からだは気づいている

第3回 人は気づく間もなくブレーキを踏んでいる

人間行動学者の細馬宏通さんが、徹底した観察で、さまざまな日常の行動の謎を明らかにする連載の第3回です。 人は、実は気づく前にすでに動いている?! ぜひお読みください。

意味のないことばは早い
 
実は、リベットと似た主張は、会話研究でも行われている。心理言語学者のウィレム・レヴェルトは、簡単な絵を見せてそこに描かれているものの名前を発声してもらう実験を行っている。すると、参加者は絵を見てから答えるまでに最低でも600ミリ秒かかったのである。つまり、わたしたちがいきなり何かを見て、それをことばで答えようとしたら、「だるまさんが」くらいの時間はかかってしまうということになる。ちなみに、ひとまとまりの文で答える場合はさらに長い時間(約1.2秒=1200ミリ秒)かかることがわかってる。
 レヴェルトの実験を見て、なるほどことばを声に出すというのはずいぶん時間がかかるものだと思った方がいるかもしれない。しかし、ここでもう一つおさえておくべきことがある。それは、対象とは無関係な、意味のないことばなら600ミリ秒よりもずっと早いタイミングで発することができる、ということだ。
 たとえば画面にランダムなタイミングで画像を表示し、画像が見えたらなるべく早く「あ」と声を出す、という実験をしてみよう。画像がなんであれ、発声はただの「あ」でかまわない。では「あ」を言うのにどれくらいの速さが必要だろう? わたしが自分で試してからあとでビデオを分析してみたところ、およそ250ミリ秒前後で反応できることがわかった。個人差があるかもしれないから、ちょっと多めに見積もって300ミリ秒、ということにしておこう。それでも、意味のない声を発するだけなら、わたしたちは名前の半分の所要時間で声を出せるということになる。相手が予期せぬタイミングで動作を行ったとき、それに対して間投詞や掛け声のような、とくに対象と結びついていない声を発したり、その抑揚を変化させるだけなら、おそらくこの結果と同じく、約300ミリ秒程度でわたしたちは反応できるだろう。

声に反応する動作も早い
 
そして声の変化に対して動作を行うときのわたしたちはもっと鋭敏だ。今度はランダムに声の高さが変化する録音を用意し、高さが変わったら指を動かすという実験をしてみよう。これもわたしが試して分析してみたところ、およそ150ミリ秒ほどで変化に反応できることがわかった。ちょうどリベットの言う「通行人を見てブレーキを踏む」までの時間と同じだ。相手が「あ」と言ったり掛け声を変化させたりした場合も、わたしたちは150ミリ秒後には動作で反応できることになる。
 つまり、対象と結びついていない(意味のない)声ならば、わたしたちはものの名前を呼ぶときに比べて、ずっとすばやく反応できる。また、誰かの声の変化に対して何らかの動作をする場合は、さらに早く反応できる。その一方で、リベットの主張に従うなら、自分のやっていることに気づくには、少なくとも刺激が始まってから500ミリ秒ほどかかる。したがって、掛け声や間投詞、叫びのような声、そしてそれに呼応する動作は、わたしたちの気づきよりも早く起こるということになる。
 ここまでにわかった範囲で、できごと、声、気づき、動作の時間的な順序関係をまとめておこう(図)。

 

 できごと(0秒)<すばやい動作(150ミリ秒後)<意味のない声を発する(300ミリ秒後)<意識的な気づき(500ミリ秒後)<名指す(600ミリ秒後)<文で説明する(1200ミリ秒後)。
 これらの知見は、マイクロインタラクションにとって重要な意味を持っている。まず、わたしたちは、前もっていつ何をするか自分で決めていなくとも、気づきより早く動作を行ってしまう。そして動作や意味のないことばを発する場合、150~300ミリ秒くらいのすばやいやりとりを行うことができる。一方、それぞれの動作や発声に気づいたり、そのことをことばで表現するにはずっと時間がかかる。2人の人間がコンマ秒単位で次々に細かい動作や声の変化をやりとりしていくと、その一つ一つに気づき、そのひとつひとつをいちいちことばで意味づけていくのはとんでもなく難しいということになる。
 このことは経験と照らしても納得がいく。わたしたちは誰かと机を運んだことを思い出すとき、「力を合わせて」「せーの、で」「目を合わせて」といった風にことばで思い出すことはできるものの、では、どんな風に力を合わせたか、「せーの」のどこでどうやってタイミングを合わせたか、「目を合わせる」とはどちらがどんな風にか、などと細かいことを思い出せるわけではない。机運びで見てきたように、そもそもやりとりの最中には、思い出したりことばにする間もなく、どんどんお互いの動作や声が連鎖していく。にもかかわらず、これら気づきからもことばからも見過ごされていることが、タイミングを合わせて動作を行うためには決定的な役割を果たしているのである。

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