ちくま文庫

黒岩重吾先生の思い出

ちくま文庫『飛田ホテル』解説

「魂の観察者」とまで言われた黒岩重吾が大阪のどん底を舞台に、男女の愛憎を痛切に描いた名作短編集『飛田ホテル』。黒岩重吾の弟子だった作家の難波利三さんによる解説を公開します。

 僕は黒岩重吾の不肖の弟子である。
 オール讀物新人賞をもらったとき、以前にその賞の選考委員を務めておられた黒岩先生から思いがけなくハガキが届いた。個性の強い読み難い文字だが、おしまいの一行「遊びにいらっしゃい」が判読できたので、早速、邸宅へ押しかけて行き、弟子志願した。
 だから常々「先生」と呼んでいたので、ここでもそうさせて頂く。先生が四十七歳、同じ子年生まれで一回り下の僕が満三十五歳だった。以来、先生が七十九歳で亡くなられるまでの長い年月、随分お世話になった。
 弟子と称しても特に修業や任務があるわけではなく、もっぱら大阪・北新地へお供するぐらいである。先生から誘いの電話が掛かると、仕事場にしておられた大阪コクサイホテルへ出向く。そこからタクシーで北新地へ向かい、バーやナイトクラブなど四、五軒ハシゴして、帰りはいつも午前様になる。
 先生が呑まれるのはキープしたレミーマルタンのみ。ブランデーグラスでちびちび舐めておられた。酔って乱れた姿は一度も見たことがない。アルコールに強いのか、呑み方が上手なのか。ビールなど他の酒類はほとんど口にされなかった。
 学徒出陣で戦争体験があるせいか、先生は軍歌が好きだった。特に「昭和維新の歌」がお気に入りで、一晩に必ず一回は歌われた。歌詞の二番は「権門上に傲れども 國を憂うる誠なし 財閥富を誇れども 社稷を思う心なし」とあり、その「財閥富を誇れども 社稷を思う心なし」の部分だけは音程が外れるほど力を込めて歌われるのだ。北新地の客は一流企業の社用族が多い。彼らに対する何か屈折する思いがあったのかもしれない。
 同じ歌の三番の歌詞の終わりは「世は一局の碁なりけり」となるが、全曲歌い終わった後、そこを復唱するように呟かれるのが癖で、これも感じるものがあったのだろう。
 大抵は二人だが、ときたま東京の編集者が加わる場合もあり、暗黙のうちに編集者との付き合い方や、物書きとしての心構えなどを学んだように思う。それが自分の中で生かされたかどうかは別問題として。「君の年収が五百万を超えるまでは、俺に任せておけ」と言われ、店の支払いは無論、僕の帰りのタクシー代まで払ってもらった。
 夜だけではなく昼の遊びもあった。先生がクルーザーを購入され、繋留している大阪の高石マリーナから和歌山の友ヶ島辺りまで出掛けた。キャビンにベッドやトイレも付いたかなりの大型で、屋根の上からも操縦できる。自らハンドルを握り(講習を受けて免許を取得)、海面を飛ぶように走らせる先生は心底楽しそうで、爽快感を満喫しておられた。現在、関西国際空港島が広がる、丁度その辺りの海上を横切るコースだった。今でも関空を利用するたび、往時を懐かしく思い出す。
 秀子夫人とまだ小学校の一、二年生のお嬢さん、それに僕の家内も乗船して友ヶ島へ出掛けたことがある。ゴムボートに乗り換えて上陸し、砂浜で泳いだり、持参の飲食物を飲み食いしたりして一日のんびり過ごした。そんなときの先生からは普段の厳しい表情が消え、別人のように穏やかな顔だった。
 一度、北新地の女性一人をクルーザーに乗せることになり、僕が早朝、待ち合わせ場所の国鉄天王寺駅へ迎えに行った。だが、どこを探してもそれらしい姿が見当たらない。困惑する僕の前に見知らぬ女性が現われ、親しげに話しかけてきた。朝と夜の顔が激変して分からなかったのだが、探す相手だった。後日、先生に話すと珍しく大笑いされた。
 再び夜。あるとき、いつも通りに大阪コクサイホテルへ行くと、先生からフロントへ連絡があり、締切り原稿が遅れているので部屋にきて一時間ほど待ってくれとのこと。人気作家の先生は新聞雑誌などの連載をいくつも抱え、毎日が戦争のような慌ただしさだったと思う。
