世の中ラボ

【第93回】安楽死にあなたは賛成? 反対?

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2018年1月号より転載。

 二〇一七年の年間ベストセラー・ランキング第一位は九四歳の作家・佐藤愛子の『九十歳。何がめでたい』(小学館)であった。
 これに限らずここ数年、ランキングの上位にはしばしば「ご長寿本」が顔を出す。渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)とか、篠田桃紅『一〇三歳になってわかったこと』(幻冬舎)とかね。本を読む層が高齢化しているのか、本を書く人が高齢化したのか。いずれにしても、健康で長生きな人にあやかりたいという気分が売れ行きにも反映しているのだろう。
 が、今回はご長寿本の話ではない。高齢化がこうも進んでくると、まったく逆に、長生きなんかしなくていいよ、適当なところで死なせてくれよ、と考える人も当然出てくる。
 そっちの気分を代弁しているのが、九二歳の脚本家・橋田壽賀子の『安楽死で死なせて下さい』だろう。
 彼女の主張は次の部分にほぼ凝縮されている。
〈九十を過ぎた私が言うのはおかしいかもしれませんけど、長生きってそんなにいいことでしょうか?/ある程度の年齢になったら、深刻な病気でなくても、「もうそろそろ、おさらばさせてもらえませんか」と申し出る権利ができてもいいのではないか、と思います。もちろん自殺はダメですから、高齢者本人の意思をちゃんと確かめて、家族も親戚も納得して判を押したら、静かに安楽死できる。そういう制度が日本にあってもいいと思います〉。

安楽死と尊厳死はずいぶん違う
 橋田壽賀子が安楽死を望む理由はシンプルだ。
〈認知症になって何もわからなくなったら、生きていたくない。意識がしっかりしていても、身体が動かなくなったら、生きていたくない。楽しみがなくなったら、やっぱり生きていたくないと思うんです〉。自分には子も孫もいないし、夫は先に死んだ。親戚付き合いもなく、会いたい友だちも思いを残す人もいない。天涯孤独なので〈あとはもう、他人に面倒をかけたくないだけ。身の回りのことが自分でできなくなって、下の世話から何からしてもらって迷惑をかけるなら、そうなる前に死なせてもらいたい〉。
 ここまでいい切れれば、いっそアッパレよね。これも自分の筆一本で稼いで財をなし、仕事も余暇も十分に楽しんで、これ以上思い残すことなし、という人生だからだろうか。
 もっとも彼女のような物言いは、誤解を招きかねない。一歩間違えば「じゃあ認知症の人、身体が動かなくなった人に、生きてる価値はないんかい」という話になるからだ(橋田自身も「人に強制する気はない」といってはいるのだが)。
 先に肝心なことを確認しておこう。「安楽死」と「尊厳死」のちがいについてである。一般に、安楽死も尊厳死も「助かる見込みのない人を、本人の自発的意思に基づいて、苦痛の少ない方法で、人為的に死に導くこと」である点は変わらない。ただし、二つの死の意味はかなり異なる。「尊厳死」とは過剰な延命治療を施さず、自然な死を受け入れること。「安楽死」とは本人の希望に従って医師が薬物などを投与し、故意に死に至らしめること。尊厳死は消極的な死の選択。安楽死は積極的な死の選択。
 あらためて自分がどうしたいかを考えると、安楽死はさておき、尊厳死には賛成という人が多いのではないだろうか。事実、内閣府の『高齢社会白書』(二〇一五年)によると、六五歳以上の人で「延命のみを目的とした医療は行わず、自然にまかせてほしい」と答えた人は九一・一パーセント、「少しでも延命できるよう、あらゆる医療をしてほしい」は四・七パーセント。いまや日本の高齢者の大多数は「尊厳死に賛成派」なのだ。
 日本では「本人の意思が確認できること」などの条件つきで、「尊厳死」は事実上認められているものの、法制化が進んでいないため混乱も多い。「安楽死」にいたってはいっさい認められておらず、もしそれを行ったら医師が自殺幇助の罪に問われる。橋田壽賀子があれほど強く安楽死を求めているのは、現状でそれを望めば、医師を犯罪者にしてしまうからなのだ。
 実際、法整備が進んでいないこともあり、尊厳死すらままならないのが日本の医療の現状らしい。松原惇子『長生き地獄』は、このような、図らずも長生きさせられてしまった(?)人たちの現場を訪ね歩いたレポートで、気の毒な例がたくさん出てくる。
 胃ろう(胃に直接栄養を入れるための穴を開けること)によってただ生かされている(だけに見える)認知症の高齢者、何の説明も受けずにいきなり鼻から栄養補給のチューブを入れられた一〇〇歳すぎの女性、意識がないまま管と点滴につながれて二年間生き延びた八〇代の男性、管を外さないよう手をベッドに縛り付けられ「はずして、はずして」と叫ぶ七〇代の女性……。
 こうした例が後を絶たないのは、一度つけた延命装置は外せないという現実(外した人は殺人容疑に問われかねない)に加え、人々の延命治療に関する知識が不足していること、意思表示をきちんとしていない人が多いこと、死について率直に話し合う文化が育っていないことなどのバックボーンが関係している。
 延命治療というと、通常思いつくのは、胃ろうと人工呼吸器くらいだが(それだって知らない人がいるかも)、実際には、まだまだ多くの方法がある。心肺蘇生、気管切開、強制人工栄養(鼻チューブ、点滴などの静脈栄養)、水分補給(点滴など)、人工透析、輸血、強力な抗生物質の使用。場合によっては、末期がんに対する抗がん剤の投与なども含まれるかもしれない。
 延命治療はしなくていい、と漠然と考えていたとしても、以上のすべてを拒否することが、実際問題としてできるだろうか。
 すべてを拒否する方法もじつはある。それは何か異変があっても救急車を呼ばないことだ。病院に入れられたら最後、何らかの医療行為は施されるわけで、在宅での自然死を望むなら救急車は呼ぶな、という話を私もこの種の本で何度か読んだ。家族と暮らしている人や介護施設にいる人は、ほとんど無理でしょうけどね。

