ちくま新書

ハナクソサイズの虫たちへの惜しみなき愛情

虫への愛情があふれ、絶滅危惧種のなかでも、小さくて地味な虫を探しにいくため、日本各地を奔走し、その出会いの様を綴った『絶滅危惧の地味な虫たち』(小松貴著)。 まずは、彼らへの思いを綴ったラブレターとも言える「はじめに」をご覧ください!

 南北に長い日本は、狭い国土ながらも北は亜寒帯、南は亜熱帯まで多様な気候帯を有している。そして、そのそれぞれの環境に生息すべく、遥かなる年月をかけて進化してきた八百万の生物たちが息づいている。昆虫などはその最たるもので、名前がついているものだけでも三万種近く、推定上は一〇万種にのぼるとされている。三節の体(本当はもっと細かく分かれているので、この表現は正しくはない)に二本の触角、六本の脚と四枚の翅を渡されて、色や形の違うものを一〇万パターン作れと言われて成せる人間がいるだろうか。創造主など信じてはいないが、それでもそれらすべてを自然界の作り出した芸術品と呼んだところで、責める者もおるまい。

 しかし、近代における我々人間の経済活動の結果、この国に生息する八百万の生物たちは多くが住みかを追われ、滅びへの道を歩み始めている。いや、すでにいくつかは滅びてしまった。戦後復興から高度経済成長期にかけて、豊かさをひたすら追い求め続けた人々は、その代償としてそれまで身近にあった原風景、さらにそれに寄り添って生きてきた多くの生物たちを闇へと葬り去っていった。特に、人と自然が調和を保ちながら維持され続けてきた「里山」は、宅地開発によって、あるいは農村の過疎化に端を発する土地の荒廃によって、生き物たちの住みにくい場所に変わっていってしまった。なりふり構わず経済活動を突き進めた果てに公害病の発生など、人間の生活基盤そのものを揺るがす状況さえも引き起こす結果となったのは周知の通りだ。

 こうした過去への反省から、国は環境保全や野生生物の保護・保全を重要視する方針を打ち出していく。生物の多様性を保つことが、結果として我々人間自身の生活を豊かにすることへつながる、という考え方(生態系サービス)が浸透してきたためだろう。国としてのその努力は、一九九二年の生物多様性条約締結、一九九三年の生物多様性国家戦略策定などに見て取れる。レッドリストの作成も、この努力の範疇に入るだろう。

 環境庁(現・環境省)は、一九八六年から国内に分布する絶滅が危ぶまれる生物種の現状を把握する調査を行いリスト化(レッドリスト)し、一九九一年に財団法人自然環境研究センターから「日本の絶滅のおそれのある野生生物」(通称『レッドデータブック』)を発行した。これは、絶滅危惧種の保護対策、開発を行う際の環境アセスメントへの活用、一般市民への周知・啓発を目的になされたものである。レッドリスト作成に当たっては、各生物分類群の専門家が複数集まって情報を交換しつつ種の選定を行い、その内容は数年おきに改定されている。昆虫の場合、一九九一年に最初に発行されて以後、二〇〇〇年、二〇〇七年、二〇一二年の三回にわたり改定が行われてきた。改定のたびに掲載種数は増大しており、昆虫に関しては最新の二〇一二年度時点で八六八種にものぼる(ただし分類体系の変更により、これまで一種と思われていたものが複数種に分けられる等の場合もあり、掲載種が増えたことが単純に絶滅危惧種の増加とは言えない面がある)。近年では、国のレッドリストに習い各都道府県レベルでもレッドリストが作成されるようになっている。そうしたレッドリストの情報に基づいて、国や自治体が多くの希少生物の保護活動を進めており、非常に喜ばしいことに思う。

 しかし一方で、こうした希少生物の保護活動には、数々の問題も指摘されている。その一つが、外見が優美で体の大きな生物ばかりが優先的に保護されていることだ。昆虫で言えば、各地自治体などで「大切に守りましょう」といっておんぶに抱っこで保全・保護活動がなされがちなものは、綺麗なチョウやトンボ、ホタルや大型の甲虫などばかり。現在環境省のレッドリストに掲載されている昆虫八六八種のうち、チョウとトンボと大型甲虫(カブトムシ・クワガタムシなど)を合わせた数は、せいぜい一六〇―一七〇種ほどにしかならないのにだ。

 残りの七〇〇種近くは一体何かと言えば、見るからにどうでもいいような風貌のハエやカ、ハチにアリ、カメムシ、ハナクソサイズの甲虫といった、小さくてとにかく地味な虫によって占められている。これら地味な虫の中には、下手なチョウやトンボに比べれば遥かに絶滅の危険性が切迫した種も少なくない。現在、まだ存在しているかどうかも定かではないほどにまで減ってしまったものもざらにいる。だが、そうした虫が注目され、適切に保護されるような展開はあまり期待できない。

