上田麻由子

第17回・まぼろしの王子様

ミュージカル『少女革命ウテナ ~白き薔薇のつぼみ~』

 映画館を改装した、242席のちいさな劇場に足を踏み入れると、廃墟になった遊園地を思わせる、物悲しいアコーディオンのメロディが薄くかかっている。舞台に目をやると、原作アニメでおなじみの四方に薔薇を冠した、あのアール・ヌーヴォー的な黒いフレームが後景に配され、その内には赤い幕が引かれている。どこか見世物小屋のような、箱庭のような雰囲気のなか、BGMが次第に大きくなり、そこに鐘の音が重なる。準備は万端、悲しみに暮れるお姫様と、王子様との出会いの物語のはじまり、はじまり――。

2・5次元へのアップデート

 1997年に放送された『少女革命ウテナ』ほど、演劇と近しいアニメはない。その世界観の大きな部分を担うJ・A・シーザーの音楽、抽象的な、しかし意味ありげなモチーフが劇中に頻出することをはじめ、寺山修司からの影響はたびたび指摘されている。しかし、だからこそ舞台化には慎重になっていたと幾原邦彦監督はパンフレットで語っている。すでに完成されている作品を、異なるメディアに移し替えることは「閉じた」行為にしかなりえないのではないか――しかし、いざ幕を開けたこのミュージカル『少女革命ウテナ ~白き薔薇のつぼみ~』は、くしくも監督みずから「2・5次元化」という言葉を使っているとおり、ただの「舞台化」、つまりメディア間の移動を超えた「2・5次元」の舞台になることに成功している。

「むかしむかしのお話です……」と語りだされる物語は、舞台の真ん中に横たわる、ピンクのロングヘアに、上半身は学ランのようなジャケット、ボトムスは赤いショートパンツを着て、すらりと伸びる足を投げ出した天上ウテナが、文字どおり目覚めるところから始まる。両親を亡くし、悲しみに暮れる幼いお姫様の前に現れた、優しく微笑む王子様。「たった一人で深い悲しみに耐える小さな君。その強さ、気高さをどうか大人になっても失わないで」。そんな凛々しい王子様に憧れるあまり、彼女・天上ウテナは「僕は守られるお姫様より、カッチョイイ王子様になりたいんだ」と、王子様から送られたエンゲージリングのような「薔薇の刻印」に導かれ、鳳学園で「薔薇の花嫁」姫宮アンシーをめぐる決闘に身を投じることになる。

 お姫様と王子様との出会いは誰もが憧れるおとぎ話のようでもあるし、男子の制服を身にまとい、気高さと強さを胸に颯爽と生きるこの物語のヒロイン・ウテナが生まれるきっかけになった出来事そのものでもある。アニメ第1話アバンタイトルで、紙芝居風の演出で描かれたこのエピソードは、この舞台版でも印象的なシークエンスとして冒頭に配され、その後も幾度となく繰り返されるライトモチーフとなる。このシーンの演出だけを見ても、王子様の薔薇の香りに包まれたウテナが聴く鐘の音、アニメで決闘の終結を告げていたあの音が、ここではまるで結婚式のそれのように響いたり(考えてみれば決闘の終わりは、薔薇の花嫁とのエンゲージを意味する)、王子様の台詞を歌いながら登場するのが、ヴェネチアンマスクで顔を隠した3人の男性(冬芽、莢一、幹)だったりと、原作を踏襲しつつも、あらかじめ原作を知っているからこそニヤリとする、原作を知らなければ興味を惹かれる工夫(王子様は誰?)が、ひそやかに、また優雅に仕込まれている。

女の子の季節

 あらためて、なにをもって2・5次元舞台はそれ自体の強度を持ちうるか考えてみると、諸説あるとは思うが、ひとまずここでは(主にキャラクターの)再現、エンターテインメント性、批評の3つの要素に注目したい。まず、再現において多くを負っているのは、舞台で活躍する若手俳優たちであり、顔の美しさだけでなくスタイルの美しさにおいても、2次元キャラクターのシルエットを再現してくれている。

 たとえば『少女革命ウテナ』はアニメ放送中の1997年にオール・フィーメールで舞台化されているのだが、演技力と歌唱力あるキャストを選ぶため、年齢層が高めであったり、また元宝塚歌劇団星組男役の大輝ゆう(当時33歳)演じる主人公のウテナは地毛の黒髪にピンクのメッシュを入れたりと、『ベルサイユのばら』のような大河ものの少女漫画にたとえられた華麗で耽美な世界観を生身の人間が演じる際の試行錯誤がみてとれる(余談だが、この1997年版の台本・演出は三ツ矢雄二、制作にネルケプランニングの松田誠がクレジットされている。このことからも『ウテナ』が2・5次元を語る上で欠かせない作品であることがわかる)。

