からだは気づいている

第4回 ヒトもチンパンジーもボノボもゾウも、待っている

人間行動学者の細馬宏通さんが、徹底した観察で、さまざまな日常の行動の謎を明らかにする連載の第4回です。今回は協調行動について、ヒトと他の動物の比較を通して考えます。 ぜひお読みください。

マイクロインタラクションの不在
 ここまで、チンパンジー、ボノボ、ゾウの場合で、動物に共同作業は可能かどうかを見てきた。相手がロープに到着するタイミングを利用できるという点に注目するなら、ヒト以外の動物も相手と「同時に」共同作業を行うことができたといえるだろう。
 しかし、それはヒトと全く同じかと言えばそうではない。
 平田さんの行った実験では、チンパンジーの動作が詳細に記されているが、2頭のチンパンジー、ミズキとハズキは「相手に誘いかけたり、ロープを引く前にアイコンタクトを取ったりする行動は一度も生じなかった。ヒトであれば、ロープを引く前に相手の顔を見て目くばせしたり、『せーの」とかけ声をかけたりして、両者のタイミングを合わせようと努力するだろう。そうしたコミュニケーションはチンパンジーでは見られなかった」(平田 2013)。つまり、チンパンジーの協力行動には、マイクロインタラクションが欠けていたのだ。
 ボノボやゾウの実験でも、アイコンタクトをとったり声を発したりといった相互行為は記載されていない。どうやら100ミリ秒単位で微細なマイクロインタラクションを行っているのは、ヒトだけらしい。
 では、もしマイクロインタラクションを行うのがヒトという動物の特徴なのだとしたら、それはヒトのコミュニケーションの質にどう関わっているのだろう?

ヒトが待つと意味が生じる
 実は、人間どうしの場合でも、あからさまに協力のタイミングが遅れることはある。机運びの実験では、15組中1組だけ、参加者の片方だけが机を持ち上げるペアがあった。ペアの1人(Aさん)が床に貼られたマークを見ている間に、もう1人(Bさん)が机の片方をさっさと持ち上げてしまったのである。

図2  AさんとBさんの机持ち上げの過程

 もちろん、Bさんだけが持ち上げたのでは机は運べない。では、この持ち上げはやり直しになったのか。いや、そうではなかった。Bさんはしばらく持ち上げたまま黙って待っていた。しばらくしてようやくBさんの持ち上げに気づいたAさんが「あ、これを?」と机に注意を向け(図2-1)、両手を机に伸ばした。Bさんは机は持ち上げたままAさんの問いにかぶせるように「うん」と答えた。
 この直後、Aさんは両手で机に手をかけ(図2-2)、2人は無言で机を持ち上げ、めでたく机は運ばれ始めたのである(図2-3)。
 なんのことはない。他の組のようにタイミングを調節しなくとも、1人が持ち上げて相手を待ち、遅れてもう1人が持ち上げるだけで、机は持ち上がるのだ。ちょうどチンパンジーやボノボやゾウがやっているように。
 ところで、このやりとりを見て、わたしは奇妙な感想を持った。なんとなく、Bさんが無言で先に持ち上げることによってAさんを「催促」しているように見えたのである。
 「催促」というのは感じすぎとしても、これに似た感じをわたしたちはしばしば経験する。たとえばいざどこかに出発しようとして、一瞬何かに気をとられてから、ふと相手にようやく目をやると、相手がこちらを見て立っている。こんなとき、わたしは「ごめんごめん」と言ってあわてて歩き出すのだが、わざわざ「ごめん」というのは、なんだか相手を待たせて申し訳なかったような気がするからだ。そして、実をいうと、相手がただこちらを見て立っているだけなのに、なんだかその相手は早くしろと促しているように見えたり、ちょっと怒っているように見えることもある。もちろん「催促」とか「怒っている」というのはあくまで待たせたこちらの負い目からくるものだし、実際のところそんな感覚はすぐに忘れてしまう。それにそれはほんの一瞬で、たいした時間ではないのだ。
 AさんとBさんの例も、実はコンマ秒単位のごく短い時間のできごとだった。もしかしたら、Aさんはとんでもなく長い時間Bさんを待たせたような印象を与えてしまったかもしれないけれど、やりとりは全部で2秒足らずだ。Bさんが持ち上げ始めたのを0秒とすると、Aさんの手が机に伸び始めるのが550ミリ秒後、Bさんが持ち上げたままじっと待ち始めるのが700ミリ秒後、Aさんが「あ、これを?」と発話し始めるのが900ミリ秒後、Bさんが「うん」と答えるのが1.4秒(1400ミリ秒)最終的にAさんが追いついて2人で運び始めるのが1.9秒(1900ミリ秒)後。つまり、Bさんが待ち始めてAさんが運び始めるまで、わずか1.2秒しかたっていない。しかも、Aさんの手は、Bさんの持ち上げが完了する700ミリ秒後よりも前に机に向かって伸び始めている。Aさんのからだは「あ、これを?」という発話よりも机に向かっていたのである。
 にもかかわらず、傍目から見ると、Bさんのわずか1.2秒の待機時間は、コミュニケーションが停滞しているような違和感を与える。その違和感が、BさんからAさんへの「催促」という意味を生じさせてしまうのだ。裏を返せば、他のペアは、このペアの短いやりとりの食い違いが違和感を感じさせるくらいすばやくお互いのタイミングを調節していたのだ。
 机を両側で持って運ぶときに、何もぴったり同時に机に手をかけなくとも、Bさんのように先に手をかけ、Aさんが手をかけたのを見計らってから持ち上げても運ぶことはできる。ただし、そのようなやり方はどこか違和感を生じさせ、BさんからAさんに何らかの社会的な行為が行われている「かのように」見える。Bさんが実際に何らかの意図を持っていたのか、あるいは「催促」するつもりだったかどうかはわからない。しかし、傍目で観察しているものにとって、この些細なずれは、あたかも社会的に意味を持っているように見えてしまう。
 もしBさんが誰もいないところで1人きりで机を持ち上げて止めたとしたら、それはBさんがただ気ままに持ち上げた動作にしか見えないはずだ。しかし、全く同じ動作を2人の場面で行ったとたん、それはBさん「だけ」が持ち上げたように見えるのである。

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