ちくま文庫

戦争を知らないジジババたち

南伸坊『オレって老人?』解説

とまどいつつも「老い」を受け入れ、「笑い」にかえて考える。深い話を軽妙につづった南伸坊さんのエッセイ集を、同世代の中野翠さんが共感をこめて解説します。

 もう十六年ほど前になるか。東京大田区の「昭和のくらし博物館」で南タカ子さんの作品展が開かれたことがあった。
 タカ子さんは南伸坊さんのお母さんで(当時八十代後半)、服やセーターなどを作ったあとに残ったハギレや残り毛糸を使って、さまざまな生きものを作って楽しんでいた。そんな手芸作品に伸坊さんは注目。昭和のくらし博物館で展覧会を催すことになって、私も観に行ったのだった。
 いやー、あんなに可憐で愉しい作品展は無かった! 赤の毛糸クズで編まれたタコ(作品名・タコごきげん)や、ピンクのハギレで作られたタイ(作品名・さかなの王様)や、ビーズの目がついた何だかわからないフニャッとした生きもの(作品名・かわいいオバケ)などに、私の頭はゆるみっぱなし。なぜか目頭が熱くなったりもして。最高傑作は白い肩パッドを羽に見立て、白地にピンクの線が入ったストローを足にしたハトではないだろうか(作品名・すべったハト)。
「この母にしてこの子(南さん)あり」と思わずにはいられなかった。造型的センスのよさとか面白さというだけでなく、その根本に、何と言ったらいいのだろう、あんまり安っぽく使いたくはない言葉だが、「愛でいっぱい」という感じがしたのだ。何の理由も根拠も無く、心の内側から湧き起こる「愛」という言葉でしか表現できないもの。それが毛糸クズやハギレ利用の生きものたちという形になって展示されていたのだった。

 さて。このエッセー集『オレって老人?』は、六十代後半となった頃の南さんが「老い」をテーマにして書きつづったもので、二〇一三年に単行本として出版され、それから五年が経過した今、さらに文庫版化されたもの。
『オレって老人?』と「?」マークがついているところに注目したい。南さんは一九四七(昭和二十二)年六月生まれだから、いわゆる戦後の「ベビーブーマー」「団塊の世代」「全共闘世代」にあたる。その世代が、もっか、ドドッと七十代へと突入しているのだ。
戦後民主教育と高度経済成長の中で育ち、大学生となった者は全国的規模で反乱を起こして「全共闘世代」と呼ばれ、ビートルズに熱狂し、男子でも肩まで届くような長髪にして、学生服を脱ぎ捨て、どこへでもジーンズ姿で出没し、「戦争を知らない子供たち」を声を合わせて歌いあげ、ひたすら若さを誇示して来た、その世代が、ついに「古来稀なり」の古稀なのだ。タイトルの「?」には、老人という概念にもうひとつなじめない当惑感もこめられているように思う。

 いったい何という歳月なのだろう。アッという間、ほんとうにアッという間に、若者から老人に。若い若いと思っていても、役所から「健康保険高齢受給者証」といった物が送られて来たり、親しくしていた仕事仲間の編集者たちが次々と定年退職していったりして、いやがおうでも「老い」を痛感させられてしまう。 父母の世代、祖父母の世代のことを思う時、私たちの世代はどうやら戦争体験ナシに生涯を終えることになりそうだ。戦争を知らないジジババたち──。
 さまざまな形で「若さ」を謳歌して来た、そのツケは、「もはや抗いがたく忍び寄って来た〝老い〟という事実にどう対処するか?」という形で回って来た。一番わかりやすい所で言うと、ファッションですね。それまで好きで似合っていると思えていたものが、どうも似合っていない感じがして来るのよ。シラガ、肌の衰え、体つきの変形……。若々しくは見えたいけれど、いかにも、 の若作りはイヤだ。私と妹(二歳下)は服選びの時は必ずいっしょに行って、「大丈夫!?」とチェックしあっている。私は黒だの白だのが好きで、カラフルな服はめったに買わなかったのだけれど、顔に若さのイキオイというのが失なわれたせいか、案外、赤とか黄とか緑とかカラフルなものが少しばかりだが似合うようになった(ような気がする)。視力がよすぎて老眼になるのが早かった妹は老眼鏡選びに凝っていて、服とのコーディネートを楽しんでいる。ババアになったらなったで、案外、それなりのオシャレの世界もあるものだなあ──と思っている。
 と書いていて、ハタと思い出したが、晩年の母が体調を崩し、入院していた時、私と妹は院内のバアさんたちの入院ファッションを大いに不満に思ったものです。みーんな、何だかボヤケたパステルカラーの花柄パジャマなのだ。華やいで見えるというより逆に老いを強調するように見えた。母には、あえて明快な色の縞や格子のパジャマを着せた(私も入院時には、ぜひ、そうしていただきたい)。

