考える達人

第14回「地方と世界が切り結ぶ時代へ」
寺西重郎さん:後編

モノを買う意味を考え始め、消費のスタイルが変化してきた時代、これから世界経済はどうなっていくのか? 大きな問いを寺西先生に投げかけた石川さん。「地方」がキーになるようです。

●日本的資本主義はいつから始まったか
石川 日本型の経済システムと大量生産・大量消費には親和性があるとお考えですか。
寺西 本来的にはあまり合わないと思うんですよ。というのも、日本的な経済のかたちは、南北朝時代や江戸時代に端を発しているからです。
 社会が安定した徳川時代に、日本の経済成長はある程度始まりました。イギリスでは18世紀に産業革命が起こり、工場の蒸気機関で大量生産して世界中に売りまくったんですが、日本はちょっと違うんですね。徳川時代には工場なんて一切なかった。みんな農業の副業として生活用品をつくったりしていたし、質のいいものは専門的な職人がつくっていました。
 ではなぜ徳川時代に経済成長が起こったのかというと、この時代に海運がものすごい勢いで発達したからです。徳川幕府は税金を米で納めさせる制度をつくった。お侍さんに「お前は何石取りだ」と言って納めさせる。そうしたら各藩には米で税金が入る。でも米では交換に使えないから、貨幣に換えなきゃいけない。幕府だってあちこちに幕府領を持っていて、そこから米が入ってくるわけですが、それを売らなきゃいけない。売るために堂島に米を運ぶわけですが、それが海運の発達を促したんですね。
 海運が発達すると、それにともなって商業も発達する。輸送費がものすごく安くなったから、小生産者は日本中につくったものを届けることができるようになりました。たとえば岡山でつくった商品が、東北で売れるようになった。買い手が増えれば、「もっとたくさんつくろう」という生産者も増える。
 このように、生産者と消費者を結びつけたのは商人たちなんですよ。商業が生産者と消費者を結びつけ、日本的な資本主義の基礎ができてきた。三井もそこでお金を貯めて、明治になって三井財閥になった。三越の前身、越後屋は松坂(松阪)から江戸に移った。最初は従業員7、8人の小さなお店だったけど、その後大きく発展した。とにかく江戸時代には商業がものすごく発達し、商業が消費者と生産者を結びつけた。それが明治、大正と続き、戦後の高度成長期になって大きく発展し、今度はアメリカ流の大量生産・大量消費に適応していったんです。
石川 なるほど。日本的な経済や経営は、もともとは大量生産とは違うかたちで発展したんですね。
寺西 そうです。企業の中で身近な他者を大事にしながらチームとしてする。それから株主が完全に支配するなんていうのは、日本の昔からのコミュニティーのあり方としてはあまりふさわしくないので、ブルーカラーにもボーナスを出す。それが意外とものづくりに役立ち、世界的な競争力を持ってしまったので、アメリカがびっくりしちゃった。

●消費の伝統回帰
石川 だけど、今はもう、大量生産を必要とするような不足も不便もあまりないですよね。
寺西 豊かになってきたんだね。中国・韓国・台湾など他の東アジア諸国は、大量生産が圧倒的に強いしうまいんです。でも、日本人はそこにはあまり情熱を持てないんだよね。
石川 先生の著書(『歴史としての大衆消費社会』)には、最近、日本人の消費行動・態度が伝統的なほうにシフトしているし、世界的にもそういう傾向が見られると書かれていますよね。たとえばアパレルに限らず食でもそうなんですが、トップブランドよりもB級ブランドのほうが消費者の距離が近くなり、商品をともにつくりあげようとしている。これは面白い指摘ですね。
寺西 少年ジャンプ化とでもいうんでしょうか。『週刊少年ジャンプ』は、投票(読者アンケート)で連載するマンガを決めますよね。つまり生産者と消費者が一緒にものをつくる。これがまさに日本的なやり方です。AKB48もそうだし、着るものもそういう傾向がある。消費のスタイルは、大量消費型からだんだん変わってきているのではないかと思うんです。
 逆に、家電業界は苦しいでしょう。アメリカに憧れていた大衆消費社会の時代では、家電業界や自動車業界がいちばん業績がよかった。ただ、この2つの業界は少し違うんですね。自動車業界は安全性の問題から、顧客と密接につながっている。たとえばディーラーと付き合いがあるし、そこで車検をしたりするじゃないですか。一方で家電業界は、アメリカ的な生産方式でやっていた。たぶん彼らは、大衆消費社会がずっと続くという幻想の中にいたのではないかと思うんです。でも日本ではだんだんそうではなくなってきて、少しずつ大量生産・大量消費・大量廃棄に批判的な目が出てきた。それが、最近の家電業界の苦境の背後にあるような気がします。
石川 とすると、これからの消費も伝統回帰的な傾向が続くのでしょうか。
寺西 そう思います。消費者も、大量生産の商品に飽き足らなくなってきた。
石川 商品を買うときに「これを買う意味はあるのか」と問うようになってきたというか。
寺西 近頃の若い人を見ていると、そんな感じがしますね。そういう問いかけはすごく日本的な消費態度だと思うんです。
石川 人口構造の変化についてはどうお考えですか?
寺西 歴史的に見ると、日本の人口は南北朝時代から少しずつ増え始めて、江戸時代に急増しました。南北朝時代には1000万人ぐらいでしたが、明治が始まったころは3000万ぐらいです。それからまた急速に増えていき、第二次世界大戦時には8000万になった。そして戦後に1億2000万まで増えて、これからは減少していくわけです。
 あと数十年で8000万人ぐらいになり、それが一つの均衡になるだろうと言われていますが、それまでが大変です。ある程度成長するならまだしも、マイナス成長になれば、国債が暴落しかねません。未婚率の上昇によって、社会が非常に疲弊していく可能性もある。だから、ここから数十年の経済運営がものすごく重要です。僕自身は、地方の力をもっと信頼して、この国難を乗り切らなければいけないと思っているんです。

