絶叫委員会

【第127回】いいところ

PR誌「ちくま」5月号より穂村弘さんの連載を掲載します。

 以下は友だちから聞いた話である。

 昔、或る人に本を借りたんだけど、それを手渡してくれながら、彼が真面目な顔で云ったの。
「いいところに付箋を貼っておきました」
 思わず本を見ちゃった。確かに、オレンジ色の付箋が几帳面な感じに貼ってありました。

 うーん、と思う。親切というか、なんというか、面白い人だなあ。そもそも「いいところ」とは何なのか。人によって違うだろう。付箋の箇所に来るたびになるほどと納得できればいいけど、どこがどういいのかわからなかったら気になるんじゃないか。
 古本屋で買った本でも似た現象が起こる。え、そこですか? と思うようなところに線が引いてあったりするからだ。選りに選ってどうしてそこなのか、尋ねることもできない。自分がこの線を引いたと思われるのも困る。いろいろと落ち着かない気分になる。
 そういう私にも私の「いいところ」がある。それが本なら頁の端っこを折っておくし、インターネット上の記事ならコピーして保存しておく。ウィキペディアなどでは、そういう箇所に限って書き直されてしまうことがあるからだ。私にとっての「いいところ」が一般的にはそうでないことの証かもしれない。
 幾つか例を挙げてみよう。

渡が東映に来るようになり、深作欣二の映画に出演した際、擬斗を担当していた菅原俊夫と深作の意見が合わず、渡の意見を聞くことになったが、まだ駆け出しの菅原の意見を渡が尊重し、気配りしたことに対し、菅原は呼吸が出来なくなる程感動し、渡の人柄に大きく心を惹かれたと語った。
                          ウィキペディア「渡哲也」より

「呼吸が出来なくなる程」が「いいところ」である。

技ではないが、トップロープとセカンドロープの間に両腕を絡める独自のムーブを持っている。明らかにアンドレ自身が故意に腕を絡めているのだが「アンドレの巨体によってロープがたわむハプニングで腕が絡まってしまった」と見るのが礼儀。 
               ウィキペディア「アンドレ・ザ・ジャイアント」より

「礼儀」が「いいところ」である。ちなみに続きはこうだ。

両腕が塞がれているためアンドレは身動きが取れず、対戦相手がアンドレに向かっていくが逆にカウンターキックを見舞われてしまうのが一連の流れ。ちなみに、相手にカウンターキックを放った後、いとも簡単に両腕をロープから外す。

 私にとっての「いいところ」といい話はイコールではない。いい話は言葉によって結果的に今ある現実を肯定して強化する。「いいところ」には、そのような方向性はない。というか、どちらかと云えば逆に現実を揺るがして覆そうとする。渡哲也のエピソード自体は確かにいい話でもある。でも、あくまでもそれはたまたまなのだ。
 (ほむら・ひろし 歌人)

 

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