世の中ラボ

【第98回】世界遺産登録を前にキリシタン論争が熱い

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2018年6月号より転載。

 二〇一八年のユネスコ世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録される見込みとなった。それ以前に日本政府は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として登録を目指していたが、一六年、イコモス(国際記念物遺跡会議)に「禁教の歴史の特殊性に焦点を当てるべきだ」と指摘され、推薦書を取り下げた経緯がある。今回は禁教期と無関係な二資産を除外し、「潜伏キリシタン」に特化させることで登録に漕ぎ着けた恰好だ。
「潜伏」といえば美しいけど、要は宗教弾圧、「負の歴史」ですからね。イコモスに指摘されるまで、そのへんをゴマ化して登録を目指したのが、いかにも昨今の日本らしいや。
 ところで、「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」のちがいをあなたはご存じだろうか。禁教時代のキリスト教徒は一般に「隠れキリシタン」と呼ばれてきた。が、禁教が解かれた後も、というか現在でも「隠れキリシタン」の信仰は九州の一部で受け継がれているのだ。そこで両者を区別すべく、禁教時代のキリシタンを「潜伏キリシタン」と、現在まで残った宗教を「かくれキリシタン(カクレキリシタン)」と呼ぶのが一般化しつつある(「隠れ」てはいないので、ひらがなかカタカナで表記される)。
 私がこの件に興味を持ったのは十数年前、宮崎賢太郎『カクレキリシタン』(長崎新聞新書、二〇〇一年)を読んだのがキッカケだった。「カクレキリシタンは隠れてもいないし、キリスト教徒でもない」がこの本の主張で、そのときは死ぬほど驚いた。以来、関係書籍をそれなりに読み、キリシタン関係の聖地にも足を運び、そっち方面にはけっこう詳しいつもりでいたのだが……。
 いやあ、まだまだ半可通でしたね。二月刊行の宮崎賢太郎『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』と、三月刊行の中園成生『かくれキリシタンの起源』を読んで、その思いを強くした。この件は予想以上に込み入っていて、でも、その分めちゃくちゃおもしろいのである。というわけで、今回は「キリシタンの謎」に迫ってみよう。