●地方と世界が切り結ぶ時代
石川 最後にすごく大きな問いですが、世界経済は今後どうなっていくんでしょうか。
寺西 僕はこんなふうに感じています。19世紀から20世紀の途中までイギリスが世界を支配し、それ以降はアメリカの時代になっていく。要するに英米文化の時代ですよね。そして僕らの青春時代、日本は英米文化の支配下に入った。戦争をして負けて、いやおうなしにそうするしかないと思ったし、半分は憧れもあった。だけどそれが変わってきたのが1980年代です。日本はアメリカとはかなり違う。アメリカには自由な個人がいて、徹底的な市場主義でしょう。一方で日本はそうじゃなくて、企業の中で分配するような経済システムが成功し、一時的に世界第2の経済大国になりました。
 その後、2000年代に中国が台頭してきたわけですが、中国は日本とはまったく違う。自由主義・市場経済も利用するけれども、必要に応じていくらでも国有企業を使うし、為替でも金融も政府が大きく介入してしまう。昔のアメリカだったら目くじら立てて怒りだすようなことを、中国は平然とやるわけですよね。
 人権だってそうです。天安門事件なんて、アメリカ人からすれば信じられない。僕だって信じがたいけれど、人権侵害を平然とやるわけでしょう。しかも最近は「中国には中国流の人権の守り方があるんだ」というふうに言ってのける。
 そういう意味では、中国の台頭によって、アメリカの文化的覇権、つまり自由と民主主義を守るという普遍的価値観がだいぶ衰退してきました。そして中国のみならず、いずれはイスラム的な資本主義やロシア的な資本主義が出てくるでしょう。だから世界経済は大変な価値観の相克の時代になっていくと思います。
石川 衝突も起きやすくなると?
寺西 そうでしょうね。キリスト教はなんせ人類が大事だから、人類に何でも広めようとする。中国ももともと礼教国家で、礼教的なシステムを野蛮な近隣諸国に広めようとしていた。ですから両方とも、どちらかというと攻撃的な文化なんです。
石川 先生が「地方の力を信頼する」とおっしゃるのは、そういう世界の動向と関連がありますか?
寺西 価値観の多様化という問題に中央だけで対応するのは、だんだん難しくなっている気がするんです。たとえば新潟はロシアと親交を深めるとか、九州は中国と親交を深めるとか、多様な地方が文化と経済をつくり、世界と交わっていくという方法もあると思いますね。
 今は自民党独裁とか安倍一強とか言うけれども、それよりもひどいのは中央集権です。つまり、中央が地方を完全に牛耳っている。地方交付税交付金にしても今度の地方消費税の配分にしても、財源・権限ともに完全に中央政府が握っている。やはり多様性は創造性の源泉ですから、それがなくなったら終わりです。
 戦前期はそうではなくて、地方がものすごい力を持っていた。もちろん知事は官選で中央から送り込まれてきたけれど、地方にはものすごいお金持ちがいて、非常に豊かな文化的基礎があった。ですから地方に経済力があったんですよね。地方が経済力・文化力を持つように変えていかないと、これからは世界に対抗できないんじゃないですかね。
石川 身近な他者との関係を重視する文化の重要性も増していきそうですね。オタク文化もそうだと思います。切磋琢磨して同人誌や映像作品をつくっていくうちに、自然と世界に通用するような文化・産業が育つかもしれない。
寺西 そうだと思います。地方の力、身近な他者と共同する力をもっと信頼して、日本で新たな価値やシステムをつくっていくことが必要でしょうね。

[構成:斎藤哲也]