ちくま文庫

劇的な二部構成が冴える戦後ミステリのベスト

ちくま文庫『夜の終る時/熱い死角』(結城昌治著、日下三蔵編)書評

PR誌「ちくま」5月号から書評家の池上冬樹さんによる、ちくま文庫『夜の終る時/熱い死角』(結城昌治著、日下三蔵編)の書評を転載します。池上さんが「結城昌治のベスト」「戦後ミステリのベストテンに入る」と絶賛する本作、熱量のこもった書評をぜひご一読ください。

 ちくま文庫から結城昌治のミステリが出るとは思わなかった。それも『あるフィルムの背景』が。新聞の書評にも書いたことだが、結城昌治は吉田健一や丸谷才一、さらには海外文学と日本文学を総合的に見据えた文芸評論家篠田一士などに愛された。エンターテインメントの作家であるけれど、切り詰められた文体(たしか丸谷才一だと思うが〝ポキポキ折れる文体〟と称した)が持つ文学的香気はどの作品にもただよい、テーマ把握も強く、ときにエモーショナルな響きをもつ。
 それは『あるフィルムの背景』にもいえる。人を死に追いやるフィルムの背景を探る表題作、子供の狂気の深淵を捉えた名作「孤独なカラス」、性暴力の被害者の終わりなき苦しみ「惨事」、美醜をめぐる殺意の醸成「みにくいアヒル」などの強烈なテーマ把握の短篇のほかに、意外な驚きの結末「私に触らないで」「女の檻」「雪山讃歌」など粒揃いなのである。
 結城昌治が凄いことは五十代以降のミステリファンなら知っていることだが、果たして一般的な読者にはどうかという不安はあった。私事になるが、僕は宮城学院女子大学で創作表現を教えていて、テキストとして真木探偵ものの短篇の名作「夜が暗いように」を使ったらとても評判がよくて、結城昌治が現代の若者に受け入れられる余地はあるとは知っていたが、しかし出版不況の中ではどうなのかと案ずる気持ちもあった。
だが、その不安は杞憂にすぎなかった。『あるフィルムの背景』は好評をもって迎えられ、嬉しいことに、日下三蔵氏の手による第二弾の本書『夜の終る時/熱い死角』が編まれた。
 二十年ぶりに長篇『夜の終る時』を再々読したけれど、またも昂奮してしまった。実に良く出来ている。第一部から第二部への転換に驚きがあり、第一部の裏側をダイナミックに見せていく。これほど劇的な展開をたどる二部構成も珍しいだろう。ほれぼれするほどの巧さだ。本書は一九六三年に刊行された作品で、日本推理作家協会賞を受賞している。五十五年たったいまでも、警察捜査小説&悪徳警官ものの名作であり、これに匹敵するものは横山秀夫の『第三の時効』ぐらいではないか。
 徳持刑事が署にもどってこない。捜査係一号室の刑事たちは不安を覚えた。呼びだしに応じない恐喝事件の被害者の供述調書をとるためで、被害者であるバーのマダムを訪ね、一時間後には帰ったという。その後の足どりがわからない。
 翌日、徳持はホテルで絞殺死体となって発見される。目撃情報からやくざの関口が浮かび上がり、行方を追うが、事件はまだ始まったばかりで、第二、第三の殺人事件が起こる。
 第一部は刑事殺しを追及する警察小説仕立てで、第二部は悪徳警官を主人公にした倒叙形式になる。三回目なので、今回僕は第二部から先に読み、第一部に戻るという変則的な読み方をしたが、それでもわくわくする。伏線の張り方が巧妙で、真犯人が誰かがわかっていないと読みとばしてしまう箇所多数。再読してはじめて「なるほど」と思われる箇所がいくつもある。結城昌治は本格からハードボイルド、警察小説、スパイ小説、戦争小説などあらゆるジャンルの名作を書いたが、とくに緻密でトリッキーな構成の本書は結城昌治のベストの一冊であり、戦後のミステリのベストテンに入る古典といっていいだろう。
なお、本書には傑作短篇集『刑事』から短篇が四作収録されている。真面目な刑事が酔って暴れた事件の顛末「汚れた刑事」、やくざの失踪が意外な展開を辿る「裏切りの夜」、バーのホステスと結婚を考えていた刑事が直面する苦い現実「殺意の背景」、そして妻の過去を探る刑事の絶望を抉る「熱い死角」だ。特に「熱い死角」がいい。たたみかけるアクション、熱を帯びるエモーションと文体、そして鮮やかな(実に残酷な)結末と申し分ない。一人の女性を愛してしまった男の狂気と悲劇という点で、『夜の終る時』と同じ主題を変奏している秀作だ。