キリシタンはキリスト教徒ではない⁉
 まず、この件の前提知識から。日本のキリスト教史は大きく三つの時期に分けられる。ひとまず宮崎賢太郎の区分に従うと……。
【第一期】キリシタン時代(一五四九年~一六四四年)
 フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えたのは一五四九年。その後の約五〇年間で信徒の数は急激に増えたが、一六一四年に禁教令が出された後は、激しい迫害と殉教が続いた。
【第二期】潜伏時代(一六四四年~一八七三年)
 最後の宣教師・小西マンショが殉教したのが一六四四年。ここから日本のキリシタンは一人の指導者もいない信徒だけの時代に入る。二二〇年後の一八六五年には、来日したパリ外国宣教会のプチジャン神父らと、浦上の潜伏キリシタンが劇的な出会いを果たすが(信徒発見)、迫害は明治期にも続き、殉教者も出ている。
【第三期】復活時代(一八七三~)
 一八七三年に明治政府がキリシタン禁制の高札を取り下げたことで、事実上、キリスト教は解禁になった。以後、潜伏キリシタンは二つの道に分かれる。一方は外国人神父のもとで教義を学び直した正調のカトリック教徒、もう一方が潜伏時代の信仰形態を守り続ける「かくれ(カクレ)キリシタン」である。
 さて、私たちはこれまで「潜伏キリシタンは幕府の厳しい弾圧にも耐え、仏教を隠れ蓑として命がけで信仰を守り通した」(世界文化遺産登録運動のキャッチコピーより)と教えられてきた。だが、この通説はすでに崩れはじめているのである。
『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』は夢とロマンに包まれた従来のキリシタン像は幻想にすぎないと退ける。〈キリスト教がどのような宗教であるか説いてくれるひとりの指導者もいない悪条件下で、仏教や神道が偽りの宗教であり、キリスト教以外に救いはないとはっきり理解できていたのであろうか〉。
 実際、この本はキリシタンに対する幻想をみごとに打ち破る。
 まず、キリシタンの急増期、なぜ短期間に多くの日本人が改宗したのか。多神教の世界に生きる日本人がいきなり一神教に改宗できるはずもない。結論からいうと〈従来の神仏信仰の上に、さらにキリシタンという信仰要素をひとつ付け加えたにすぎなかった〉。一般の庶民は〈キリストやマリアがどのような存在なのか、まったくといってよいほどわかっていなかった〉し、キリシタン大名は主な目的は南蛮貿易だった。大村純忠は最初に受洗したキリシタン大名だが、家臣や領民、仏僧までを強制的に改宗させ、神社仏閣を破壊した。大友宗麟、有馬晴信、高山右近らも同様である。キリシタンが急増したのは集団改宗の結果であって、一部の知識人以外は必ずしも自由意志によるものではない。
 改宗した信徒たちは、聖像、聖画、十字架、メダイ、ロザリオなどの聖具を競って求めたが、それは改宗する際に破棄させられた神仏具(仏像、仏壇、位牌、数珠、お札、お守りなど)に代わる〈呪術的な現世利益をもたらす呪物〉だったからだ。
 そういわれると、そりゃそうだ、と思いません? 現在だって仏教や神道の教義をよく知らぬまま、日本人は神社仏閣で手を合わせ、神棚や仏壇を拝むのだ。五〇〇年前の人々も同じだろう。
 では、潜伏時代はどうなのか。潜伏キリシタンたちはなぜ禁教時代も信仰を守ったのか。〈それは先祖が大切にしてきたから〉だと宮崎はいいきる。神仏信仰の寺請制度の下で暮らすキリシタンは〈仏教徒として、また神社の氏子としての務めもしっかりはたし、それに加えて「先祖伝来のキリシタン信仰」も併せ行っていた〉。オラショ(祈りの言葉)は意味不明な呪文。祈願の目的は無病息災、大漁、豊作、極楽往生などの現世利益。秘密を守ったのは、先祖のタタリや仏罰を恐れてのこと。つまり彼らが信仰したのは、先祖伝来の土俗化した宗教で〈現代のわれわれが思い描く一神教的なキリスト教とは似て非なるもの〉なのだと。
 一方、彼らを取り締まる側の幕府の役人たちも、キリシタンとは何かをわかってはいなかった。そもそも秀吉が伴天連追放令を出したのも、キリシタン大名らに神社仏閣を破壊するなど過激な行動が見られたからだ。キリシタンはあやしげな「異宗」として弾圧されたのである。これは現代人がオウム真理教などの新宗教を、あるいはISやアルカーイダを見る目と似ている。
 いわれればいわれるほど、絶対そうにちがいない、と思えてくる。今日のキリシタン研究も、キリシタンは潜伏時代に仏教や神道と習合して土着の宗教に変容した、という説が主流を占める。

