piece of resistance

27 コンビニ店員

なんでそんなことにこだわるの? と言われるかも知れないが、人にはさまざま、どうしても譲れないことがあるものだ。奥様とは言わない、本に書き込みはしない、ご飯は最後の一粒まで食べる、日傘は差さない……等々。それは、世間には流されないぞ、というちょっとした抵抗。おおげさ? いやいや、そうとは限りません。嫌なのにはきっとワケがある。日常の小さな抵抗の物語をつづります。

 会社から徒歩三分のコンビニに彼女が出現したのは、およそ半年前だった。
 めまぐるしくスタッフが入れ替わる都心のコンビニで、レジ係がまた一人増えたところでふつうは誰も気づかない。その陰で辞めた一人にも気づかない。彼らは個ではなく、あくまでコンビニ店員という集合体の一部として現れ、そして消えていく。そんな無機的な循環から外れたところに彼女は最初から存在していた。

 半年前のその日、ランチを求める客で混みあう店内に足を踏みいれた瞬間から、僕は異様なそわつきを察知した。
 何かがいつもと違う。客という客の目がなぜか泳いでいる。普段ならば休憩時間のくつろぎモードにある人々が妙に緊張している。あるいは動揺している。
「ありがとうございました。また来てねーっ。お仕事がんばってくださいねーっ」
 前方のレジからドラえもんばりのドラ声が響きわたるなり、僕は見るまでもなく確信した。
 この女だ。
 恐るおそるレジをうかがうと、そこにいたのはゆうに五十をこえたふくよかな女の人だった。
「つぎの方、どうぞーっ。ほんとにもう、お待たせしちゃってごめんなさいねーっ」
 ぷっくらとした下ぶくれの丸顔。自らもおたふくを意識しているのか、短い髪を額の真ん中でぱりっと左右に分けている。
「はい、熱いコーヒー。外もね、暑いですからね。お気をつけてお持ちかえりくださいね、暑いから、外もコーヒーも。ふふふふふ」
 のちに会社の同僚たちから「押しかけ母さん」と呼ばれることになるこの店員は、デビュー時からして早くもこのキャラクターを確立させていた。とにかくコミュニケーションの希求心がハンパない。ただミネラルウォーターを買いに来ただけの客にさえ、これでもか、これでもかとコミュニケーションごと売りつける。単なるサービス精神に収まらず、そこには妙な母性が介在しているのがまた一層に暑苦しい。
  僕が最初に受けた洗礼はこれだった。
「あーら、気が合うわあ。私もね、おにぎりはもう絶対、鮭とおかかって決めてるの。これぞ王道よね。最近、多すぎるじゃない、ツナだとかオムライスだとか唐揚げだとか、もう、そうなっちゃうとおにぎりじゃありませんよねえ。鮭とおかかで正解!」
 赤い顔を伏せてレジから立ち去った僕は、あまりに暴力的な干渉に放心しつつ、「あの人は長くない」と胸中ひそかに予言した。
  都会では人と人の関係が希薄だ。都会人は孤独だ。誰もがみな寂しい――などなど、いろいろ言われているものの、つまるところは皆、その希薄な人間関係の清々しさを求めて、粘っこいしがらみに満ちた田舎から出てきたのである。母さん的な情を田舎の母さんに求めはしても、コンビニの店員には求めない。
 遅かれ早かれ、客からのクレームで彼女はあの過剰なトークを制限されることになるだろう。さもなくば、彼女自身があの店を去ることに。
 そんな僕の期待に反して、彼女はその後もレジに立ちつづけ、しかも、客への過干渉を激化させていった。

「私もね、好きなんですよ、これ。下手な専門店のお好み焼きより美味しいですよね。うんうん、冷凍食品もバカにできない、できない。レンジであたためたあと、フライパンで両面に焼き目をつけるとなおイケますよ」
「はい、ありがとうございます、牛乳とバナナ……あら、バナナジュース作るの?」
「はい、はい、大根とウインナー巻きとはんぺん……玉子はいいの? はい、はい、糸こんにゃくと牛すじと巾着餅……玉子はいいの?」
 ぐいぐいと籠の内面へ踏みこんでくる押しかけ母さんに食傷し、会社の同僚たちは一人、また一人と別のコンビニを重用しはじめた。たとえ二、三分のロスにはなっても、彼女との会話で消耗するエネルギーを思えば安いものである。
 かくいう僕もその一人だった。
 この現象はうちの会社だけで起こっていたものではないことは、新たに通いだしたコンビニの賑わいからも見てとれた。

 摩訶不思議なのは、通勤の道沿いにある彼女のコンビニには、いつ通りかかっても客の影があるのである。二ヶ月、三ヶ月――いつになっても閑古鳥が鳴かない。
 なぜなのか。もしや彼女が接客態度を改めたのか。
 下世話な好奇心から、ある日、僕は久々にその自動ドアをくぐってみた。
 唖然とした。
 変わったのは彼女ではなく、客のほうだった。
「おじいちゃん、いつもありがとうねえ。はい、いち、にい、さん……三十円のお返しでーす。きゃきゃきゃっ。ちゃんとお財布に入れてね、チャックしてね、落とさないでね。また明日も待ってまーす」
 レジ待ちの列にずらり並んだ高齢の人々をながめ、僕は妙な敗北感に駆られると共に、都会がそれほど単層的に成り立ってはいないことを学んだのだった。

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