ちくま新書

哲学的思考のレッスン

この世界の当たり前のありようを疑い、問うてみること――それこそが哲学の入り口であり核心でもあります。ロック、バークリ、ヒューム、ラッセル、ウィトゲンシュタイン……「経験」や「言語」を足場に考え抜いた彼らの議論を糸口に、本物の哲学的思考へといざなう『英米哲学入門』。その「はじめに」を公開しますので、ご覧ください。

「私は誰なんだ、なんでここにいるんだ」。あるとき突然、こうした問いが浮かんできた。にゅっと、現れてきた。ゾッとする感覚だった。

 たいていの場合、不思議だなあ、という感覚は、実に愉快だし、有益でもある。そして私たちの健康にもよい。私が言ってるのは、何か怪訝に思うとか、何かよくないことが起こってるかもしれず不安だという意味での不思議感ではない。ちょっと変わった出来事や現象に関して、どうして、なぜ、こんなことが起こってるんだろうという、もののありよう、ものの仕組み、に対する純な問いを促す不思議感である。

 たとえば、きれいな虹を見るたび、不思議だなあと思う。オーロラをみたら、もっとそう思うだろう。そして、なにかに注目し、不思議だなあと思うことは、感動と紙一重の、ほかのことを忘却した状態であり、愉快な体験であるにちがいない。愉快さとは、心地よさに意識が満たされ、ほかのことが一瞬でも消え去ることだからである。

 そして、こうした不思議感こそが、人間の学問を、科学をはぐくんできた。現在の私たちが、そうした学問の恩恵を受けて、いろいろと問題はあるにせよ、過去に比して総じて安定した豊かな生活を送っていることは否定できないだろう。なにしろ、飛行機で世界中を素早く移動することができ、暑さ寒さにも電力などでたやすく対応できるのである。先進国に限らない。いまや、自動車は世界中に普及し、電気の普及度も高い。すべては、不思議だなあという最初の感覚が源となった恩恵である。

 そしてもう一つ。不思議だなあという感覚に引きつけられて、それを解き明かしてみようという営みに私たちがはまるとき、私たちは熱中という幸福を手にすることができる。なにかに熱中し、我を忘れるとき、私たちは紛う方なき幸福のただ中にいる。こうしたことが精神の健康にどれほどよいか、想像するのは難しくないのではないか。

 けれども、何の変哲もない当たり前のことに対して、不思議だなあ、と感じることは日常的にはそうはない。太陽が毎朝昇ること、家の床が突然抜けないこと、ドアを開けたらドアのきしむ音がすること、昨日があったこと、自分がいま特定の「誰か」としてここにいること。こうした、いわば毎日の基盤となっていることに対しては、たいていは疑問を抱くことなく素通りしてしまう。

 けれども、もちろん、それらは正真正銘、徹頭徹尾、不思議なことなのである。ゾッとするほどの謎なのである。なぜ昨日があると言えるのか。なんの証拠も提出できないではないか。昨日は過ぎ去ってどこにもないのだから。写真は、記憶は、記録は。それらがあるじゃないか、と思うかもしれない。でも、それらもすべて「いま」ここにあるものにすぎないではないか。

 なんのことだ、と多くの人は思うだろう。でも、こういう不思議感を、本当に不思議なことだな、と受けとめる人たちもいる。そういう不思議感に突然とらわれてしまう人もいる。そして、こういうことを論じる学問もあるのである。「哲学」だ。その門は、誰に対しても開かれている。入りたい人はどうぞ、というわけだ。そして、もしかしたら、日常的に感じる不思議感と同じように、あるいはそれ以上に、そこにのめり込むことは健康にいいかもしれない。あるいは逆に、日常の不思議感を飛び超えてしまう異常な、ゾッとするような不思議感なので、健康には決してよくないかもしれない。それは、入ってみないと分からない。一か八か入ってみるのも、リスクを取る人生みたいで、楽しいかもしれない。

 本書は、まさしくそうした哲学への入門をいざなう本である。ただし、『英米哲学入門』と銘打っているが、決して「英米哲学」についての入門書ではない。「英米哲学」それ自体の紹介的な入門については、同じ筑摩書房から出ている私が書いた文庫本『英米哲学史講義』をぜひ参照してほしい。本書は、それと名前は似ているけれども、まったく違って、英米哲学をおもな素材とした「哲学入門」である。したがって、より正確には、英米『哲学入門』、なのである。その際、全体を貫くテーマとして、「である」と「べき」の連関という問題を置いた。副題が「「である」と「べき」の交差する世界」となっている所以である。

