ちくま新書

ストレスを感じず、人前で話すために

6月刊の『恥をかかないスピーチ力』の冒頭を立ち読みできます。

 日本人はスピーチが一般的に苦手です。
 ちょっとした挨拶や自己紹介でも恥ずかしがって、まともなことを言えなかったり、反
対に延々と退屈なスピーチをしてしまって顰蹙(ひんしゅく)をかう人もいます。
 また「これについて、どう思いますか?」と感想やコメントを求められた時、「むむ
……」と貝になってしまって気の利いたコメントを返せなかったために、面接で落とされ
たり、大事な商談のチャンスを逃すこともあるでしょう。
 shy(恥ずかしがり)は自信がなく、ビクビクしている印象を与えます。場合によっては、愚かだと勘違いされることさえあります。人前でそれなりの話ができるスピーチ力は、これからの時代を生き抜く必須の力と言えましょう。


 およそ日本人は人前で話すのが苦手な国民ですから、自分で話すのはもちろんのこと、
苦手な人たちが話すのを聞く時も、恐ろしく退屈でストレスに感じます。
 話すのも恐怖、聞くのも恐怖というかわいそうな日本人の二大ストレスをなくすために
も、なんとか日本人のスピーチのレベル全体を上げたいというのが私の願いです。
 といっても、ガンジーやオバマ大統領のような名演説をめざそうというのではありませ
ん。大統領の演説はたいていスピーチライターが入っていて、人が感動するように書かれ
ています。私たちには無縁の世界です。
 この本は、日常生活においてちょっとしたことを人前で話す時にどうするか、という視
点で書いてみました。
 最低ラインは恥をかかないこと。そして相手に良い印象を与えて、できれば「あの人、
話がうまいね」という印象に残るようなスピーチ力をつけていただければと思います。


 ところで、なぜ日本人はスピーチやコメントが苦手なのでしょうか。それは日本には西
洋のように人前で話す伝統がなかったからです。
 西洋では古代ギリシャの時代から人前で話す文化がありました。古代ギリシャのポリス
の市民たちにとって、人前で演説するのは当たり前のことでしたし、街なかでもみんなが
スピーチに近いことをやり続けていました。
 プラトンの『饗宴』を読むと、お酒を飲みながら一人ずつ立ち上がってスピーチする場
面が描かれています。その中に登場するソクラテスの演説はもちろん素晴らしいのですが、ほかの人たちもいい話をしています。
 またシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』でも、ブルータスの演説とアントニウ
スの演説が対比して描かれています。最初はブルータスがシーザーを殺した正当性をアピ
ールしますが、続くアントニウスの演説のほうが説得力があったので、民衆がブルータス
を追放するわけです。
 このように西洋では公衆の面前で演説することによって、事の真偽をはっきりさせると
いう伝統があったのですが、日本では一般の人たちが人前で話す機会はありませんでした。
 つまり市民として、そういう力を持つことは必要とされていなかったのです。


 しかし明治時代になって鎖国がとけ、西洋の文明が入ってくると、文化が違う人たちの
前で自己を主張する必要性が生まれてきました。
 福澤諭吉は「スピーチ」を「演説」と訳し、『学問のすすめ』においていち早くスピー
チの必要性を唱えました。日本人があまりに演説が苦手なので、慶應義塾の中に演説館を
つくってスピーチを練習させたくらいです。
 『学問のすすめ』が書かれて一四〇年ほどたった今、日本人のスピーチはその時と比べるとだいぶうまくなったようですが、それでもなおスピーチやコメントを求められると、ストレスを感じる人はたくさんいます。
 ですからいきなりハイレベルな演説をめざすのではなく、とりあえずストレスにならな
い程度の力をつける。そういう高すぎない目標を持つと良いのではないかと思います。
それに落ち着いて考えてみれば、日本人が恥ずかしがり屋だとか、話すのが下手だと引
け目を感じてしまうのは、持って生まれた国民性のせいではなく、たまたまその領域を使
う機会が少なかったために不得手だったにすぎません。
 サッカーが強い国の人は、勝つのが当たり前だと思って試合に臨むので、勝ち続けます。
 日本だって野球や経済の世界では強い自信があるから、欧米と堂々と戦えるわけです。
 ですから日本人もとりあえず日本語できっちり話すことを練習して、その分野で自信を
つけていけば、引け目を感じることはなくなるでしょう。
 この本では、日常生活でありがちなスピーチへの対処法やコメントのしかた、話題の選
び方など、具体的なノウハウについて述べていきたいと思います。

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