 僕はソファの端に控え、仕切りの向うの机の気配を窺う。先生は愛用のモンブランの太い万年筆を叩き付けるようにして、原稿用紙と格闘中だ。静かな部屋にその音だけが、機関銃でも発射するようにトントントンと断続的に響く。時折、呻きとも呟きともつかぬ低い声も混じる。その筆圧の激しさに驚きつつ、僕は正に死闘が繰り広げられている戦場を垣間見るような、身の引き締まる緊張と深い感動を覚えた。命懸けの真剣勝負だとも思った。クルーザーや北新地での遊興は、そんな重圧から逃れる貴重な息抜きだったのだ。
 ここに収められている六作品も、そういう格闘、死闘の末に誕生した結晶である。興味深いのは、いずれも先生が「背徳のメス」で直木賞を受賞(一九六一年一月)する前後に書かれた点だ。以来、第一線で活躍し続けた長い作家人生の、記念すべき初期の作品が編まれている。
 表題の「飛田ホテル」は現在の大阪・西成のあいりん地区、以前は釜ヶ崎と称した辺りが主な舞台になる。そこに住みつき、一時期、トランプ占いで生計を立てていた先生の、鬱屈した底辺での体験から生まれた作品である。
 ある冬の夜、飛田ホテルのモデルになった老朽アパートへ連れて行かれたことがある。「ここが俺の原点だよ」と先生が指差す薄暗い玄関先で、鉢巻きした酔っ払いがうずくまり、しきりに力んでいる。よく見ると尻を出し、ウンコの最中だった。僕らに向かってか、近寄ってきた野良犬にか、酔っ払いはしゃがんだ格好のまま、呂律の回らない言葉で喚き散らした。どうしてそんな場所で用を足すのか、ただ呆れて、「凄いところですね」と囁く僕に、先生は苦笑いを浮かべておられた。そういう無茶な光景が別に異様でもない、猥雑極まりない一帯の雰囲気だった。
 「口なしの女たち」は一応、神戸が舞台だが、表の顔の神戸の街ではなく、横道に外れて生息する人間模様が描かれている。「隠花の露」は大阪の天王寺、阿倍野界隈、「虹の十字架」は高級住宅地の芦屋が出てくるが、主な舞台は通天閣が間近に見える街、「夜を旅した女」はやはり通天閣が聳える新世界、「女蛭」は御堂筋から難波、堺、和歌山など大阪南部という具合に、それらはいずれも当時、三十半ばから四十前の年齢の、先生の土地勘のある場所が作品の舞台に使われていると見て間違いないだろう。
 登場する人物達は暖かい日差しが届き難い世間の片隅で、精一杯、懸命に生きている。ある者は抜け目なく悪智恵を働かせて、欲望を満足させようと企む。そんな彼や彼女達の心の明暗を、先生は容赦なくえぐり出す。
 六作品に共通するテーマは、ずばり「男と女の愛憎」だと言える。世俗に翻弄されて複雑に絡む人間関係を、ミステリーのレールで運びながら解き明かす。社会派推理作家としてデビューした若かりし日の、黒岩重吾の火玉のような熱い意気込みが全作品に横溢しているのだ。
 この稿のために何十年ぶりかで読み直し、改めてディテールの見事さに驚嘆した。昨今、大味な小説がまかり通る傾向にあるが、細部描写の重要性を今更のように教えられる思いがする。また後年、「魂の観察者」と評せられるほど鋭い洞察力で人間心理を解剖して見せた、その片鱗も随所に窺えて感興をそそる。
 かつて先生が住んでいた老朽アパートのすぐ近くには、四年後、二十階建てのシティホテルが建設される計画がある。国内外に手広く事業を展開するホテル業者が、その地区の将来的発展に目をつけたのだ。
 僕はただただ隔世の感を覚えるだけだが、先生がそれを知ればどんな反応を見せるか、ふと想像したくなる。「高級ホテルができると、あの辺が生まれ変わるな」「俺の飛田ホテルと比べると、月にスッポンか」。そんな平凡な言葉ではなく、もっと気の利く発言が飛び出すのに違いないが、聞けないのが残念である。

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