「である」と「べき」の問題とは、こういうことである。本書の第3章でも触れるが、たとえば、毎日級友に殴られている少年がいたとしよう。このとき、「あの少年は毎日殴られているの「である」」というのは事実だ。けれども、だからといって、「あの少年は毎日殴られる「べき」だ」という規則や規範は成立すると言えるだろうか。言いにくいだろう。このような見方を少し専門的に言い換えると、それは、事実命題(「……である」)から規範命題(「……べき」)を導き出すことはできない、というように表現される考え方である。哲学や倫理学の入門書を読んだ人は、目にしたことがあるかもしれない。

 でも、この考え方は本当に正しいだろうか。たとえば、国家の領土を例にとるとどうだろう。「この地域をA国がずっと占有してきたの「である」」という事実から、「この地域はA国が所有す「べき」だ」、よって「他国が侵犯す「べき」でない」、という規則や規範が導けるだろうか。これも導けないと言えるかというと、そこは微妙なのではなかろうか。というよりも、そのように導けてしまうように思えるのではなかろうか。

 私たちは、こうした「である」の領域と、「べき」の領域とが、つかず離れず交差する世界に毎日すまっている。よって、その交差のありさまを解明してみよう。これが、本書を貫くモチーフなのである。

 いずれにせよ、本書は、私が、哲学の基本的な問題について、初心に立ち返ったつもりで、できるだけ丁寧に段階を追って思考していくさまを記すことで、読者に哲学的思考の追体験をしてほしい、ということで著した書物である。

 一点、ただし書きをしておかなければならない。本書の著者は私だが、語り手は私ではない。私の心に幼いときから巣くっている別な人格、私と思考や記憶をすべて共有している薄気味悪い人物、「シッテルン博士」である。そのシッテルン博士が、「デアール君」と「ベッキーさん」という、二人の学生に向かって語りかける。そして、二人の学生が質問などする。二人の学生は、私が大学での長い教育経験をもとに描き出した、できる学生の平均像である。これが本書の形態である。そういう枠組みの中で、シッテルン博士が、いわば一筆書きのように、一気に哲学の問題について語り上げていく。その思考の流れに身を委ねていけば、必ずや「哲学」の門に入りきたるはずである。では、入った後どうなってしまうのか。まあ、それは、自己責任でお願いしたい。

 第1章「世界のすがた」では、おもに「である」で表現される事実の領域を論じる。そこで論じられる基本的な問題は、私の外部に世界はあるのだろうか、という問いである。バークリ流の「観念論」について詳しく解説し、ラッセルの「センシビリア」論や「知覚の因果説」などを批判的に概観した上で、観念論のスピリットの広がりを示す題材として、量子論での観測問題や、宇宙論での人間原理を検討する。

 第2章「世界のきまり」では、おもに「べき」で表される規範や規則の領域を論じる。ここでいう規範は、「必ず」という言葉にも翻訳できるので、この章では「必然性」が大きな主題となる。なかでも、「因果的必然性」という考え方を検討対象として、因果的必然性を論じたヒューム因果論を批判的視点から徹底的に解剖した上で、デイヴィッド・ルイス以来の「因果の反事実的条件分析」を展望する。

 第3章「世界にすまう」では、「である」と「べき」の交差の中にすまう私たちのありようを論じる。私たちの因果的な理解の根底に「不在性」が染みこんでいることを暴き、そこから発生する原因特定化の困難に対して、予防可能度や規範性度などの「程度」概念を導入することで見通しをつける。ウィトゲンシュタインやクリプキが提示した「規則のパラドックス」が重要な手がかりとなる。

 このように、後半に行くほど、因果性の問題が議論の要になってくる。また、いま触れたように、バークリ、ヒューム、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、デイヴィッド・ルイス、クリプキ、などが言及されるが、決してそうした哲学者についての解説を目指しているわけではない。シッテルン博士というのは、とても自由な人で、自分の思考過程を忠実に話そうとしているだけなのである。「因果的超越」、「浮動的安定」、「クアエリ原理」、「野放図因果」、など耳慣れない用語が出てくるが、説明を読めば必ず理解してもらえると思う。

 ただ、注意をしていただきたいのは、ときどきシッテルン博士ができの悪いギャグを飛ばしたりしているが、それは私の関知するところではない、という点である。あんなクオリティの低いギャグは、私は言わない……はずである。ともあれ、シッテルン博士にバトンタッチしよう。おい、頼んだぜ。

 シッテルン博士「いやいや、ひどいことを言う人もいるもんだ。クオリティが低い、だってさ。自分だって私と生き写しのくせに。ギャグって大事なんだよ。っていうか、どういうギャグを飛ばして笑ってもらうか、それが哲学の講義の核心でしょ。いや、そう言っちゃうと、種明かししすぎかな。まあ、こんなご時世だ。ほんのときどきクスッとしながら、でも99.8パーセントぐらいは真面目路線で、話をしていきましょうかい。それじゃあ、はじめよう」

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