 大きくて目立つ象徴的な希少種を保護・保全することが、一般の人々に対して希少動物に関心を持ってもらうきっかけとなる側面というのは、確かにある。そうした象徴的な希少種の保護活動を入り口として、それまで生き物に興味関心のなかった一般市民が身近な環境の保全に加担していくことが期待されるからだ。

 また、「アンブレラ種」という考え方もある。クマや猛禽など、大型でなおかつ生態系の上位にいる生物が生きていくには、それらの餌となるたくさんの動植物が生息していることが大事だ。つまり、ひとまず大きくて目立つ希少種が不自由なく生息できる環境づくりを目指せば、結果としてそこに住むその他の目立たない多くの希少種も保護される、ということである。しかし、こうしたやり方や考え方も、度が過ぎれば危険だ。ある特定種の生物のために人間があつらえた環境が、必ずしも他の生物にとっても最適な環境とは限らないからだ。

 今から二〇年ほど前、私が足しげく通っていた関東のとある緑地公園では、長らく園内の樹木が伐採されず鬱蒼としていた。林の中はいつも湿っており、都市近郊にもかかわらず多彩なキノコや粘菌がはびこり、それを餌とするカラフルな甲虫の類も多かった。しかしその後、公園の管理方針が変わり、「多くの綺麗なチョウや鳥が暮らしやすいよう、樹木を間伐しましょう」ということで、園内の林の枝打ちが始まった。そこまではよかったが、園内すべての樹木を徹底的に枝打ちしたせいで、林内は全体が明るくなりすぎて地表が乾燥しきってしまった。

 間伐後、確かにチョウや鳥は林内で多く見かけるようにはなった。しかしその代償に、かつて梅雨時に林床からあれだけ多く顔を出していたヒトヨタケも粘菌も、二度と見かけなくなった。こういう「大の虫を生かして小の虫を殺す」ような事例は、各地で起きているはずだ。個々の種には、それぞれ最適な生息条件があって当然なのに、今の日本にはそんな個々の種の生き死にまで考える余裕がなくなってしまったのだろう。

 もちろん、レッドリストに載せられたからといって、ハナクソサイズの虫全種までトキやコウノトリ同様に国を挙げて保護しろなどとは思わないし、そもそも現実的ではない。しかしそれでも、リストの上では同等に並べられているはずの絶滅危惧種の中で、たかが人間ごときの色眼鏡で「人間にとって」綺麗なもの、「人間にとって」心地よいものだけが選び出され、それらばかり大事にして「自然保護」などと謳う世間の様を、私は幼い頃から解せなかったし気に入らなかったし、見ていて胃袋が逆さまになりそうな思いだった。

 私にはかねてから夢があって、環境省レッドデータブックに載せられた虫のうち、綺麗でも大きくもない、見るからにどうでもいい風貌の種だけの「生きている姿」の写真を極力全種載せた、一般向けの図鑑のようなものを作れないものかと思案していた。というのも、現在環境省が出している昆虫版(その他の無脊椎動物版も)レッドデータブックの作りが、あまりにも内輪向けに過ぎるさまを呈しているからだ。

 レッドデータブック刊行目的の一つとして、一般市民への普及・啓発というのが威風堂々と掲げられている。ところが、いざ紐解いてみれば、内容はどうだ。本の大半は文字ばかりで、実物の生き物の写真が載っているページが冒頭の二、三ページしかない。しかも、そこに載っているものの大半は、チョウやトンボや大型甲虫。今日び、その辺の本屋や図書館で図鑑を見れば載っているような虫ばかり。

 一方で、その筋の専門家しか存在を知らないような虫の解説「だけ」はたくさん載っているが、それらの実物写真はろくすっぽ載せていないのだ。ヨナクニウォレスブユだのヒメケヅメカだのカダメクラチビゴミムシだの、インターネットで画像検索したって一件も画像が出てこない。そういうものこそ、優先的に(個体の生死は問わず)現物写真を載せることが、本来のレッドデータブックのあるべき姿ではないのだろうか。恐らく、日本国民の九割方はヒメケヅメカがどんな生き物で、どれほど危機的な状況にあるかなど知るはずもない。正体も分からない亡霊を「希少です、守りましょう」と言われて、はい、そうしましょうと納得する人間が、この国にどれだけいるだろうか。

 私はこれまで、自分の研究対象であるアリの巣に住む共生生物を調査するため(あるいは、単なる個人的な趣味で)、日本各地の様々な場所へ赴いてきた。その道すがら、様々な種の「絶滅危惧の地味な虫」を観察・発見する機会に恵まれた。本書では、そんな絶滅危惧の虫の中でも殊更に世間で話題にのぼらない種を取り上げ、彼らの置かれている現状、そして何より彼らへの惜しみない「愛」を語りたいと思う。
 

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