ちくま学芸文庫

水底という「鏡」に映す自画像

2月刊行の学芸文庫、大岡信著『紀 貫之』の解説です。書き手の堀江敏幸氏は、河出書房新社の「日本文学全集」(全30巻、池澤夏樹=個人編集)で「土佐日記」を新訳されました。力作の解説をご堪能下さい。

 正岡子規が『歌よみに与ふる書』のなかで、「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」と述べたのは明治31(1898)年のことである。臼井吉見、山本健吉両氏の監修になる『日本詩人選』の一冊として1971年に刊行された大岡信の『紀貫之』は、負の方向に大きな影響を及ぼしつづけてきたこの批判を覆し、紀貫之のみならず、和歌および短歌の片隅に追いやられそうになっていた『古今集』の歌人に鮮やかな復権をもたらした一書である。
 ただし大岡信は、義憤に駆られて子規を押しつぶそうとしたわけではない。子規にしても、貫之ひとりを敵と見做していたわけではないからである。『古今集』の収録歌にはどれも機知の表層を滑っていく言葉があるだけで、心の底へ深く下りていかないという大雑把な批判の矛先は、むしろ自身と同時代に生きながら、旧来の歌い方に甘んじている者たちに向けられていた。冒頭に置かれた、意表を突くボクシングの例えにそれは明らかだろう。著者に言わせれば、子規の煽動的な表現は、台頭する若手が落ち目のチャンピオンをリングに呼び立て、さんざん持ち上げておいてから一撃で倒そうとしているようなものなのだ。理に強い子規の言葉を押し返すには、強打で秒殺するよりも、着実なボディブローが有効なことを彼はよく知っていた。どの章においても読者の印象に残る鮮やかなワン・ツーを決めてリードを加算し、最終的に大差の判定となるように話を進めていくのである。感情と結託した歌を掲げて、理智の匂いの過ぎた歌を一律に蹴散らそうとする相手を、おなじく冷静な理路の紐で徐々に締めあげるのだ。敵の仕事に対する深い理解に裏付けされたこの姿勢は、大岡信自身の言葉を借りるなら、いかにも「男歌」的だと言えるだろう。
 第一章「なぜ、貫之か」で、作戦はすでに披露されている。貫之は『万葉集』以後ながらく力を失っていた「やまとうた」を、「からうた」に代わる地位に押しあげるため、漢詩や公的な日記に求められる要素を歌に与えようとつとめた。皇族や貴族からの注文にこたえ、専門歌人として晴れの席で屛風絵に歌をつける。自分の姿を消し、他者に成り代わって詠む。自発的ではない歌でも、けっして手を抜かずに向き合い、現実の風景ではない平面の世界に言葉で奥行きを現出させながら依頼者の心を満たす。短時間でそれをこなすには、機知と学識に加えて、「やまとことば」の新規なコードが必要になる。万葉の世界に色濃い「我」を取り払い、漢詩が持っている季節の型を和歌に移植して花鳥諷詠を自在に操れば、現実の季節よりも暦のうえでの架空の季節、先んじた季節、あるいは逃した季節について、「しばしば抽象的、思弁的、想像的な和歌」を構築することができる。それを、貫之は徹底した。
 大岡信が「男性的な性質」と呼ぶのは、そのような側面を指す。実作者と批評家を、ひとりの歌人のなかでいかに共存させるかが問われている、と言い換えてもいいだろう。古今集』の「仮名序」には、日本の詩歌発想の原型がある。しかも、表向きのやわらかさや平静さとはうらはらに、「実は張りつめた思い」がこめられている。それだけではない。貫之には『土左日記』と題された「虚構」の日記を生む物語作者としての力量と、それを完全に相対化し客観視する批評眼がそなわっていた。これらの事例をひとつひとつ検証していけば、紀貫之という男の姿がおのずと浮かびあがる。「下手な歌よみ」は、上手下手の区別ではなく、「やまとことば」を未来に開く「詩語」として、その可能性と沃野のありかを指し示しうるか否かに腐心した詩人へと姿を変えるだろう。
 もっとも、作戦どおりに論を進めて、あまりに整理しすぎてしまうと、子規の反撃を喰らうことになる。理が立ちすぎても文章は弾まない。といって、理の土台がなければ読み手に媚びることさえできない。大岡信が選んだのは、理の表現の段階を少しずつ上げていくことだった。評釈が批評に、批評が詩語に変容する過程を、貫之の背中を追いながら確認しようとしたのである。『紀貫之』刊行時、大岡信は四十歳だった。詩と批評と翻訳の三分野ですでに相当量の仕事を重ねており、本書がその流れに組み入れられていることは明白なのだが、大きな深化が見られるのも事実で、いわば理に徹しながら理を踏み越える「なにか」がここで生まれ、論じるのではなく表現するための書になっているのだ。
