PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

最後の広島の牡蠣

ほろ酔い泥酔宿酔い・1

PR誌「ちくま」2月号より藤田祥平さんのエッセイを掲載します

 いま、新大阪行きの新幹線のなかで麦酒を買ったので、ふと思い出した。私の師匠は、たいへんな酒豪であった。
 いまでもはっきりと覚えている彼の訓戒は、京都の木屋町(きやまち)の深夜三時ごろに放たれたものだ。そろそろ帰りたい、明日があるからと言った私の目をキッとにらみつけて、「どうして今日と明日が繋がっていると思うんだ?」と彼は言った。私はうまい反論を思いつかなくて、けっきょく日が昇るまでお相伴にあずかった。もちろん、「明日」の用事は宿酔(ふつかよ)いのためにぼろぼろだった。迷惑な話である。
 しかし彼のこの発言には重要な知見が含まれているように思う。私たちは明日も太陽が昇ると信じ切っているが、ほんとうに昇るかどうかは、じつは朝になるまでわからないのだ。
 私と彼がはじめて出会ったとき、私は右も左もわからない作家志望の学生だった。彼は私にねばりづよく文学理論を教え、そのためにいま私は文章で食うことができる。また、彼はあのころ准教授だったが、いまでは学科長にまで出世した。こうなると、どちらが文筆でより多くの飲み代を稼ぐかの競争めいてくるが、これには勝てそうにない。飲酒量が違うからである。
 文学理論研究と作家は、いずれも頭を使う仕事だ。にもかかわらず我々が毎夜のごとく酒を飲み、そして世の中から追放されていないのは、摩訶不思議としか言いようがない。それは措くとして、しかし文学理論研究のほうが、おそらくより挑戦的な仕事だろう。というのも、研究者には知的誠実さが求められるから。
 だから私は左京区(さきょうく)の小さな割烹で師匠とともにうるかを舐めながら獺祭(だっさい)を飲んでいたときの会話を忘れられない。「なぜ思考を乱す酒を愛飲しながら、あなたはそこまで明晰なのですか?」すると彼は言った、「おれは子供のころから理屈では一番だった。文章でもおなじさ、つまり通る理屈のぎりぎりの線を探るんだな。だからもう、酒くらいではびくともしない」
 もっとも思い出深いのは師匠と食べた牡蠣鍋である。電話口で食いにこないかと言うから出ていったら、なんとお住まいだった。奥さんもお子さんも出かけていて、家はひっそりしていた。師匠は料理もおやりになるので、白味噌で出汁を仕立ててくれた。出汁が煮えて、さあ牡蠣を入れるかというときに、師匠は言った。
「これは通信でおれが教えている広島の生徒から送られてきた牡蠣でね。毎年送ってくれるんだが、今年は手紙が添えてあって、こう書かれていた。もう来年まで持たないでしょうから、これが最後の牡蠣になります」
「どういうことですか?」と私は言った。
「つまりね、入院しているのさ」と彼は答えた。「癌なんだ」
「そうですか」と私は言った。
 それから私たちは牡蠣を一粒残さず食べ、しこたま酒を飲んだ。牡蠣はうまかったし、体が芯から温まった。
 いま、新幹線の車中で書いていたら、そういうことを思い出したので、私はお姉さんを呼び止めて、もう一本麦酒を買わないといけなくなった。

PR誌「ちくま」2月号