欧米には延命治療がない!?
 安楽死に話を戻そう。『長生き地獄』の松原惇子も安楽死肯定論者である。〈「認知症はこわくない。わからなくなったもの勝ちよ」と豪語していた10年前のわたしだが、その言葉を今、撤回したい。はっきり言おう。他の人はどうか知らないが、わたしにとり、自分を失うことが、すなわち死なのである〉。
 そんな彼女が憧れるのはオランダだ。現在、安楽死が認められているのは、スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクと、アメリカのいくつかの州。二〇〇一年に安楽死が合法化されたオランダの安楽死協会を取材した松原は〈重篤な病で生きているのが苦しい人に対して、生きることを強いるのではなく、相手の身になり理解してあげる〉のは〈生きるうえでの安心ではないか〉という。〈最悪のときは、合法的な安楽死を選べるのは、生きる希望だ〉。
 そうまでいわれると、ちょっと心が動くけど……。
 専門家の意見はどうだろう。『長尾和宏の死の授業』は、終末医療や死についての著作が多い医師の長尾和宏が、さまざまな事例をもとに若い世代と死について語り合った授業の記録だ。
 長尾は「尊厳死」ではなく「平穏死」という言葉を使う。
〈欧米諸国では、日本語で定義している尊厳死は自然死のことであり、当たり前のことなんですよ。皆さん普通に尊厳死で死んでいきます〉。これは〈延命をしない、これは、オランダだけではなく、欧米でのスタンダードな考え方になっている。だから、欧米には寝たきり老人がいないのだ〉(『長生き地獄』)にも通じる話である。むしろ自然死に近いのだから平穏死。
〈過剰な延命治療をすることで、最期によけいに苦しむケースを僕はたくさん見てきた。自然に枯れゆくように死ぬこと。そのほうが、苦しまない。本来、死ぬ瞬間は痛くないし、苦しくもない。だけど、大病院の医師はそれを知らないし、死は敗北だと思っているから、最期の最期まで過剰な延命治療を行う〉。
 日本では、医師会をはじめ、国会議員も宗教者の団体も弁護士会も障害者の団体も尊厳死の法制化には反対している。そのなかで尊厳死(平穏死)の価値を唱える異端というべき医師だろう。たとえば九〇歳以上の人に胃がんが見つかった場合、自分なら放置を勧める。〈その理由は、「もう歳だから」〉。胃の全摘手術をしたり抗がん剤治療でダメージを与えるより、放置のほうが長生きするかもしれないし、今の生活を失わずにすむ。
 だが、そんな長尾でさえ、安楽死には躊躇を覚えるというのである。医師としての立場上、安楽死に賛成とはいえないが、個人的には〈「反対とは言い切れない部分がある」とも思う〉。しかし、この先もし日本で安楽死が合法化され、希望者に死に至る注射をしてくれと頼まれたらどうするか。終末期医療や死について慎重に議論を積み重ねてきた長尾は、ここできっぱり答えるのだ。〈やらない。絶対にやらない。それはやっぱり、できません〉。
 ええっ、そうなの? じゃあ橋田壽賀子や松原淳子の希望はやっぱりかなえられないんだ。じつは私も安楽死という選択には疑問を持っている。これらの本を読むことで疑問はむしろ増大した。安楽死は、よほど自立した人しか望めない、きわめて贅沢な死なのである。一方、終末期医療や延命治療は、まず家族の問題として、次に自分の問題として、ほとんどの人が直面する。私も延命治療は遠慮したいが(←書いておいたぞ、意思表示)、何が延命治療かを判断するだけでも難しい。安楽死のことなんか、考える余裕はないよ。

【この記事で紹介された本】

『安楽死で死なせて下さい』
松原惇子、SB新書、2017年、800円+税

 

人に迷惑をかける前に死に方とその時期くらい自分で選びたい〉(帯より)。戦時中や脚本家としての体験もまじえて、自身の死生観を語った本。ベッドの上で死を待つのはイヤ、葬式も偲ぶ会もしなくていい、死んでも公表はするな、延命治療もしなくていいし、救急車も呼ぶなといってあるなど、徹底して延命を拒否する姿勢は気持ちがいいが、究極のワガママという気も……。

『長生き地獄』
松原惇子、SB新書、2017年、800円+税

 

〈「長生きが幸せ」の時代は終わった〉〈孤独死よりこわい長生き〉(帯より)。七〇歳を迎えた著者が「長生きの現場」「死ねない現場」を訪ね歩き、よい死を迎えるにはどうするかを考えた本。終末期医療のほか、老健(介護老人保健施設)、特養(特別養護老人ホーム)、有料老人ホームといった施設の実態にも言及。さっぱりした筆致で書かれてはいるが、暗澹たる気持ちになるのが難。

『長尾和宏の死の授業』
長尾和宏、ブックマン社、2015年、1200円+税

 

〈あなたは、どう逝きたいか? 日本人は死に方を選べるのか?〉(表紙の惹句より)。日本尊厳死協会副理事長なども務める開業医の授業の記録。安楽死が合法化されている米国オレゴン州で安楽死した女性の例や、医師としての自身の体験もまじえ、安楽死、尊厳死(平穏死)、終末期医療などについて若者たちと語り合う。生徒たちの素朴な疑問も頻出。やや回りくどいが、わかりやすい。

PR誌ちくま1月号

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