荒内佑

第17回
w-inds.から考える音楽とメディア

今、注目のバンドceroのメンバーとして多くの楽曲で作曲、作詞を手がける荒内佑が、<日常>とそこに流れる音楽の話を綴る大好評の連載が公開中です。 更新は毎月1回、第4水曜日になります。

 
 昨年のことだがテレビの歌番組にw-inds.が出演していた。未だに活躍していることを知らなかったので失礼ながら、おぉ懐かしい~とか思っているとパフォーマンスが始まる。そこで披露された新曲「Time Has Gone」が素晴らしかった。テレビをつけっぱなしにしていて音楽にもっていかれるなんて久しぶりの体験で、今風のビートもの(オルタナR&B~フューチャーベース)といえばそれっきりだけど、とっても良い曲で特にフック(サビ)に出てくるボイスサンプルの「Time has gone~」のピッチがヨレていて、つまりピアノにはない音程で(微分音という。中東の民族音楽に多い。音痴に聞こえる人もいる)、これを採用するw-inds.はマジでクールだなと思った次第。さらにメンバー自身がトラックをつくっているらしい。アイドルとアニソンに支配された日本のチャートに僅かながら光明が射した気がした。


 それはそうと番組内にトークコーナーがあって、たしか「最近気になっている音」というのを各自発表する場面があった。そこでw-inds.の橘慶太さんは「テレビのスピーカーだと低音が削れる、自分らの音楽は下(低域)が大事なんで」(大意)と答えていてテレビの前でぼくは分かる分かる、と頭が取れるくらい首肯した。彼らの場合はテレビの音響だと自分達の音楽が映えない=メディア(媒介物)と音楽の関係に意識的だ、ということだが、テレビに限らず、メディアが音楽創作に影響を及ぼすことは、音楽が記録され始めたときからはじまっている。例えば西洋の楽譜。ここに記録出来るのは大雑把にいって和声とリズムとメロディである。ただし、この記譜法で書けるリズムはモノリズム(単一のリズム)で、何が不得意かというとポリリズム(複数のリズム)である。つまり文化的、宗教的背景が絡みつつも、この楽譜というメディアは、アフリカや中南米の音楽では当たり前に聞かれるポリリズムが西洋音楽ではほぼ発達しなかった要因の一つとも言える。しかし難しい話は抜きにして次へ(ちなみに西洋の譜面においても微分音の表記法はある)。


 メディアと音楽の関係性でいえば、インスタ映えならぬ、スマホ映え、という言い方があるか知らないが現代の音楽家はスマホのスピーカーで自身の楽曲を鳴らした時の「映え」を多かれ少なかれ気にしている。いやいやそんなん気にしたら終わりよ、って人もいるだろうがぼくは少し気にしている。こないだちょっとだけネットドラマの劇伴をやったのだが、多くの視聴者がスマホとPCのスピーカーでドラマを見るのが想定されるのでこれは「映え」ないと正直意味がない。例えば低音楽器を主軸に楽曲を展開してもほぼ聞こえないという事態もあり得るので、曲をつくりながら何度かスピーカーのケーブルをわざわざ抜いてPCのスピーカーで音を鳴らして作曲した。ここでふと自問。劇伴はともかく、オーディオ用スピーカーで音楽を聴く一般リスナーって現在どれくらいいるんだろうか。少なくとも減っているはずだ。あのiPhoneをラジカセみたいなのに差すやつとか、Bluetoothで飛ばすやつって一般的? でもやっぱりユースだったら移動中やベッドの中はイヤフォンで、友達といる時はスマホのスピーカーで、が自分が想像出来る範囲のリアルである。そして、そういったリスニング環境が主流なら、聴かれる音楽も当然変わっていくだろう。もちろんこういった議論は既になされているだろうし、むしろ古くさいのかも知れない。しかし更に興味深いのは、メディアの変化が音楽のもっと内部、和声やリズムすらに影響を及ぼすことである。
 

 デヴィッド・バーンというミュージシャンが行った「いかにして建築が音楽を進化させたか(How architecture helped music evolve)」という講演の動画がある。タイトルの通り、自身のキャリアのスタートであるトーキング・ヘッズが活動を始めたライブハウス(CBGBというパンクの殿堂)から始まり、いかに建築(と環境)が音楽に対して影響を与えるか、様々な年代、地域、建築を巡りながらその関係性が語られる。前述の小規模なライブハウスだったら、「残響がなく」「言葉が聞き取れ」「歌詞が理解しやすく」「リズムが正確に聞こえ」ガヤガヤとうるさい客に対して音楽を聞かせやすい環境だった。つまり「良い音」で彼らの音楽が「よく機能する」場所だった。しかし次第に売れてカーネギーホール等の音がよく反響する大会場で過去の楽曲を演奏すると「それほど良い音にならない」、要は「映え」ないのである。そしてこの講演ではゴシック式の大聖堂や、ワーグナーのオペラハウス、車のオーディオを経てMP3プレイヤーまで話が及ぶ。大聖堂では音が良く響くため、リズムはほとんどなく、長い音価を用いた合唱が映えた。ここでは「建築」を「メディア」と置き換えても良いだろう。つまりメディアが作曲の在り方にまで大きく作用している。


 音楽は純粋に人間の心とか、魂から生まれるものだという主張は素晴らしいが、良いか悪いかは別にして、常にメディアの影響を受けるものだ。西洋の譜面におけるポリリズムのようにメディアが不得手とするものはほとんど発達しない。あるいはメディアとマッチする音楽が普及する。つまりスマホがメインである現代のリスニング環境は音質や音域に限らず作曲の内部まで変化させるかも知れない。というか自分が気付いていないだけでもう変わっているのだろうか。ものすごい蛇足だが橘慶太さんのパートナーである松浦亜弥さんはああいったピッチのヨレをどう感じているのか気になるところである。

 

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