 流れの前に目をやれば、重要な標石がすぐに認識できるだろう。大岡信はすでに「古今集の新しさ―言語の自覚的組織化について」と題する一文を発表しており(「文学」1968年11月号、『たちばなの夢』1972年所収)、『紀貫之』の柱となる部分は、この小論のなかにほぼすべて提示されている。貫之の歌の大半を占めるのが屛風歌であること。場の空気に「合わす」感性とそこに没してしまわない「個」を兼ね備えていること。数年後の『うたげと孤心』(1978年)に直結する見解が簡潔に披露されており、『紀貫之』にはこの文章がまるごと取り込まれている。貫之に成り代わるのではなく、遺された歌の細部に分け入って、『古今集』の歌風そのものであり、そこに貫之が生きる術を見出した「合わす」という方法を実践していくこと。歌が詠まれた空気に、貫之の皮膚感覚に、論者としての自分を「合わす」のである。
 貫之は言葉の裏にあるものとべつのものを重ね合わせ、二重化する術に長けていた。なにかとなにかを合わせる余裕は、文学的な意識が一定の水準を超えて成熟しなければ生まれ出てこない。無数の歌が詠まれ、無数の歌が忘れられていくなか、心に残るものの多くは「対話的な歌」だったとの指摘が、屛風歌や歌合わせの場をふまえてなされるのは当然の流れである。「合わす」という公のふるまいのなかでの対話を試みながら、深く心に根差した個の調べをそこに潜ませるためには、「歌のうたわれた情況を別のものに置きかえる形での二重の解釈を許す」技法が不可欠となる。それがあってはじめて、もうひとりの自分を表出できるからだ。貫之のなかには、『古今集』の代名詞のような、まさしく子規の批判の的の周辺に置かれているような顔とはべつに、もっと情の深い、肉声を秘めた「暗い衝迫」をもつ顔があった。「合わす」とは、晴れの舞台に立って周囲に合わせるこだけを意味するのではない。自分のなかのもうひとりの自分の声に和すこともふくまれているのだ。
 古文献によれば三巻まであったとされている『自撰本貫之集』――藤原行成筆になる貫之集の断簡、十三葉三十二首――の構成を論証する先学(萩谷朴)の説を引きながら、それが現在流布している他撰本とは異なる性質のものだったはずだと大岡信は想像する。子規がつくりあげた像とは重ならない貫之の姿が、その自撰本のなかにあるのではないか。というのも、三十二首のなかには屛風歌の割合が少なく、同一の歌でも、詞書きに大きな差が見られるからである。
 自撰本にあった詞書きが他撰本で変わっているのは、あとから読んだ者たちがそれを物語化したくなるような表現の隙が用意されていることを意味する。こうした傾向が、《歌というものを、一途の求心的抒情から、多面的に情緒を屈折反照させて物にむかおうとする一種遠心的構成の方向へとむかわせたにちがいないと思われる。したがってそれは、「昔、男ありけり」風の背景の中に置くと、かえって生ま生ましい感動をよび起すという逆接的な性質をも帯びることになる》と大岡信は言う。この一節は、和歌を論じるのに使われてきた慎重な学術的言いまわしを「革新」し、貫之同様、表現としての「新味」を探ろうとした試みのあらわれだろう。「遠心的構成」といった造語を置かなければ、貫之の内側にある「求心的構成」を提示できない。「ロマンティックな陶酔よりは、醒めた観察において特色を発揮するところが多かったように思われる」歌人の性格が、「晴れ的なものから褻的なものへ、公的なものから日常的・私的なものへと、詩人のまなざしがいわば心を沈めてゆく」創作の過程を通して見えてくる。「抽象世界を具象化してみせる感覚」をつかめば、両者の隙間に意外な肉声を聴き取ることができるのだ。
 全七章からなる闘いはトピックにこと欠かない。六朝詩の受容の仕方や、のちに『菅原道真』として結晶する「道真と貫之をめぐる間奏的な一章」で展開された、両者の資質の近接と貫之の道真受容――大宰府左遷以後の道真の詩の、抒情詩としての漢詩という「より痛切な抒情の新声」の誕生、さらに貫之の技巧からこぼれる恋歌の味わいなど、それぞれに読み応えがある。しかし、『紀貫之』の魅力は、従来の古典文学評論や評伝の枠からはみ出す要素にこそある。その顕著な例が、『土左日記』に引かれた次の歌に派生する一連の読解だ。

