世の中ラボ

【第97回】『源氏物語』を近代文学として読むと見えてくるもの

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2018年5月号より転載。

 少し前、『源氏物語』に注目が集まったのは「源氏千年紀」にあたる二〇〇八年だった。それから一〇年。べつだん今年、『源氏物語』が特に流行っているというわけではない。
 とはいうものの、それなりの話題には事欠かない。
 大きな話題のひとつは、昨年九月に「池澤夏樹゠個人編集 日本文学全集」全三〇巻の最後の配本となる角田光代訳『源氏物語 上』が出版されたことだろう。訳者自身が「あとがき」で〈敬語や謙譲語の使いかたによって登場人物たちの身分の微妙な差や関係性がわかるという、この作品の特徴的なひとつのおもしろさは、思いきって削ってしまった。ともかくばーっと駆け抜ける〉というだけあり、「現代小説のように読める」と評判だ。
 もうひとつ、興味深い話題は、昨年一二月に『A・ウェイリー版 源氏物語 1』の日本語訳が出版されたことである。ウェイリー版とはイギリスのアーサー・ウェイリー(一八八九〜一九六六)が英訳したレディ・ムラサキ著『ザ・テイル・オブ・ゲンジ』のことで、第一巻は一九二五年刊(全六巻が完結したのは一九三三年)。たちまち文壇に旋風を巻き起こし、「世界の一二の名作のひとつ」として認められるキッカケをつくったという。英訳された物語をもう一度日本語に訳し戻したら、どうなるか。
 とか聞くと、ちょっと読んでみたくなりません? 物語のざっとしたあらすじや重要な登場人物の「人となり」はなんとなく知っているつもりでも、いまいち敷居の高い『源氏物語』。新しい訳本を読んだら、もっとその世界に近づけるのだろうか。

