piece of resistance

26 階段

なんでそんなことにこだわるの? と言われるかも知れないが、人にはさまざま、どうしても譲れないことがあるものだ。奥様とは言わない、本に書き込みはしない、ご飯は最後の一粒まで食べる、日傘は差さない……等々。それは、世間には流されないぞ、というちょっとした抵抗。おおげさ? いやいや、そうとは限りません。嫌なのにはきっとワケがある。日常の小さな抵抗の物語をつづります。

 駅のエスカレーターを使わないと決めたのは、かれこれ六十年も前のことである。

 入社二年目にして人間関係の軋轢に悩まされ、朝日を恨む思いで通勤していた時だった。
 同様に重たい足取りで前を行く会社員の群れが駅の改札をすりぬけ、排水溝へ吸いこまれる汚水のごとくエスカレーターへ吸引されていく姿に、私は突如、猛烈な違和感をおぼえたのだった。
 階段はすかすかに空いている。なのに、自動的に動くベルトコンベアを頼るこの長蛇の列はなんだろう。いい齢をしたいい体つきの男たちが、わずか数十段の上りも厭うほど朝から疲れきっている。
 おまえもこの列に与するのか――見えない何者かに重大な決断を迫られた思いがし、私はほとんど戦慄した。本音に背いて階段へ爪先を向けたのは、青臭い反発心によるものだったかもしれない。
 俺は違う。俺は違う。俺は違う。俺はあそこへは呑みこまれない。一歩一歩、段を踏むごとに心でそう叫んだ。

 その翌日も、翌々日も、私は決然とエスカレーターを拒みつづけた。
 ベルトコンベアに連なる人々を横目でながめながら、鼻息荒く己を主張していたうちはまだまだだったと今となっては思う。階段を使いはじめた初期の私は、むしろ過度にエスカレーターを意識し、誰よりもエスカレーターに乗せられていたとも言える。
 階段を上る。階段を下りる。
 結局のところ、私がしていたのはそれだけのことである。
 一年、五年、十年――年月を経るほどに私は自我を脱し、無心に階段を上れるようになった。無論、年齢による環境や心境の変化も無関係ではなかろうが、余分な肩の力を抜き、人は人、自分は自分と横ではなく前を向いて歩めるに至った。
 ここまでくれば街の百貨店でもごく自然と階段へ足が向く。
「なぜ階段を上るのですか」と問われれば、「そこに階段があるからです」と答える。「エスカレーターもあるのですが」と言われれば、静かに首を振るばかり。
 いかなる行為も重ねるうちに習慣と化す。心ではなく体がそれを受け入れ、無意識のレベルで反復しはじめる。階段の上り下りが我が人生に真なる実りをもたらしたのは、その境地に達してからだろう。
 これを言うと息子には「また」と煙たがられるが、険しき道を自ら求める習慣をひとたび身につければ、その因果はあらゆる方面へ及ぶ。
 楽な道を選ばない。この信条が私の仕事や家庭、人間関係の向上にどれほど益したかは筆舌に尽くしがたい。

 卑近なところで言えば、筋力の強化による体型改善も利点の一つに挙げられる。取引先の女性社員からセクシーになったとおだてられたこともないではない。体力向上の賜か、病のたぐいともすっかり無縁になり、不惑の四十を迎えた頃には同僚の誰よりも丈夫と言われるまでになっていた。
 肉体の衰えに危機感をおぼえはじめた同年代がジム通いやジョギングを始めた時期も、私は時流に乗ることなく我が道を貫いた。急に運動を始めた連中は、大方、やりすぎて逆に体を痛める。ジムの機械には、より長い疾走を、より強靱な筋肉を、と人間を駆りたてる魔物が潜んでいるようだ。
 翻って、階段にはそれがない。厳として定められた段の数は人間の煩悩を刺激しない。
 ノープレッシャー。ノーストレス。
 生きるほどに階段のありがたみが身に沁みていく。

 五十、六十ともなるとさすがに常時体調万全とは言えなくなったものの、どれだけ体がきつい時でも、私は定年するまで階段上りの精神を損なうことはなかった。
 親友の訃報に涙し徹夜で飲みあかした翌朝も、上司に早期退職を勧められた日の帰りも、私は断じてエスカレーターに我が身を委ねはしなかった。
 一段一段、日々の悲喜交々を刻むように階段を上りつづけた。

 通勤の必要を失った八十代の今も、言うに及ばず、駅では階段を使っている。
 傘寿を超えた老人がエスカレーターに丸い背を向け、杖を片手に階段を上っている。傍目には奇異な光景に映るかもしれない。中には懸念顔で手を差しのべてくる若者もいるが、出過ぎた親切心である。
 それよりも、この背中から学ぶべきを学び、私の後に続いてほしい。階段上りの継承こそが私の求めるところである。
 とは言え、かくも頼りない背中であるのは否めない。もはや一息に階段を上るのは難しく、数歩ごとに足を休めては脈を整えるのが常である。最後の一段を踏みしめたころにはすっかり息が上がっている。
 達成感と安堵感。まだ俺は階段を上れるぞ。が、はたして目的地へ辿りつく余力があるのかどうか。よろよろと電車へ乗りこむ私に、大抵は誰かが席を譲ってくれる。
「これはこれは、ご親切に、ありがとう」
 階段以外の場では人の好意に甘えることにしている。

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