 影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき

 理屈を超える「わびしさ」、『古今集』にはほとんど見られない「われ」の一語による「好ましい直接性、実感性」に加えて、大岡信は「水底に空を見るという貫之の眼のつけどころ」に着目する。『土左日記』では唐の詩人賈島の詩を下敷きにしていることが示されているとはいえ、その原典に貫之がすばやい反応を示したのは、空に水を見る「逆倒的な視野の感覚」がすでにあったからではないか、というのである。歌としての出来映えはべつとして、貫之には、まちがいなく「水に映るもの」への偏愛が認められる。参考までに三首引いただけでも、貫之の好みは一目瞭然である。

  水底に影しうつればもみぢ葉の色も深くやなりまさるらむ

 二つ来ぬ春と思へど影見れば水底にさへ花ぞ散りける

 水底に影さへ深き藤の花花の色にや棹はさすらむ

 大岡信は一目瞭然で済ませたりせず、やや抽象的な言葉に転換しながら、読者をより印象深い解釈に誘う。《月であろうと紅葉であろうと篝火であろうと、あるものを見るのに、それをじかに見るのでなく、いわば水底という「鏡」を媒介としてそれを見るという逆倒的な視野構成に、貫之が強く惹かれていたらしいということである》。
 この部分は、先述した「古今集の新しさ」において、「水がそれを演じ、空は水の下を歩む。水と空は、たがいにたがいの鏡となる。すなわち、たがいにたがいの譬喩となる」(「古今集の新しさ」)と、ほぼおなじ言葉で説明されている。「たがいに映発しあう言葉の発見」が「詩語」を生む。相互に「暗喩」となるような詩的世界の構築。言葉でしか表現できない鏡の重要性。現実がそのまま受け取られるのではなく、いったん「言葉」で抽象化され、結果としてもたらされる「綜合的な後味」(同右)。現実の筆頭にある恋であれば、心身共に結ばれた頂点を歌うのではなく、そこにいたるまでの過程とその後の展開をじっくりと味わう。いまそこにある現実を味わうために、あえてその前後を活かすのだ。『古今集』の特徴は、輪郭のはっきりした像を結ばず、つねに流れて固定化しないことだと大岡は言い、例証として貫之の歌と『新古今集』の定家の歌を併記している。

 さくら花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける  (貫之)

 春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲の空  (定家)

 じつは、「古今集の新しさ」では、定家の歌を先に引き、そのあと貫之を持ってきて、以下のように記されていた。

  定家の歌が、源氏物語によって搔きたてられていたであろう当代のロマネスク趣味の抒情性、耽美性を、艶麗な視覚的形象のうちに、かっちりと、いわば静態的に、豪華に定着しているのに対し、貫之の歌は、「なごり」(名残り、そして余波)という二義性をもつ一語を、まさにかなめの位置において、流動してやまぬひとつの幻視的風景をその上に揺らめかせている。一首を何度読みかえしても、水なき空の波の引きぎわにちらちらとさまよっている、そのイメジでさえ、ともすればふと見えなくなって、あとにはゆらめいている心の昂りの、その余波だけがいつまでも続いているという感じである。

 この部分は、本書では「袖ひぢてむすびし水の」の章に生かされているのだが、複数の箇所に分断、分散されていることに注目せざるをえない。「定家の歌が」から「貫之の歌は」までがべつの箇所に移され、以下につづく箇所にも細やかな微調整がほどこされている。

 「なごり」は「名残り」であると同時に「余波」である。この、もともとは語源を共有し、影像としても互いに惹き合うところをもっている二つの語が、一つに融け合って一首のかなめの位置に置かれる。一首全体は、この微動する一語の周囲にゆらめいていて、何度読みかえしても、かっちりした「像」が眼底に結ばれるという感じはない。風に散り遅れた桜花の幾ひらかが、水なき空の波の引きぎわにちらちらとさまよっている、その影像さえ、ともすればふと見えなくなって、あとにはゆらめいている心の昂ぶりの、その痕跡だけが、名残りの余韻を引いていつまでも棚引いているという感じである。