大きく分かれる二つの見解
 ところが、『かくれキリシタンの起源』は宮崎らの説に真っ向から異議を唱えた本なのだ。キリシタン信仰が日本の既存の宗教の影響を受けていることは認めつつ、中園成生は〈かくれキリシタン信仰の実相は、あくまでキリシタン信仰との比較によって理解されるべきものである〉と主張する。つまり禁教時代を経て継承されたキリシタン信仰は、現代のカトリックではなく、一六世紀、キリスト教が伝来した第一期の信仰要素と比較すべきだと。
 そこで中園がとった方法は、現在の長崎県各地(平戸、生月、浦上、外海、五島)や天草(熊本県)、今村(福岡県)などに残っている「かくれキリシタン」の風習と、一六世紀の宣教師らが書き残した当時の信仰要素(組織、施設、墓地、聖画や聖像などの信仰具、洗礼や葬儀など人生儀礼、年中行事、オラショの文言など)を並べて、子細に比較検討することだった。
 その結果、中園は宮崎と正反対の結論に達する。〈禁教以降の欠落・転も多少あるものの〉、〈かくれキリシタン信仰には、各地域の宣教師との接触が断たれる前のキリシタン信仰の要素がそのまま継承され〉ている。宣教師がいなくなったからこそ勝手に改変ができず、〈かくれキリシタン信仰では、宣教師が居なくなる前の信仰形態を継続することしか出来なかった〉のである。
 さあ、困った。こちらはこちらで、読めば読むほど本当らしく思えてくるじゃないの。宮崎も中園も自ら各地のカクレ(かくれ)キリシタンへの調査を行っており、使用している資料にも大きな差はない。キリシタンに対する愛情も、両者、並々ならぬものがある。なのに、正反対の結論に至るのはなぜなのかっ。
 民衆のキリシタンはキリスト教徒ではなく〈典型的な日本の民俗宗教〉なんですよ、と強調する宮崎。〈教義を理解せず勝手に信仰を変容させた無知な信者〉だって? 冗談じゃないっすよ。彼らは弾圧の危険の中で、仏教や神道と並存させつつ〈信仰形態を継続させる事を自ら選択した強い人々〉ですってば、と主張する中園。逃げるようだが、どちらも本当なんじゃないかと私は思う。ほら、同じ宗教に帰依していても、信仰の持ち方は、人によっても、時と場合によっても違うじゃない? ということで、少しはわかっていただけただろうか。キリスト教徒だったか否かで論争になるほど、キリシタンはディープなテーマなんですよ。
 最後にもう一冊、そこまでディープではない本を紹介しておこう。星野博美『みんな彗星を見ていた』。これは非キリスト教徒の著者が、キリシタンの謎を求めて旅するルポルタージュだ。
 いずれにしても、世界遺産に登録されたら、潜伏キリシタンの聖地には観光客が押しよせて恐ろしいことになるだろう。迫害されて殺害されたキリシタンたちは草葉の陰(じゃなく天国か)で苦笑しているだろうね。夢でもロマンでもない、せめてこれが「負の歴史遺産」であることを、私たちは忘れないでおこう。

【この記事で紹介された本】

『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』
宮崎賢太郎、角川書店、2018年、1700円+税

〈隠れキリシタン=ロマンの幻想はなぜ生まれたのか?〉(帯より)。著者はカクレキリシタン研究の第一人者で、カトリック系の長崎純心大学教授。イメージだけのキリシタン像を排し、史実を見よと主張する。理解できなくとも先祖伝来の宗教を大切にした潜伏キリシタンの素朴な信仰は、正調のキリスト教徒に劣るものではないという立場からのラジカルで刺激的なキリシタン論。

『かくれキリシタンの起源――信仰と信者の実相』
中園成生、弦書房、2018年、4000円+税

〈長年の「かくれキリシタン」論争に終止符を打つ。〉(帯より)。著者は民俗学者で、平戸市生月町博物館「島の館」(私見ではここの展示はキリシタン関係の博物館では日本一)の学芸員。宮崎らの「禁教期変容論」に異を唱え、また禁教時代のキリシタンは捕鯨や漁業や農業などで、経済的にも意外に豊かだったとも主張する。大変な労作で、研究書だけどエクサイティング。

『みんな彗星を見ていた――私的キリシタン探訪記』
星野博美、文藝春秋、2015年、1950円+税

〈東と西が出会ったとき、いったい何が起きたのか?〉(帯より)。著者は作家・写真家。ふとしたことからキリシタンに興味を持った著者が、キリシタンの足跡を求めて長崎各地から宣教師の故郷であるスペインのバスク地方まで旅した記録。天正遣欧使節の少年たちに憧れてリュートを習い、宣教師の記録を読み、殉教の意味を考える。彼らの心に近づこうとする試行錯誤がおもしろい。

PR誌ちくま6月号

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