源氏の世界を俯瞰できる
 第一帖「桐壺」の冒頭部分はみなさまもご存知だろう。
〈いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ〉。これが原文。
 普通の対訳では、だいたいこんな感じになる。
「いずれの帝の御代であったか、大勢の女御、更衣がお仕えしているなかで、身分はさほど高くはないが、帝のご寵愛を一身に集める更衣がいた。入内のときからわれこそはと思い上がっていた女御たちは、その更衣を目障りな女と蔑み妬んだ」。
 それが角田光代訳では、こんな風に生まれ変わる。
〈いつの帝の御時だったでしょうか――。/その昔、帝に深く愛されている女がいた。宮廷では身分の高い者からそうでない者まで、幾人もの女たちがそれぞれに部屋を与えられ、帝に仕えていた。/帝の深い寵愛を受けたこの女は、高い家柄の出身ではなく、自身の位も、女御より劣る更衣であった。女に与えられた部屋は桐壺という。/帝に仕える女御たちは、当然自分こそが帝の寵愛を受けるのにふさわしいと思っている。なのに桐壺更衣が帝の愛を独り占めしている。女御たちは彼女を目ざわりな者と妬み、蔑んだ〉。
 角田訳は必ずしも原文通りの順で訳されているわけではなく、また文中に「女御」や「更衣」の説明が入るため、印象がかなり異なる。でも、このテンポならサクサクと読めそうだ。
 ウェイリー版はどうだろう(本ではカッコ内はルビ扱い)。
〈いつの時代のことでしたか、あるエンペラーの宮廷での物語でございます。/ワードローブのレディ(更衣)、ベッドチェンバーのレディ(女御)など、後宮にはそれはそれは数多くの女性が仕えておりました。そのなかに一人、エンペラーのご寵愛を一身に集める女性がいました。その人は侍女の中では低い身分でしたので、成り上がり女とさげすまれ、妬まれます。あんな女に夢をつぶされるとは。わたしこそと大貴婦人(グレートレディ)たちの誰もが心を燃やしていたのです〉。
 当初、これを読んだときにはブッ飛びましたね。「ですます」体に加えてカタカナを多用した訳文は、まるで「ベルばら」。完全にヨーロッパ(ではなくオリエントだけど)の王朝ロマンだ。
 ウェイリー版の特徴は、文物自体を読者になじみの深いヴィクトリア朝時代の文物(単語)に置き換えていることで、琵琶はリュート、横笛はフルート、床はベッド、御簾はカーテン、裳はスカート、数珠はロザリオってな具合になる。俳人の毬矢まりえと詩人の森山恵(ちなみにこの二人は姉妹)による日本語訳は、そのうえ人物名をすべてカタカナ表記にし、名詞もできるだけ英文の雰囲気を残したカタカナにする。と、こんな文章の山となる。
〈その日は亥の日(ワイルドボア・デイ)でしたので、夕暮れにフェスティヴァル・ケーキがふるまわれました。(略)ムラサキのところへもきれいなピクニック・バスケットが回ってきました〉。これ、ほんとに『源氏物語』なんでしょうか。角田訳では〈その夜は無病息災、子孫繁栄を願って亥の子餅を食べる日だった。(略)女君のところにだけ、洒落た折り箱に色とりどりの餅を入れたものが用意された〉なんですけど。
 厳密さを求める人は、読みやすさを優先した角田訳や、超訳にも思えるウェイリー版は、こんなの邪道よ、感心できないわ、かもしれない。しかし、そういう人は原文なり、世の中にいくらでもある生真面目な対訳をお読みになればよいのである。
 新しい翻訳の最大のメリットは、現代人の感覚にフィットした日本語でスピーディーに読めることで、そうすると、ドローンで世界を上から眺めるような感覚を獲得できる。私が実感として理解したのは、平安朝の後宮ってすげえ「大奥」だったんだな、ということだった。つまりそこには女同士の欲望や嫉妬が渦巻いている。大奥といっても近世の徳川家とちがって男子禁制ではなく、天皇以外の公達も通ってくるのだが、するとますます雰囲気は姦通小説の舞台になったフランスの社交界などに似てくる。
 身分の低い家に生まれたにもかかわらず、帝に過剰に愛された桐壺の更衣(源氏の母)など、〈帝の深い愛情に頼ってはいても、ほかの女たちからとかくあらさがしをされ、悪しざまに言われる。病弱で、後ろ盾もない桐壺は、帝に愛されれば愛されるだけ、周囲の目を気にし、気苦労が増えていく〉(角田訳)わけで、女御たちのすさまじい嫉妬と反感のストレスで死んだようなものだった。帝の正妻で〈エンペラーの第一プリンス〉の母である弘徽殿(レディ・コキデン)が〈このままではあのプリンスが次代の皇帝の控えるイースタン・パレスに上げられ皇太子になってしまう〉(ウェイリー版)と焦るあたり、泉ピン子みたいだもんね。

