アメリカ音楽の新しい地図

6.チャンス・ザ・ラッパーとシカゴの政治/文化

トランプ後のアメリカ音楽はいかなる変貌を遂げるのか――。激変するアメリカ音楽の最新事情を追い、21世紀の文化=政治の新たな地図を描き出す!

ケン・ベネットとシカゴの政治
 いまいちどスパイク・リーのチャンス・ザ・ラッパーへの反論に注目してみよう。リーがいうように、2015年の時点でチャンスの父、ケン・ベネットはシカゴ市長ラーム・エマニュエルの首席補佐官代理(Deputy Chief of Staff)を務めており、地域のコミュニティーリーダーとの協働を担当する公衆関与部門の責任者(Director of Mayor’s Office of Public Engagement)でもあった(8)。
 ケン・ウィリアムズ=ベネットは1983年から87年までシカゴ市長を務めたハロルド・ワシントンの補佐官として政治の世界に足を踏み入れた。シカゴの黒人コミュニティーと政治の歴史を語るうえで、ワシントンの存在を無視することはできない。なぜなら、ワシントンはシカゴ初の黒人市長であっただけでなく、のちの第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマにとって決定的なインスピレーションとなったからだ(9)。
 黒人作家タナハシ・コーツがいうように、もともとシカゴのサウスサイドは著名な黒人政治家を数多く輩出した地域として知られている。20世紀最初のアフリカ系下院議員オスカー・スタントン・デプリーストはこの地域の出身だし、公民権活動家ジェシー・ジャクソンもサウスサイドを拠点に運動を展開した。1990年代にアメリカ初の黒人女性上院議員となったキャロル・モズリー・ブラウンなどこの地区出身の黒人政治家は枚挙にいとまがない。オバマはまさにワシントンがシカゴ市長在任中の1985年から88年にかけて、シカゴのサウスサイドのカトリック教会を拠点にコミュニティーオーガナイザーを務めており、『マイ・ドリーム――バラク・オバマ自伝』にも、若きオバマがワシントン市長のもとで職を探していたエピソードが披露されている(10)。
 こうした状況のもとでチャンス・ザ・ラッパーの父、ケン・ベネットとオバマが知り合うのは時間の問題だったのだろう。やがてベネットはオバマに仕えるようになり、のちの大統領が2004年にイリノイ州選出上院議員に当選した際は地元秘書(State Director)を務め、2008年の大統領選挙対策本部でも地元を統括(State Director)した。ちなみに、このとき若きチャンスは選対本部でインターンをしていたそうである。オバマが大統領に当選したあともベネットは副補佐官(Deputy Assistant)としてホワイトハウスに勤務するだけでなく、大統領被任命者として労働長官のもとで中西部地域代表を務めている。オバマが大統領在任中の2016年12月、恒例のクリスマスツリーの点灯式にチャンス・ザ・ラッパーが出演したのは、こうした数十年にわたる家族ぐるみの付き合いがあったからだといえるだろう。

​Chance the Rapper Live From the White House

 では、こうした家族環境やシカゴの政治状況は、チャンス・ザ・ラッパーの音楽活動にどのように影を落としているだろうか。次節以降、その影響と表現の特性について検討してみたい。

(8) 2014年に任命され、16年に辞し、現在はシニア・アドバイザーという役職についている。

(9) Ta-nehisi Coates, “My President Was Black: A History of the First African American White House—And of What Came Next,” The Atlantic, January / February 2017 Issue, https://www.theatlantic.com/magazine/archive/2017/01/my-president-was-black/508793/

(10)  Barack Obama, Dreams from My Father: A Story of Race and Inheritance, New York: Crowns Publishers, 1995, 143.

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