生き抜くための”聞く技術”

第18回
理屈はいつも人を騙す

一見論理的に見える言葉こそ、やっかいだ

 

 きょうはこの言葉を考えてみたいと思う。
「銃は人を殺さない。人が人を殺すのだ」
 この言葉を聞いて、みんなはどう思うだろうか。これだけを聞くと、確かにそうだと思う人もいるかもしれない。実際、銃が自分の意志で発砲するわけではなく、引き金を引くのは人間だからだ。
 これはアメリカで銃による犯罪が起きるたび、聞こえてくる言葉だ。
 誰かが銃を乱射して、たまたまそこにいた何人もの人間を、いや時には何十人もの人間を無差別に殺害する。こうした事件が、アメリカでは繰り返されている。そのたびに銃を規制すべきだという悲痛な声が上がるのだけれど、結局はほとんど何も変わらない。
 ぼくたち日本人からしたら、自分の周りの人たちが銃を持っていると考えると、物騒きわまりない。しかもその数が半端じゃない。アメリカ国内にある銃の数は3億丁とも言われている。人口がおよそ3億人として、ひとり1丁の銃を持つ計算になる。別に特別な人が持っているわけじゃない。ごく普通の人たちが持てる社会なのだ。アメリカの田舎町に行くと、当たり前のように銃を肩にかけて歩く人を見かけることもある。
 一番のベースにあるのは、建国以来の歴史のなかで培われた銃に対する考え方だ。大陸の東部から建国が始まったアメリカは、その後、西へ西へと開拓を進めていった。その時代に銃が大量に出回り、自分の身は自分で守るという意識が植え付けられていく。その当時の様子を描いた西部劇には、おきまりのようにガンマンが悪党たちを倒すシーンが出てくるのを観たことがある人もいると思う。
 そうした歴史を背景に、アメリカでは憲法で銃を持つ権利が保証されている。これは市民が最後の手段として武器を持って立ち上がり、アメリカ政府をも倒す権利を持っているという解釈もあるのだけれど、とにかく銃の保持が憲法で認められている国なのだ。
 さらに日本と違って国土が広大だ。都会を別にすれば、警察に電話してもすぐになんて来てくれない。それこそ自分で銃を持っていないと、誰が家族を守るのか、というわけだ。
 もうひとつは、ライフスタイルとでも言うべきものだ。銃を持つことが生きていくうえでのアイデンティティと言ってもいいような男たちが、今もたくさんいるのだ。銃を規制することは、そんな人たちに生き方を変えろと迫るようなものでもある。

 まあ、本当に様々な理由で銃が社会に根付いているのだけれど、もうひとつ銃規制が進まないのは「全米ライフル協会」という団体の存在だ。この団体は銃を持つ権利を声高に叫び、政治的にも強い影響力を持つ。銃乱射事件が起きて規制の声が出るたびに、反対の論陣を張ってその動きを阻止する。
 この団体のキャッチフレーズこそが「銃は人を殺さない。人が人を殺す」。この言葉は規制に反対の人たちの合言葉にもなっていて、規制すべきだという人は銃を目の敵にするけれど、結局は人間の問題なのだから、銃を規制するのはお門違いだと言いたいのだ。
でも本当にそうだろうか。
 確かに銃が自発的に人を殺すわけではない。でも銃が手元になければ、ひとりの人間が無差別の大量殺人を犯すことは難しい。ここ数年、ヨーロッパなど起きている人の波に車で突っ込むというテロを見れば、無差別殺人を起こせる道具は銃だけではないことがわかる。さらに言えば爆弾を使った無差別殺人もあれば、日本で実際に起きたようにラッシュアワーをねらって地下鉄でサリンをまくことだってできる。
 しかし自宅の引き出しを開けて、そこに銃がある状況は、より犯罪を誘発する可能性が高いのではないだろうか。しかもアメリカでは善良な市民だけでなく、悪をなそうとする人も持つことができる。いや、善良な市民とて、かっとして怒りに支配されてしまうことだってあるかもしれない。そんなとき手を伸ばせば、そこに銃があるのだ。ナイフだって 人を殺せると、銃規制に反対する人は言うだろう。しかし連射できる銃とナイフのどちらの殺傷力が高いかは言うまでもないだろう。
 もちろんアメリカの銃の歴史を否定するつもりはない。しかしだからといって、これだけの銃犯罪が放置されていいことにはならない。


「銃は人を殺さない。人が人を殺すのだ」


 一見論理的に見える言葉こそ、やっかいだ。反論するのが難しいからだ。しかしそうした言葉が、様々なことの正当化に使われてきたのは、歴史を見ればすぐにわかる。理屈など、どうにでも立てられるのだ。
 かつて力の強い国が他国を植民地にして搾取する政策は、正当化されていた。「野蛮を文明化する」、つまり進んだ国が遅れた野蛮な国々を文明化してあげるのは素晴らしいことだという理屈のもとで。ところが今となっては、その理屈は何の説得力も持たない。搾取される人間の立場になれば、そんなことあっていいはずがないからだ。
 理屈はあとからついてくる。騙されないよう、「本質は何か」に耳を澄ます人間であってほしいと思う。

 

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