 そういう意味では通常、男性俳優にばかり注目が集まる2・5次元舞台のなかで、本作は少女のための物語らしく、女性キャスト陣の再現度の高さが目を惹いた。決闘が始まり、赤いドレス姿であらわれた姫宮アンシー(山内優花)の凛とした、それでいてふとしたきっかけでくずおれてしまいそうな儚さ。美しさと強さを兼ね備えた有栖川樹璃(立道梨緒奈)は、「現代の要素を混ぜ込」んだ「きれいなおねえさん」的ヘアスタイルもあいまって、「女」として生きることに葛藤するキャラクターによりいっそうの説得力をもたせる。黒目がちな瞳と漫画チックな動き、そのコメディエンヌっぷりで、観客をみごと虜にした七実「様」(鈴木亜里紗)。元気いっぱい物語に活力を吹き込み、ひたむきなウテナ(能條愛未)の魅力を誰よりも盛り上げてくれた若葉(竹内夢)の存在も見逃せない。

めくるめく、たたみかける 

 そしてエンターテインメント性は、この作品ではもう一つの重要な要素である批評と直結している。それは演出のレベルでおこなわれる、原作を解体・再構成する際にふるわれた手腕ゆえのことである。まずは、原作の第1話から13話の「生徒会編」をわずか2時間という上演時間にまとめるため用いられている、2・5次元作品を数多く手がける演出家・吉谷光太郎おなじみの手法をいくつか確認しておこう。

 物語を進行させるためにキャラクターを置き去りにせず、印象的な台詞や他の人物との関係性を通して手短にその魅力を紹介すること。影絵少女や「絶対運命黙示録」のような、原作に欠かせない要素はきちんと織り込むこと(上映前のマナー喚起も影絵少女によって行われたのはニクイ)。アンサンブルは今回、男性2人、女性2人の最低限の人数に抑えつつも、生徒会メンバーやウテナ、アンシーが学園のなかで際立った存在であることを、歌やダンスであますことなく表現すること(4人がまとうモノクロバージョンの鳳学園制服は、幾原作品でよく見かけるピクトグラム的なモブキャラクターの演劇的表現である)。いっぽう、『金色のコルダ』や『幕末Rock』、『スタミュ』など、音楽ものを数多く手がける吉谷がしばしば用いる、歌と物語を同時進行させ、曲中で音量を下げてBGM化し長めの台詞やシーンを挿入する手法は本作ではなりを潜め、むしろ原作ファンが一番期待しているであろう「絶対運命黙示録」は惜しみなく轟かせ、キャラクターの心情を歌ういくつものオリジナル楽曲も丁寧に響かせていた。

 エンターテインメント性という言葉は幅広い事象を意味するものの、2・5次元舞台におけるそれは、なによりも演劇を見慣れていない観客をも飽きさせないこと、見やすさを指す。前述の音楽の使い方もそうだが、吉谷の演出はアニメを観たり漫画を読んだりしているときのようなテンポの良さが持ち味だ。演劇という、一度「始まったら止められない時間」のなかで、「絵を変えていくプロセスをどこまで楽しめるか」にその面白さがあるという吉谷の作品では、刻一刻と変化していくアニメーションの、その線ひとつ、動きひとつに秘密が込められているのと同様に、舞台のうえでもどの瞬間も無駄にしない。それによって生まれる密度とテンポ感、たたみかけるようなめくるめく演出は、アニメや漫画から生まれた2・5次元舞台ならではのものだ。

いつか御許に 舞い降りる

 テンポの良さと濃縮した感じを演出するために用いられるもう一つの手法が、2つ(以上)のプロットを同時進行させることである。たとえば、「薔薇の花嫁」アンシーをめぐる第2の決闘である幹との戦いのなかで、樹璃が戦う理由が提示され、そのままシームレスに第3の、樹璃との決闘に繋がっていく。これによって、剣を持ったウテナが「これはあの人と僕のたったひとつの絆、失うわけにはいかない」と歌ったとき(「決闘〜かなわぬ恋」)、その歌詞が、ウテナの王子様への想いだけでなく、幹から梢へ、また樹璃から枝織への想いをも指しているように響き、3人それぞれの戦う理由が重ねあわされる。