レイプされた紫の上がどう思ったか
 ドローン式の視点を獲得すると、『源氏物語』の構造もちがって見えてくる。かつて私の頭にあったのは、源氏が物語の中心にいて、周囲に控えた多くの女たちと関係を持つという図であった。しかし、宮中が女の欲望と嫉妬が渦巻くサロンだとすると、源氏の位置も相対化され、サロンに出入りする一青年にすぎなくなる。
 大塚ひかり『源氏物語の教え』は、その意味でも示唆に富んだ本だった。「もし紫式部があなたの家庭教師だったら」という副題がついたこの本は、紫式部の執筆動機は〈「何も知らぬまま初体験を迎える女子に心構えを教えたい」/もしくは、/「この世には、こんな理不尽な性の形があるということを知らせることで、女子が自分の身を守る一助にしてほしい」〉だったのではないかという。
 たとえば『源氏物語』のなかでも特に重要な位置を占めるヒロイン・紫の上。一八歳のときに当時一〇歳だった紫を引き取り、添い寝までして蝶よ花よと育ててきた源氏は、四年後、強引に彼女をモノにする。要はレイプ、あるいは性的虐待だ。そこまでは誰しも気づくことだが、大塚は『源氏物語』が〈そうした合意のない性的行為に、女君たちが必ず嫌悪感を表明している〉ことに注目する。
〈光君が、あんなことをするような心を持っていると紫の女君は今まで思いもしなかった。あんないやらしい人をどうして疑うことなく信じ切ってきたのかと、情けない気持ちでいっぱいになる〉(角田訳)。〈ゲンジが長年ずっと待ち望んでいたという「新しい関係」は、彼女にとっては青天の霹靂でした。昨晩のおぞましいできごとの、どこが新たな親密な関係の始まりなのでしょうか。ムラサキには受け入れられません〉(ウェイリー版)。
「いやらしい人」あるいは「おぞましいできごと」に深く傷ついた紫は、翌朝、着物(布団)をかぶっていつまでも起きてこず、源氏がなだめてもすかしても拒絶し続けた。
 そこを見逃すことなく、〈紫式部は、主人公の源氏の面目を丸つぶれにしてでも、望まない性行為を強いられた女の当然の反応を描きたかったのである〉と大塚はいう。すなわち〈本人は嫌がってもいいのだ〉というメッセージを紫式部は発している。〈それはあたかも「痴漢に遭ったら大声で叫びましょう」「痴漢は犯罪です」といったスローガンのようなもの〉だと。
 ほんと? と思って元に当たると、なるほど『源氏物語』は事後とはいえ紫が示す抵抗にかなりの紙幅を割いており、〈今日は碁も打たないで、退屈だなあ〉(角田訳)、〈今日あなたとチェッカー遊びができなかったら、つまらないですよ〉(ウェイリー版)などとホザく源氏はただのバカとしか思えなくなる。
 二〇〇年後の鎌倉時代にはもう解説書なしには読めなかったという『源氏物語』。一〇〇〇年後の私たちが全貌を容易に理解できないのは当たり前なのだが、それでも翻訳の力を借りればその世界にかなり近づける。『源氏物語』は恋愛賛美のロマンチックな物語なんかじゃない。それはむしろ近代文学に近いのだ。

【この記事で紹介された本】

『源氏物語 上』(日本文学全集04)
若角田光代訳、池澤夏樹=個人編集、河出書房新社、2017年、3500円+税

 

巻末の解説で池澤夏樹いわく〈この翻訳は核心を摑んで簡潔である。それでいて最小限の説明は加えられており近代小説として読んで何の戸惑うところもない〉。全三巻で完結の予定で、この巻には第一帖「桐壺」から第二一帖「少女」までを収録。「光をまとって生まれた皇子(桐壺)」「雨の夜、男たちは女を語る(帚木)」など、章ごとにサブタイトルと人物関係図もついた親切設計。

『紫式部 源氏物語 1』
A・ウェイリー版、毬矢まりえ+森山恵訳、左右社、2017年、3200円+税

 

ウェイリーはケンブリッジ大学卒業後、大英博物館の東洋版画部門に勤め、中国語と日本語を学んで翻訳に挑んだ(底本は『源氏物語、博文館一九一四年版』)。全四巻で完結の予定で、この巻には「桐壺」から第一三帖「明石」までを収録。個人名はすべてカタカナ。パレス、エンペラー、ベッド、ワイン、ケーキ、フルーツなどの単語が飛び交う物語は、まさに東洋趣味の王朝ロマン。

『源氏物語の教え――もし紫式部があなたの家庭教師だったら』
大塚ひかり、ちくまプリマー新書、2018年、880円+税

 

二〇一〇年に『源氏物語』の全訳(全六巻・ちくま文庫)を終えた著者が、教育書、実用書としての『源氏物語』に着目した異色の解説書。〈性虐待というのは、相手を人間扱いしないところに原点がある。パワハラとかセクハラという概念もない千年前、『源氏物語』は、その原点をしっかり押さえていた〉。その上で紫式部が出した結論は「逃げろ」。甘ったるい読みを排した快著。

PR誌ちくま5月号

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