面で善妙は岬にすっくと立ち、供物を入れた箱を海に投げ入れる(図2)。「善妙、はこをなぐるところ」との画中詞が添えられている。そしてついに自らの身を海に投じ(図3)、最後には龍に変化して愛する義湘を荒波から守って新羅まで送り届けるドラマティックなシーンへと続く。
 そこに描かれているのは、強い愛心に導かれて行動する善妙の凜々しい姿である。喝采とともに絵巻を繰り広げる、善妙寺の尼僧たちの姿が歴史の彼方に浮かび上がってくる。

【図2】華厳宗祖師絵伝(国宝、京都・高山寺蔵)義湘絵第三巻
【図3】華厳宗祖師絵伝(国宝、京都・高山寺蔵)義湘絵第三巻
図版出典:2、3ともに華厳宗祖師絵伝(華厳縁起)(続日本の絵巻8、中央公論社、1990年)

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