 話がずんずんズレて行くようだが、何を言いたかったかというと、南さんはオシャレで、いつも、とってもいい感じのファッションの人だということなのだった。南さんが描くところの昭和の老紳士、こざっぱりと素敵なお父さんファッション、「どうだ、イケてるだろ!」なんていう感じはまったく無く、ほんとうにさりげなくオシャレなのだ。やっぱり(と、ここで冒頭の話に戻る)、南タカ子さんの遺伝子を受けついでいるのだった。もちろん、奥さんの文子さんのアドバイスもあるだろう。
「老人の嗜み」と題する章で、「私は最近、みずからジジイらしくなるために、いろいろと工夫している。本を読む時だけかけていた老眼鏡を、そうでない時にもかけて、しかもズラした鼻眼鏡越し、上目遣いに人を見る……」
「老人は不機嫌にしていなくてはいけない」と書き、「近頃のツバメ」と題する章で、「そもそも老人は世の中の本流から外されるから「近頃」のありさまに批判的になれるのである」「無視されたとしても、老人は「近頃」の気に入らないことどもを、糾弾し続けるべきなので、それができるかどうかが問題だ。と私は思う。」うんぬんと書いている。
幸か不幸か、私は南さんが不機嫌にしているところは見たことは無いけれど、ソフト帽をかぶり、黒っぽく長いコートを着て、まさに昭和の初老紳士然とした姿は何度か見ている。世間では案外知られていないようだけれど、南さんは長身のほう。小津映画に出ていてもスンナリはまる、渋いカッコよさ。
 南さんはオシャレ。それなのにファッションの話はめったに書いていない。この本でもわずかにしか触れていない。もっと執拗に書いてくれていいのに!──というのが、この『オレって老人?』に関しての、唯一の不満。『シンボー・ファッション』と題する写真集が刊行されることを切に願っている(ゲストは呉智英先生ね。この本でも少し触れられているが、二人の帽子談議、面白いので、もっと読みたい)。
 当然のことながら、昭和の頃の思い出話のディテールも懐かしく、わくわく。
「アノホラロボットとは何か」の章で語られる力士たちの名前の数かず。「正しい氷水」で描き出される氷梅酒のある氷水屋のたたずまい。ラジオから流れる落語……。一番嬉しかったのは、南さんがコドモの頃に見たという「恐ろしいヒロポンの害」という映画のくだり。その映画、私も見て慄えあがり、ちょっとしたトラウマのようになった記憶があるからだ。ゴジラに追い駆けられる夢もみたのだけれど、それよりこわかった。子どもにとっては完全にホラー映画だったよね、あれ。
「ケンカに弱い考えかた」という章で、南さんは自分のことを「全然ケンカのセン
スがない」と書き、「(世の中の人の大部分は)ケンカの弱い人々だ」と書いたうえで、「世の中の常識が、いま、ケンカの弱い人の理屈になっていはしまいか」と疑問を投げかけている。これ、結構、重要な指摘では? 「ケンカの弱い人の理屈」を「女の理屈」と言い換えてもいいような気もする。
 南さんは自分を「全然ケンカのセンスがない」と認めたうえで、こう書いている。「どんなにバカっぽくても、昔の少年漫画や、剣術映画のように、カッコイイのは、気はやさしくて力持ち、強きを挫き弱きを助ける、ケンカが強くてもエバラない、これが本当のカッコイイ人だ。というのを周知徹底しないといけない」。
 異議なし! 南さんは実は「硬骨の人」でもあるのだった。

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