 このように、合計25曲(リプライズ含む)という2時間の演目にしてはふんだんに楽曲が用いられ、また(従来の吉谷作品と比べると)より歌をしっかり聴かせる演出がなされていたことには、きちんと理由がある。歌によって、一見バラバラに見えるキャラクターたちの心情が繋ぎあわされるのである(このような瞬間は他にもたびたび訪れる)。このような想いの架け橋となる歌は、孤独に見えるキャラクターの心のなかに同情の、あるいは友情の生まれる余地があることを示していて、この生徒会編のテーマと直結する。

 そのいっぽうで、アニメのオープニング曲「輪舞 -revolution」をアップデートさせたような、耳に残るオープニング曲「漆黒の闇、薔薇の園」では、アンシーのソロパートが始まるとともに、他のキャラクターたちがまるで生気を吸い取られた植物のようにしおれ、地面にひれ伏す。あるいは決闘を前に鳳学園の生徒全員で歌われる「絶対運命黙示録」では、生徒たちが絵のように美しい決めポーズをつくりつつ、次の瞬間では糸の切れた人形のように倒れる。その不穏さは、彼女たちを影で翻弄する「神のリズム」たる暁生という存在を暗示しているようで、本作が原作の生徒会編13話をきっちりフォローしつつ、その先へと射程を伸ばしていることがわかる。

友情の、その先に

 なにより、ここで歌によって繋がれているのは、苦しみのなかでも手を伸ばす少女たちの想いであり、その連帯がときに原作が39話と劇場版をかけて描いたテーマを一部先取りしているところに、この作品の批評性がある。たとえばウテナと西園寺莢一との決闘シーン。「だがきみは女の子だ。おとなしく僕の剣に屈するしかないさ」と、ウテナに挑みかかってくる莢一の後ろで、幼いあの日に聞いた、王子様の台詞が歌われる。「たった一人で深い悲しみに耐える小さな君」――そのとき舞台中央でスポットライトが当たるのは、莢一に宛てたラブレターを掲示板に貼りだされ、笑い者にされた若葉である(苦しそうな表情)。続く「その強さ、気高さをどうか大人になっても失わないで」では、若葉と背中合わせに立っていたアンシーが正面にきて、光の中に入る(表情はわからない)。こうして3人の少女たちの想いが重ね合わされたとき、ウテナの剣は莢一の薔薇を散らすのだ。

 原作である『少女革命ウテナ』に欠かせないコミカルなシーン、笑いもまた、この舞台は忘れない。それは「おはよっこい」なるあいさつを日々広めつつある横井翔二郎による日替わりの「西園寺劇場」や、七実がピンクのハタキを時に女王様のムチに、時にロックなギターにして熱唱する「私は七実様」の盛り上がりをみればあきらかだ。その「私は七実様」の直前、王子様ぶってウテナを誘惑しようとする冬芽に重ねて、王子様の台詞「この指輪がきみを僕のところへ導くだろう……」を代弁するアンサンブル男子の頭を七実がはたき「あんた、ポエムなんて言ってないで掃除の時間よ!」とほうきを差し出したうえで、自分のソロ曲のバックダンサーにしてしまうあたりは痛快というしかなく、王子様という幻想にとらわれる女の子たちのなかで、誰よりも冬芽という「王子様」への愛を公言している彼女が無自覚のうちに頭一つ抜けた立ち位置を与えられていることは、コミカルでもあるし、なんだか心強くもある。

 物語は決闘で手に入れる「薔薇の花嫁」ではなく、ひとりの友達として、ウテナがアンシーを取り戻すところで終わる。「言っただろう、きみは僕が守るって」とアンシーに手を差し出し、ひざまずくウテナの姿はまごうことなく王子様のそれである。ウテナの手を決意の表情でとるアンシーに、オープニング曲「漆黒の闇、薔薇の園」のイントロがかぶさり、その歌詞は「二度と離さない…」から「二度と離れない…」に変わっている。そして2人は後景にある薔薇のフレームのなかにおさまり、幕が降ろされる。あまりに完璧で、忘れがたいエンディングだ(舞台上には散らされた薔薇の花びらと、突き刺された剣だけが残る)。アニメ放送から21年、そのころ生まれた世代のキャストによって、『少女革命ウテナ』が2・5次元という大地にかように美しく、可憐に息を吹き返したことを祝いたい。
 

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