 生き生きとした抽象性を貫之がどれほど巧みに操ったか。失敗作、駄作も多いなか、それら凡々たる反復の合間を縫って、言葉でしか表現できない現実と向き合うための「詩語」が磨きあげられる過程を大岡信は描き出す。同時に、右の比較からも明らかなとおり、『紀貫之』は、自身がいったん外に出した表現の抽象性をさらに先鋭化させ、よりふくよかな感触を理のまわりにつけていく作業でもあったのだ。書き換えと書き直し、さらに自己引用的な反復は、大岡信自身の言葉の彫琢とその「前後の流れ」においてのみ意味をなす。逆に言えば、ここで披瀝される数々の指摘は、貫之だけでなく、貫之のそうした側面に否応なく引きつけられてしまう書き手自身の性向を鋭く言い当てたものだということになるだろう。あるいはもっと直接的に、大岡信の「詩語」には貫之の影響が見られると言ってもいい。初期詩篇のひとつ、一九六八年の『大岡信詩集』に収録された「水底笛吹」の一節がすぐさま思い出される。

 ひようひようとふえをふかうよ
 くちびるをあをくぬらしてふえをふかうよ
 みなぞこにすわればすなはほろほろくづれ
 ゆきなづむみづにゆれるはきんぎよぐさ

 水を鏡面に見立てているわけではないとしても、「みなぞこ」に居座り、「くちびるをあをくぬらして」いるのは、息と言葉を吐き出す器官に空の青みを托す倒立の構図そのものだ。おなじ詩集に収められた「方舟」にも、ほぼ同種の趣向が見出される。
ひとよ 窓をあけて空を仰ごう

 今宵ぼくらはさかさまになって空を歩こう
 秘められた空 夜の海は鏡のように光るだろう
 まこと水に映る森影は 森よりも美しいゆえ

 逆さまになって空を歩く。「影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき」という貫之の声との親和性は、もはや否定しようがない。貫之と古今的な言語の運びに、エリュアールやブルトンを加えたような感覚である。抽象的なイメージの倒影が、これ以上ない言葉の「うなじ」を浮かび上がらせ、具象そのものとは比べものにならない言葉の流れから鮮烈な官能性が引き出される。右の二篇よりも以前の作品であれば、「春のために」(『記憶と現在』1956年、から)を引くこともできるはずだ。

 おまえの手をぼくの手に
 おまえのつぶてをぼくの空に ああ
 今日の空の底を流れる花びらの影

 空の底という捉え方じたい、もはや貫之そのものではないか。花びらではなく、花びらの影に視線を投げることで逆に花びらの重さを言い、「おまえの手」の、肉体の一部であってそうではない不思議な頼りなさを射貫く。『土左日記』の引用歌で貫之が好きになったと告白しながら、大岡信はそれがいつのことなのかを明示していない。父親が窪田空穂の弟子だったこともあって、周辺には古典文学がつねに存在し、十代の半ばには「青き麦」のような短歌を詠んでいた。しかしそこに万葉の調べは感じられても、「水底」を思わせるイメージははっきりあらわれていない。『うたげと孤心』の序によれば、欧米の詩にのめり込んで原典を味読しつつ、それを日本語の詩作に転移させるにあたって容易に乗り越えがたい困難を感じたことが、あらためて古典文学を読み返し、日本語の言語運用の要を学びなおすきっかけになったという。その時期に『土左日記』に触れていたとすれば、彼は十代の終わりか二十代で「みなぞこ」に出会い、古今的な空の底に流れる時間感覚を得たのではないか。貫之という、歌人にしてすぐれた批評家の鏡におのれの顔を映しながら、言葉を空の底にあげて、幻としての花びらが投影されるまでの「過程」を描いたのが『紀貫之』なのである。
 最後に、本書の末尾で引かれた『後撰和歌集』収録の一首にも、「影」が出てくることを確認しておきたい。

 うち群れていざ我妹子が鏡山越えて紅葉の散らむ影見む

 やまの「鏡」が、紅葉そのものではなく、散る影を映し出す。華やいだエロスもただようこの貫之の歌は、1978年の詩集『春 少女に』に収められた「丘のうなじ」を連想させずにおかない。

 丘のうなじがまるで光つたやうではないか
 灌木の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに 

 恋の相手は生身の女性だ。もしくは言葉だ。「合わす」術は、やわらかい肌にも固い言葉にも用いられる。『紀貫之』という書物全体が、この「合わす」仕事の産物なのであり、そこに置かれた鏡の山に自分自身をぶつけてより高い次元に進もうとする開かれた孤独の事例なのだ。現実の森よりもうつくしい「水に映る森影」が、より確かな現実となる瞬間を、大岡信は紀貫之とともに眺めていたのである。

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