ちくまプリマー新書

こんな先生に教わりたかった

PR誌「ちくま」2018年4月号より、漫画家の田房永子さんによる、大塚ひかり『源氏物語の教え』(プリマー新書)書評を転載します。

 中学高校と六年間、東京にある女子校に通っていた。古典の授業はあったけど、紫式部がシングルマザーで宮廷に職を得たものの、悔しい思いをしながらがんばっていたことを、今回初めて知った。『源氏物語』がどういった話なのかということすらよく知らなかった。
 古典の先生は凶暴で恐ろしいおばちゃんで、寝ている生徒の頭を教科書の背表紙の角で力強く突いたり、古典の訳が書いてあるテキストを買って持っていたりすると激昂し脅迫的なことをヒステリックに叫ぶ。そうやって生徒をガチガチに緊張状態にさせておいて歴史の背景や無駄話をせずただ淡々と授業をするので、古典が面白いと思ったことがなかった。
 そして、学校に行く時と帰る時、電車でも本屋でも道ばたでもとにかく痴漢に遭った。無断で体に触ってくるのもあれば、駅からあとをつけてきて「送りますよ」と自分では〝紳士的〟を疑っていない雰囲気で声をかけてくる男もいた。みんな単独で、二〇代~四〇代くらい、おじいちゃんみたいなのもいる。私だけではなく、ほとんどの生徒が痴漢被害に遭っていた。朝はクラスの誰かしらが「また痴漢に遭った!」と憤慨していたり、教室の片隅で震えるクラスメートをなぐさめたりする。
『源氏物語の教え』を読んでいて、この日本の成人男性たちの少女に対する意識って、昔も今も大差ないんじゃないかと思った。幼い体に欲情してるのは自分のほうなのに、少女の妖艶さを勝手に「大人」と見て、都合よく解釈し実行する。女の子は、そういった視線の中にいるというのを前提に生活や人生を送らなければならない。
 その両者の背後には、自分もかつてそんな時期を送ってきたはずなのに、大人になったらケロっと忘れ、「たいしたことないのよ。犬にかまれたと思いなさい」と同性の後輩たちにアドバイスする大人の女たちがいる。
 中高時代、比較的話のわかる女の先生に「どうして私たちはこんなに痴漢に遭わなければいけないんだ」と聞くと、「にらみつけて仕返ししてやればいいのよ」と返された。にらみつけるなんてしたって、仕返しにもなってないし痴漢は反省なんか絶対にしないだろう。むしろ、合意のない性行為に傷ついて布団から起きてこない女君を、「ますます可愛らしい」(〝いとどらうたげ〟)とか余裕ぶっこいて言ってる源氏状態になるだけだと思う。それくらい、大人の男は意味不明なほどの余裕がある。痴漢をしてくるのは人間の男なのに、大人の女たちが「あったかい季節になったら出てくる害虫」みたいな扱いをする。それを少女達に教えることによって、男の余裕はさらに増強される。
 そこが同じなので、紫式部先生の言ってることは二〇一八年の今も完全に通用する。
 紫式部先生は、女の子たちに「嫌なものは嫌と言っていい」ということを伝えたくて、源氏の面目を丸つぶれにしても、女君たちがセクハラに傷つき嫌悪する描写を書き記したとある。そして、紫式部先生の、幸せになるためのメソッドがいい。それは身分の高い男に見初められる仕草とかじゃない。周りに振り回されず、自分の気持ちに従って生きること。自分が嫌だと思ったら、「したほうが穏便に済む」ことでも、敢えてしない。
 結果的にそういった言動は、周りを幸せにするので尊敬され、男にも愛される、という教えである。本当にその通りですよね、紫式部先生。
 ああ、いいなあ。中学生、高校生の頃に、学校でこんな先生に生きる術を習っていたら、人生変わってたんじゃないかと思う。紫式部先生の教えを女たちみんなで共有すれば、男たちの、都合よく解釈する余裕ぶっこき性質も緩和され、社会がいい感じになる、そんな希望を感じた。紫式部先生、ありがとう!

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